160話 それぞれのその後 その5
静かに浮かび上がる魔紋の縁に沿って、部屋の奥まで行きついたヴェルザンは、置かれた木箱と袋の前の方に先に立つ。
膝をついて木箱と袋の中を確認するが、剣と盾が無造作に突っ込まれているだけだ。どちらも彼の予備装備なのだろうか。だが、それ等も薄っすらと埃を被り、最近動かされた形跡はなく、当然手入れもされていない。
ついでそれらの横にある布の掛けられた小山の前に移動し、そっとかけられていた布をめくりあげた。
「「「………」」」
そこにあった物に、全員が重苦しく沈黙する。
きちんと畳まれているそれらの一つを手に取り、ヴェルザンが広げれば、小さな、だけど庶民でさえ着用しない粗末で、茶色く汚れたチュニックだった。
長く洗濯さえされていないだろうそれは、本当にボロボロで所々に穴が開き、酷い臭いを放っている。
「ここにこんな物があるということは、子供を連れて転移してきた可能性が高くなりましたね」
「……ねぇ、これってどういう事よ」
怒っているのか訝しんでいるのか、ナイハルトの綺麗な顔が歪んでいる。
ヴェルザンは立ち上がって膝についた汚れを手で払ってから、2人に向き直った。
「情報が入りまして……コッタム子爵が王都から子供を一人連れて居た可能性ありと」
「は? 何それ……そりゃドッガさんの話では子供を連れてたって言ってたけど……王都から? だから転移を考えたって事? だけど馬に乗ってたって」
「へぇ、じゃあここはコッタム子爵が使ってた魔紋なんだよなぁ? なんだってそんな事をお前さんが知ってんだ?」
「先だって言ったように一部の者は教えられるんですよ。それに本当に好き放題に設置されたら困るでしょう? ですから前もって将官1人ずつ、どこに自分用の魔紋を置くのかは言ってもらってから調整するんですよ」
そんな『トクス』として重要な話を、一介のギルド員如きが聞いていいのかと困るような話他を聞かされて、混乱している様子のナイハルトとラドグースに情報共有する。
「ゲナイド様にもお伝えください。憶測も入りますが、恐らくそんなに大きく外れてはいないでしょう。
ドッガさんが見た子供と言うのはホスグエナ伯爵嫡男と思われます」
ヴェルザンがボロボロの小さな、衣服と呼ぶのも躊躇うような布切れに一瞬視線を動かし、送られてきた情報の文面を思い出す。
《王都からコッタム子爵がホスグエナ伯爵嫡男を連れ出した可能性あり。至急コッタム子爵を確保願いたい。
可能なら子供の行方も調べて欲しい。
嫡男の誕生届は出されているものの生誕披露もなく、存在を秘匿されているので魔力ナシという噂は事実と思われる。
詳しい情報は後程送る》
「アレを見る限り大事にはされていなかったのでしょう。その子を転移でここまでコッタム子爵が連れてきて衣服を着替えさせた。その後何処かへ移動する時ドッガさんに見られたのだと思います」
「はぁ? 着替え? いや、でもそうか、う~ん、よくわかんねぇな」
ヴェルザンの言葉にラドグースが盛大に疑問符を飛ばす。
「そしてその子供は……生きていないと考えています」
「「!!」」
「ちょ、ちょっと待ってよ、子供を連れてきたってそれだけで、なんで死んでるとか言う話になる訳?」
ナイハルトの疑問は最もだ。
「えぇ、普通なら考えられない事ですが、ホスグエナ伯爵嫡男は魔力ナシと言う噂があり、それは恐らくですが事実だと思われます。
それというのも生誕披露もされていませんし、完全に彼の存在はないものとしての扱いらしいのです。まぁ、私が直接調べたわけじゃなく、伝聞で申し訳ありませんが。
ですが、魔力至上主義とも言える彼らですから、嫡男の存在はどうにかして切り捨てたかっただろう事は容易に想像できます」
「なるほどね……だけど粗略な扱いをしていても直ぐに消さなかったのに、今更?」
「それについてはまだ何も…申し訳ありません」
「お貴族サマってぇのは、俺には理解できねぇわ」
「って、アンタねぇ! ごめん! ヴェルザンさんはその……」
ラドグースの言葉に頷いていたナイハルトが、思い出して慌てている。
「いえ、私は『元』ですし、魔力の有無だけでどうこうするような、現在の貴族のあり方にはうんざりしています。魔力がないと言うただそれだけの事で命を奪われるなどあってはならないとも」
「……そっか、うん……だけど難しい問題よね。現に魔力の高い貴族たちがこの国の防衛に寄与しているのは事実だし。でもだからって殺すなんてとんでもない事だわ」
「はい、ですので恐らくそれに加担したコッタム子爵の確保をお願いしたいのです」
『確保』と言う単語にナイハルトは一瞬唇を噛み、ラドグースも視線を伏した。だがすぐに口角を片方だけ上げて笑う。
「私、ううん、私だけじゃないわ、この西方に暮らす誰もがコッタム子爵には感謝して憧れてるのよ。だから彼がなんの理由もなく、こんな事に加担したと思えないわ。それにどうしたってホスグエナが絡んでるんでしょ? だったら彼自身も危ないもの。『保護』しにいかなきゃ!」
ヴェルザンは黙したまま、慌てて走り出て行ったナイハルトとラドグースの背中を見送った。
薄い膜をゆっくりと、だが確実に剥がしていく。
精霊を核にした大きな黒真珠をなす膜は、剥がした途端黒く輝く粒子となって霧散する。
ただでさえ濃い目の瘴気が更に濃くなったように感じられた。
セラとレーヴが周囲の警戒にあたってくれていて、時折濃くなった瘴気が集まって渦を形作った途端、容赦なく踏みつぶし切り裂いた。
いったいどれだけの膜を剥がしただろう……。
いったいどれほどの時間が経過したのだろう……。
エリィは思考が止まったように黙々と剥がし続けていたが、ふと息を吐いて周囲を見回せばレーヴと目が合った。
「エリィ様……ちょっと休んだらどうだい?」
声を掛けながら近づいてくるレーヴの後ろでは、セラがまた渦を一つ砕いていた。
「ん……そうね、だけど千里の道も一歩からって言うし、まぁ頑張るわ」
瘴気の膜、いや、言い換えれば純度100%の瘴気の塊だ。
それに触れて平気でいられるのは、今の所エリィしかいない。
勿論この世界のどこかになら他にも居るかもしれないが、現状エリィしかおらず誰かに変わってもらう事もできない作業ならば、少しでも進めてしまいたい。
「でもさぁ、休憩なしは良くないよ」
「……ぅぅん…そうかもだけど、時間がかかればかかるほど二人の負担も増える訳で……」
「アタシらの事は良いんだよ、交代で休むこともできるし、渦だって一撃で終わりさ、大した労力じゃない。だけどエリィ様の作業はねぇ……」
どことなくぼんやりしたまま、それでも剥がす手を止めないエリィに、レーヴの綺麗な顔が曇る。
「この作業初めてどのくらい時間たったかわかる?」
「時間ねぇ、これだけ濃い瘴気に囲まれてるとさっぱりだねぇ」
「すまない主殿…俺にもわからん」
セラもレーヴも渦を破壊しているが、あれを放置したらどうなるのだろうとか、どこか現実逃避したような、どうでもいい事を考えたりしている自分に、エリィはそっと溜息を吐いた。
3人それぞれの作業に、まだまだ終わりは見えない。
ここまでお読みいただき本当にありがとうございます。
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修正加筆等はちょこちょこと、気づき次第随時行っております。お話の運びに変更は無いよう、注意はしていますが、誤字脱字の多さ他等、至らな過ぎて泣けてきます><(そろそろ設定も手の平クル~しそうで、ガクブルの紫であります;;)