152話 過去から伸び落ちる影
ギリッと歯を食いしばる音まで聞こえそうに表情を歪めているヒースに、ローグバインは狼狽えた。
「ヒ、ヒース?」
名を呼ばれハッとしたように表情を納めて顔を上げる。
「済まない、あんな顔をしてしまうなんてな……だが失態だ」
「失態って……何が失態? コッタム子爵について何を思い出したって言うんだ? コッタムに限らず、この国の貴族については一応先代まで遡って調べたじゃないか」
「あぁ、そうだな。だが先代に影響があっても不思議じゃない先々代以降は余程じゃない限り調べてはいない。思い出したのは先々代の話さ。
その当時と言うと、この国は腐敗し至る所で内乱の芽が撒かれていた。そこらじゅうで小競り合いなんかは発生していたんだ、だから目立つことなく抜け落ちていた…」
ヒースの言葉にローグバインも記憶の抽斗をひっくり返す。
先代の頃はあわや内乱勃発かという所までこの国は至った。だが当然だが内乱に至る様々な問題はそれ以前から何年、何十年と燻っていたのだ。
ここゴルドラーデン王国は海に面しており、国の東端には大きな港がある。東の大陸との交易はほぼここを通ると言っても過言ではない。それ故国の税は多くが港と外交に使われ、西側の整備は甚だしく遅れてしまっていた。
病が発生すれば封じるだけ、大雨が降れば水が溢れ、火事が起これば燃えるに任せるなんていうのは日常茶飯事だった。これで民の不満が溜まらないはずはなく、とうとう10年以上前になるが腐敗貴族の大量粛正と王位交代劇を演じ辛うじて内乱に至らぬよう収めたものの、5年ほど前にはスタンピード発生と言うおまけまでついて、未だ綱渡り政治を辛うじて続けている状態だ。
「やはり私の記憶にはこれといったものがないんだが」
渋い顔のローグバインがヒースに顔路向けながら首を傾ける。
「どこもかしこも派手に浮き沈みしているから記憶に残っていなくても当然だ。しかも直接的な繋がりではなく間接的なんだ。
当代と先代のコッタム家は悪い意味では目立つことなく家を存続させていたが、先々代には確か水害だったか…それでかなりの借金をして、それを救ったのが先々代のホスグエナ伯爵家に嫁いだ家だったはず」
「嫁いだって……ヒース、夫人の家まで把握してるって言うのか? しかも先々代? 相変わらず出鱈目な記憶力だな」
「そうでもないさ、先々代ホスグエナ伯爵夫人の実家はタナーオン子爵家なんだよ。それで記憶の隅に残ってたって言うだけだ」
「タナーオンって、今は残っていない家じゃないか」
「そう、当のホスグエナ伯爵に嫁いだ娘以外は一家惨殺の憂き目にあったと言う家だよ」
「その件は確か解決していたと思うんだが」
「あぁ、タナーオン子爵領で揉め事を起こした貴族が逆恨みで起こした事件だな」
「……済まない、どんな揉め事かさえ思い出せない」
ローグバインは記憶を絞り出そうとするかのように眉間の皺を深くしていたが、そうにも思い出せないようで早々に白旗を上げた。
「そこはそれほど重要じゃないが、タナーオン子爵領の領民に手出しした貴族……子息の方だった? すまない、その辺りが曖昧だが、問題を起こした側にタナーオン子爵が抗議したみたいなんだ、それを逆恨みして嫁いだ娘以外の一家を惨殺したって顛末だよ」
ローグバインは切っ掛けとなった事件の顛末を聞いて、思わずうわぁと小さく零した。
「タナーオン子爵家はそこで途絶え、抗議された側の貴族家も今はない」
「何にせよ、些細とは言え繋がりはあったという事か……」
「そうなるな。これについても、もう少し調べてみよう。あまりに以前の事過ぎて辿れるかは甚だ疑問だが、過去はともかく現在のコッタム子爵家を調べるのは然程手間もかからないだろう」
「あぁ、私も早々に部下に命じて東の邸、周辺も含めて調べるよ」
鉛を飲み込んだ様に胸は……いや身体全部が重く感じるが、納得して契約した以上この手帳は早々に依頼主に渡したほうが良いだろうと、カデリオは重い足をそれでも可能な限り急がせてトクス村へと向かっていた。
だがその足取りが胸元に微かな振動を感じた事で止まる。
胸元に手を突っ込み取り出した物は、どこかで見た事があるような掌サイズの小さな箱。
そう、エリィもヴェルザンから渡されていた受信箱だ。
どうやら何か届いたらしい。開けてみれば差出人はクーター。
赤茶けたコインの先にあるクーターの地下部屋には高価な魔具等、目が飛び出すような高額な品々が実に無造作に置かれているのだ。
あんな辺鄙な村の拠点にどうして、と思われるだろうが、人の出入りが多い場所はそれだけで重要なのだ。
王都、領都、港、宿場町、避暑地を始めとした観光地、そしてトクス村の様な中継地等々。それらは地元民以外が出入りしても怪しまれる事の少ない、裏稼業にとっては重要地点なのだ。だからクーターも惜しげもなく金をつぎ込んだのだろうし、それに見合うだけの稼ぎも得ているようだ。
取り出した紙片には『聖英信団 王都』とだけ書かれている。
途端にカデリオは大きく溜息を吐いた。
依頼したのは自分だが、王都まで来いと言う内容に頭が痛くなった。
聖英信団というのは旅神の信仰の場と共に、その地域の土着信仰の場を併設している宗教団体である。
この国、というかこの世界の宗教の主軸は『愛と美と豊穣を司る女神ネフェラティア』を崇める神殿だ。
他に正義を司る神や公正を司る神などを祀る場合もあるが、大抵は『女神ネフェラティア』と共に祀られる。
つまり聖英信団というのはこの国、この世界の主軸宗教ではない。しかし旅の安全を願い要所要所に聖英堂と呼ばれる教会の様な建物を有している為、主軸ではなくとも一大勢力となっていた。
元々は危険な旅をする旅人が無事を願って道の傍らに石を置いて祈り出したのが起源らしい。
そこからそれぞれの土地の民が自分たちの神、つまり土着神への祈りもそこへ捧げるようになり今に至ったのだが、それは表向きの話。
もちろんそれも嘘ではなく聖英信団の側面ではあるのだが、『危険な旅をする旅人』というのが、当時情報をもって走る人々――つまり情報屋の起源となる人々だったのだ。
宗教と言う表の顔と、情報屋と言う裏の顔、どちらもが聖英信団の本当、本質なのだ。
その『王都』とあえて書かれているのは、近場の聖英堂ではなく王都まで来いという意味に他ならない。
カデリオはその仕事柄転移のスクロールも持っていない訳ではないが、これがとんでもなく高価なのだ。金平貨が飛び交う……つまり数百万エクもするという事だ。最もそれは転移先が任意で決められるスクロールの場合であって、今回は聖英堂のスクロールで問題ない。とはいえ、それでも50万エクは下らないのだが。
しかし向かわねばならないだろう。王都に向かった幼馴染の事も含め、エリィから依頼のあった件の情報も依頼しているのだ。勿論自分が王都に居たなら聖英信団を利用する必要もなかったのだろうが、生憎とカデリオ自身は遠くトクス村に居たのだから仕方ない。
時間を節約しようとした結果お金が飛んでいくと言うあるある事態に陥ったカデリオだった。
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