199話 恩義への正当な対価
微かに、だけどどこか重々しく肩を落とし諦観の溜息をエリィが零す。
渋々と後に続き、一際大きく立派なテントに足を踏み入れた。
そこには鮮やかな絨毯が敷かれ、大きなテーブルセットとキャビネット、更に入り口から一番遠い所に置かれた衝立の奥には、寝台もいくつか置かれているのが見える。
「ここは演目の打ち合わせ等に専ら使っておるんですが、こうしてお客人も案内させてもらう事もございます。
ホッホ、まぁ少しばかり名が通った一座に運良くなれましたので、興行のお誘いなんかが時々ありましてねぇ」
座長である老人パッタルはそう言いながらテーブルセットの方へ足を向ける。
「お貴族様相手ですと席にも気を配らねばならんのですが、薬師様はお気になさいますか?」
薬師ではないと言ったのだが、頑なに薬師と呼ばれるのは何故だろう…まぁ現状名前で呼ばれずとも自分だと認識できるので問題はないが、とそこまで考えて、名乗っていなかった事に気が付いた。
ならばそう言う呼び方になったとしても不思議ではない。
「いえ、全く気にしません。改めて、私はただの通りすがりのギルド員で、エリィと呼ばれています」
「ホッホ、ではエリィ様、どうぞこちらに。あぁ、子供用の椅子を用意させましょう」
パッタルが案内はしたものの、エリィの体格と椅子を見比べてムムゥッと唸った。
エリィはそれに首を横に振り、手近にあった椅子の一つに飛び乗る。それを見てパッタルと後ろについてきていたヌジャル、ケラシャが一瞬顔を見合わせてから微笑んだ。
エリィの対面側にパッタル、ケラシャが腰を下ろす。
ヌジャルは一度テントの入り口の方へ行き、そこで他の者が用意してきたらしいお茶のトレーを受け取ってやってきた。
装飾は少ないが、品の良いカップがエリィの前に置かれる。中にはすっきりと爽やかだが、微かに甘さを含んだ豊かな香りが溢れる茶が注がれていた。
「こちらのミルクを入れても味わいが変わり、なかなかいけますぞ。良かったら」
パッタルがミルクの入った小さな壷を、ヌジャルから受け取り、エリィの方へと勧め置く。
『ありがとうございます』と言葉は伝えるが、エリィはそのままのお茶で楽しませてもらう。
頂きますと小さく呟いてからそっと一口、口に含んで、その豊かな芳香を味わってからカップを置く。それを待っていたかのようにパッタル、ヌジャル、ケラシャの3人が姿勢を正した。
「改めて、ニモシャ、そして我が一座を御救い下さり、ありがとうございます」
「本当にありがとう、どれほど感謝してもし足りない」
「まったくだよ。薬師様……っと、エリィ様にはどうやって御恩に報いたらいいか」
3人がそれぞれ感謝を口にしてくれるが、エリィとしてはアレクが面倒くさいから手を貸しただけだし、何なら『なんちゃって抗生物質作成』という実験を楽しんでいた。
勿論感謝してくれるのはわかる。恐らくだが、この世界での感染症は前世日本よりはるかに重大事件なのだと思われる。
魔素が減少し、人々の日常から魔法が遠くなっているので、医療に類するものはポーションや薬頼みのなのだろうが、有効素材を積極的に探して新薬を開発すると言う空気は、これまで感じられなかった。
多分ポーションや現存する薬剤がそれなりに優秀なのだろう。
基本的に効果が値段に比例している為、庶民が手にできるものとなるとお察しではあるが。
そんな事を考えながら聞いていて、ふと気になっていた事を思い出した。
「いえ、偶々持っていた薬をお渡ししただけです。あと私は貴族でも何でもないので敬称不要です。
………それで、その、済みません、少し教えて欲しいのですけけど…病用のポーションとか薬って珍しいんですか?」
エリィからの質問に全員が沈痛な面持ちだ。
「そうですね……というか病用のポーションなんかは見た事がない」
ボソリと呟いたヌジャルの言葉にエリィが首を傾げる。
「えっと、でも最初薬を周りに求めていませんでしたか?」
ぐったりするニモシャを抱えたヌジャルは、確かに周囲の人々に薬を分けてくれとお願いしていたはずだ、
「あれは……あの時はもう藁にも縋る思いで、痛み止めでも持ってる人はいないかと……一座で常備している痛み止めや熱冷ましは効かなかったんだ」
「エリィ様は薬師じゃないって言ってたけど、もしかして薬の等級とかは知らない感じです? まぁ、エリィ様はまだ子供みたいだから、そんなもんなのかしらねぇ」
ヌジャルの後を引き継ぐように、ケラシャが反対に質問してきた。
「見た目は子供ですけど、子供じゃないですよ。等級があるのは知ってます。実際自分で作ったポーションをギルドに納品したりもしますし…とはいえ、まだ3等級が精一杯の駆け出しでしかないですけどね」
自嘲気味に呟いたエリィの言葉に、前に並ぶ3人が目を丸くする。
「「「3等級!?」」」
異口同音に叫ばれて、エリィの方が仰け反ってしまった。
「もしかしてあの体力回復ポーションも3等級……」
ヌジャルがしどろもどろと零した言葉に、パッタルとケラシャがあんぐりと口を開けた。
「体力回復って……」
「そ、そんな高級品を……」
エリィからすれば、これまでの道すがら採集してきた素材で作った、練習成果と言うだけでしかないのだが、実際には体力回復ポーションは庶民の手に届く品ではない。
ヌジャルは兎も角、パッタルとケラシャは、エリィが何を使ったのか知らなかったので、このような反応になるのも仕方ない。
体力回復ポーションなど、怪我用の通常の物とは違う種類のポーションは流通量が極端に少なく、そのせいで販売価格が跳ね上がっている。
3等級の通常ポーションが大体2500エク前後、需要と供給の兼ね合いで日々変動するが、平均すればそのくらいになる。その1本で一人なら1週間以上食い繋ぐことが可能だ。まぁ、1食100エクの定食換算だが。
しかし、体力回復ポーションとなると話が変わる。
最低ランクの粗悪品ですら1万エクが最低価格だ。その上、物自体があるなら……という前提条件付きだ。
「座長……今手持ちをかき集めたとしてどのくらい…?」
ケラシャが顔色を悪くしてパッタルの方へ視線を向ける。
「そうですねぇ。何とか100万エクなら……」
「体力回復ポーションの3等級って30万くらい?」
「馬鹿な事言うな、50万は下らない……」
「……その上、薬……」
前に並ぶ全員の顔色がどんどんと悪くなっていく。
「ぁ……あのッ……必ずお支払いしますので、少しだけ猶予をいただけませんか!?」
ケラシャが椅子から降り、絨毯の上に足を折って頭を下げた。
その様子にドン引きなのはエリィの方で、思わず遠い目で『この世界にも土下座ってあるんだぁ』等と現実逃避の構えである。
だがそんなエリィにはお構いなく、ヌジャル、パッタルまで土下座しようとするのを見て現実に立ち返った。
「ちょ、ちょっと待って、待ってくださいって。別にお代は要りません」
「「「………」」」
「だから、薬は偶々手に入れる機会があっただけの物ですし、体力回復ポーションも私としては練度上げに作りまくったものの一つと言うだけなんです。素材もこれまで自分らで集めたものを使っているので、実質0円なんです」
まぁ『なんちゃって抗生物質』については練度上げではなく、今回のために作った物だが、その過程、実験を大いに楽しんだので、エリィとしてはそれだけで満足だし、実際そちらも材料費だとかは別途かかっているわけじゃない。
「ぜ……ぜ、ろえ、ん? はい?」
またやってしまった。この世界のお金の単位は『円』ではない。
「ぁ、いえ『タダ』です。買った素材とか使ってません。ですので、そんな心配はしなくて大丈夫です」
呆然とへたり込んだまま頭を上げたケラシャが、信じ垂れないとばかりに首をフルフルと振っている。
「そんな、そんなことあり得ないよ……だって」
ケラシャの双眸からはらはらと涙が零れ落ちる。
「だって…それ、じゃ………何にも返せないじゃないか…そんなの、あたい」
「まぁ良いじゃないですか、薬とか持ってた私が偶々近くに居た。運が良かった。それだけの事ですって」
しれっとカップに再び口を付けながら、エリィが少しおどけて言う。
「いつも居る訳じゃないですしね、ほんと単なる巡り合わせです。もし何か購入した素材なんかを使っていたなら、その代金くらいは請求してますって」
声もなく涙をこぼすケラシャの背中をヌジャルが宥めているのを後目に、パッタルが渋い表情で首を振った。
「運がいい……それだけで済ますには、貴方様への恩義が大きすぎます。そしてそれを返せないとなれば、我らの矜持にも傷がつきます」
言いたい事はわかる。
自分も反対の立場なら、渡されるものが大きければ大きい程、対価もなく受け入れるのは難しく、感謝よりも先に困惑が出てしまうだろう。
ならばここはひとつ、取引と行こうじゃないか。
「ん~、本当に気にして貰わなくても良いんですけど…だったら色々と教えて貰えません?」
カップを静かに置き、右手人差し指をピンと立てて乗り出し気味にエリィが言う。
「さっき聞きかけてた薬の種類とか、これまでの旅の話とか、如何でしょう?」
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