198話 軽快からの
どうぞと差し出せば、男性は震える手をやっとの事で伸ばし、薬瓶を受け取る。
体力回復ポーションのおかげか、幾分呼吸はマシになっているようには見えるものの、未だに眉根を寄せたまま苦しそうに寝床で丸くなっている少女の口元に薬瓶を近づける。
「ニモシャ、お薬を分けて頂いた。ニモシャ…起きて飲んでおくれ」
男性の悲痛な声が届いたのか、少女が薄く瞼を振るわせて開いた。
「……ぁ…とう……ん」
男性が目に涙を浮かべながら、少女に無理やりにでも笑みを見せて頷く。
「さぁ、お薬だよ。そこにいらしゃる薬師様から特別に分けて頂けたんだ」
少女が微かに頷く様子を見てから、男性はゆっくりと薬瓶を傾けた。
元々それほど量が入っていなかったおかげか、少女は一口で飲み干すことが出来、そのまま再び瞼を閉じて痛苦に耐える。
その枕元でぎつく下唇を噛みしめた男性はエリィの方に向き直り、深々と頭を下げた。
「本当にありがとうございます。もう何もしてやれないのかと……本当に…」
「まだ油断できません。薬の効果が出るにもまだ時間がかかります」
エリィはそう言って少女の額に浮かんだ汗を拭ってやっていると、うぅっと声を詰まらせて男性が咽び泣き始めた。
気まずい何とも微妙な空気をじっと耐えていると、外の様子が騒がしい事に気付く。
「(……なしてってば! あた…は………の所に行くの!)」
「(いや、しかしだね)」
「(座長の言う通り仕事はしただろ!? だいたい何だってあたいが行く必要があったのさ!? 今の看板踊り子はムルメーシャなんだから、あたいが行かなくても良かったはずだよ!)」
テントの分厚い布越しにもはっきりと聞き取れるほど、大きな声が近づいてい来る。
バッとテントの入り口の布が押し上げられ、これまた目の覚めるような艶やかな色彩と美女が駆け込んできた。
「ニモシャ!」
もう前世の物語に出てくる踊り子そのものの衣装を纏った、男性や少女と同じく褐色の肌を持つ美女だ。
その美しい踊り子が少女の枕元に走り寄り、傍についていた男性を押しのけて少女の額を愛おし気に撫でる。
「ニモシャ、朝よりも酷い状態じゃないか……あぁ、どうしたら…」
「落ち着け、ケラシャ落ち着くんだ」
押しのけられたまま放心していた男性が、我に返ったようで、踊り子美女の方に手を添えた。
「ヌジャル……だって、ニモシャがこんなに苦しそうにしてるのに、あたいはなんにも……それどころか挨拶に行かないといけないって言われて近づくこともできなかったんだよ」
「大丈夫だ。俺だって何もできなくておろおろするしかできなかった。だけど薬師様が薬を分けて下さったんだ」
踊り子美女が小さく『え』と声をあげて固まった。
男性に促されて、その華の顔をエリィに向ける。
暫し互いに無言のまま微動だにする事も出来ずにお見合いしていると、突然ケラシャと呼ばれた踊り子美女がエリィに襲い掛かってきた。
病人の傍で騒ぎたくはなかったが、訳のわからない襲撃を甘んじて受ける趣味はエリィにはないので、するりと静かに躱せば、ケラシャが目を丸くした後、バツの悪そうな顔で座り直した。
「いや、あのね、その……ごめんよ。あんたに何かしようとかそんな事思ったんじゃないんだよ。ただ感激しちまって…」
しゅんと項垂れたケラシャに追い打ちをかける様に、ヌジャルと呼ばれた男性が軽く彼女の頭を指で弾いた。
「ケラシャの悪い所だ。思ったまま行動するんじゃないと何度もいってるだろう?」
「うぅ、ごめんよお」
「座長とお前たちも心配してくれてるのはわかってる。だけどお前にしかできない仕事だったんだ、座長を責めるな」
「だけど!」
項垂れていたケラシャがガバッと頭を上げた。
「薬師様が下さった薬のおかげで、ほら、随分マシになってるんだ」
「マシって……もっとひどかったって言うのかい!? あぁ、ニモシャ、どんなに苦しかっただろう……ごめんよ、母さん傍に居てあげられなくて…」
ヌジャルの言う通り、気まずい時間を耐えて看病しているうちに、少女の容態はかなりマシになっていた。
眉間の皺は浅くなり、まだ熱はあるものの脂汗をかくほどではない。痛みもマシになったのか、耐える様に丸くなっていた姿勢だったのが、力が抜けている。
経口だと胃酸などの影響で効果がどうなるか不明だったが、無事効いてくれたようで一安心だ。
そこへケラシャと同じく艶やかな踊り子衣装に身を包んだ、だけど白い肌の美しい娘さんが、腰に手を当ててフンと鼻息荒く声をかけてきた。
「ほら姐さん立って。いつまで恩人の薬師様に看病させる気なのさ。座長も話したいみたいだし、ニモちゃんの看病はあたしが変わるから、ほら、ヌジャルさんも行った行った」
「ムルメーシャ……あぁ、そうだな。すまないが頼めるか?」
「あぁ、頼まれてやるから、ほら早く」
白い肌の踊り子――ムルメーシャと呼ばれた美しい娘が、エリィをエスコートするように手を取ってテントの外へ促した後、ヌジャルとケラシャをテントの外へ放り出す。
「ホッホ、薬師様、本当にありがとうございました」
ニモシャの伏せるテントから出たすぐの所に、褐色の肌に真っ白の髭をたっぷりと貯え、ターバンを巻いた老人が一人、深く頭を下げて待っていた。
「儂はこの一座『ハッファの光軌』の座長を務めるパッタルと申します。貴方様は我らの命の恩人。大したことはできませんが、どうぞ歓待させてください」
パッタルの言葉に、同じくテントから追い出されたヌジャルとケラシャも深く頭を下げた。
その後ろでは同じく一座に身を置く者達だろう人々が、手を取り合って頭を下げている。
皆が追い出されるのと同じくして、ススッとテントから出てきたアレクが、ひょいとエリィの肩に飛び乗った。
【なんや、えらい大事になってしもうたみたいやな…】
【確かにあのまま放っておいたらニモシャだっけ? あの子の命はなかっただろうけど、だからって座長まで出て来られても…ねぇ】
【せやんな……ていうか、ほんまごめん。僕の我儘のせいで…】
【ほんとよ。とは言えこの状況はアレクのせいと言う訳でもないかも?】
エリィとアレクがこそこそと念話で内緒話をしているなど、パッタル座長は当然気付いていないので、頭を下げたままの姿勢になっている。
気づいて慌ててエリィが声をかけた。
「ぃゃ、ぁの…頭を上げてください。手持ちの薬を渡しただけの事で、大したことは何も……とにかく頭を上げて、お願いします」
おろおろとエリィが言えば、一座の全員がやっと頭を上げてくれた。
それにホッとしているとパッタルが好々爺な笑みを向けて来る。
「歓待を受け入れて下さる事、感謝します」
『言ってない、受け入れてない』と返答するより早く、老人とは思えない素早さで、周囲の座員たちに指示を出していく。
「ささ、薬師様、こちらへどうぞ」
「ぁの、私は薬師って訳じゃないんですが……それに歓待なんて…」
「ホッホ、宴の準備が整うまで、どうぞこちらのテントで…色々とお話も伺わせてください」
エリィの言葉を遮るように声を出したパッタルに『このじじい…』と口には出さないが内心思っていると、ケラシャが後ろから話しかけてきた。
「薬師様、あたい達の気持ちなんだ。ニモシャだけじゃない…この一座の命も救ってくださった方に、何としても御礼がしたい、感謝の気持ちを捧げさせとくれ」
こんな色っぽい美女に懇願されては、グッと言葉を飲み込む他ない……はずだが、エリィはしれっと辞退の言葉を出そうとして、その口をアレクに押さえられる。
それを見たケラシャが柔らかく口角を引き上げ、気持ち良い程、朗らかに笑った。
「薬師様の猫様かい? なんとも粋な猫様だね、あたいらの気持ちを薬師様に伝えてくれるなんてさぁ! ささ、入っとくれ!」
冷ややかな空気をアレクに向けるが時すでに遅し、どうやら退路は断たれた様だ。
ここまでお読みいただき本当にありがとうございます。
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修正加筆等はちょこちょこと、気づき次第随時行っております。お話の運びに変更は無いよう、注意はしていますが、誤字脱字の多さ他等、至らな過ぎて泣けてきます><(そろそろ設定も手の平クル~しそうで、ガクブルの紫であります;;)