139話 それぞれのその後 その4
「我らが守るこの光景はどうです? 愛おしくなりませんか?」
にこやかに言うケレンデナの言葉が胸に落ちて来る。
押さえた胸は確かに微かな痛みを訴えて来る。守らねばならないと思っているからこその痛みなのだと、ローグバインは黙して眼下の光景を見つめた。
悪習慣を断ち切るためという名目の元、この平穏な光景を動揺させてしまうかもしれないと思えば痛んで当然だ。
「えぇ、そうですね。ありがとうございます。こんな場所があるとは知りませんでした」
「そうでしょう、そうでしょう」
大きく頷くケレンデナが再び家並みを見下ろしているその横顔に、ローグバインはそっと目を伏せた。
「さて、戻りましょう。話は執務室で良いですかな?」
先程までの香水地獄が瞬時に蘇り、ローグバインは顔を引き攣らせた。
「ぅ、ぁ……え、えぇ、はい……ケレンデナ卿の良いようになさって頂ければ」
そのローグバインの表情にケレンデナが笑みを深めた。
「ビレントス卿でも表情を崩される事があるのですな。いや、如何なる時も表情を崩さず何も読ませないと評判なのですよ、貴殿は」
「はぁ、勘弁して頂けませんか? 私はまだまだ若輩の未熟者でしかありません」
さすがに苦虫を噛み潰したような顔をするローグバインの様子に、ケレンデナは追い打ちをかけるのをやめた。
「いや、失礼しました。揶揄ったつもりはないのですが。執務室と言っても王城内の部屋ではなく、馬場の横にある掘っ立て小屋なんですがね、第4は主にそこか、王城外の衛兵詰所の一室で事務仕事はしているんですよ」
「なるほど」
そうして上ってきた坂道を降りている途中、ケレンデナがハッと顔を上げた。
「これは失礼してしまったかもしれませんな。挨拶にだけ来て頂いていたなら、ビレントス卿にはもしかして予定があるのではありませんか? 先にそれを聞くべきでした、申し訳ない」
「いえ、特に定めた予定は今日はありません。このまま話をさせて頂けるなら、その方がこちらには有り難いです。反対にケレンデナ卿のご予定は問題ありませんか?」
「こちらも問題ありませんので、茶会の警備の話をさせて頂けますかな?」
「はい、もちろんです。もっと早くに伺えればよかったのですが」
「いやいや、持ち場の入れ替えなど不測の事態だったでしょうから、お気になさらず。ただどこまで第3からきいていますか?」
「一応ざっくりとは聞いています。第4との連携で王城外、城下の事も頭に入れているとだけ」
「でしたら話が早いですな。執務室で地図を見ながら話を詰めましょう」
地図と言う単語がケレンデナの方から出た事に、気取られぬようにホッと息を吐いた。
エリィ達一行が西の森に入るべく、フィルによる転移を繰り返していた丁度その頃、オリアーナが宿の部屋からやっと出てきた。
言い含められた事もあり、きちんと休息をとったオリアーナの顔からは隈が消え、顔色もマシになっている。
自分たち以外に泊り客のいない宿の食堂フロアは、がらんとしていて少し物寂しい。
2階から降りて来た女将がオリアーナに気づき朝食はどうするのかと問うてきたので、厨房にほど近い席に座り朝食を頼んだ。
パウルのゴタゴタでこの宿にも迷惑をかけてしまっていたが、エリィの軟禁も解除になった事だし、今日からはまた他の泊り客もやってくるだろう。
そう考えれば物寂しい食堂フロアも珍しい場面の一つとなって、これはこれで良い思い出になりそうだ。
そんな事を考えていると女将がスープとパンを運んできてくれた。
コトリと小さく音を立てておかれたそれにオリアーナが手を伸ばし、パンを一つ手に取った所で女将が訊ねてきた。
「今日はどうするんだい? 出かけるならその間に掃除しちまおうかと思ってねぇ」
「ん~、どうするかな。修理に出した物はまだ出来上がってないだろうし、今警備隊の方に顔を出してもなぁ、色々面倒そうでね。……どうかした?」
女将の表情が少しばかり思案気な事に気づき、オリアーナは首を傾がせた。
「いやね、エリィちゃんの警護って解かれたんだろ? 今朝出かけて行っちゃったし。そうなるとうちとしては他の客を受け入れていいのかどうか」
てっきりその辺りは話が済んでいるとばかり思いこんでいたのだが、どうやらそうではなかったようだ。オリアーナ自身も一旦これで仕切り直しな気分になっていたが、一度ギルドへ赴き確認してみたほうが良いかもしれない。
「一応ギルドの方から迷惑料は貰ってるんだけどさ、働けるのに働かないのって落ち着かないんだよ。もし宿を開けていいなら貰いすぎになる分も返したいし」
「それなら私が聞いてくるよ。今日はエリィも出かけるって言うのは聞いてるし、特に予定はないから、そのくらいはお安い御用だ」
「頼んでいいいかい? 警備隊の方もおちついてないだろうから、そっちにも顔出ししたいだろうけど」
女将に言われてふと視線を斜め上に流す。
ギルド員を辞し、トクスの警備隊員になって前線へ行くつもりだったのに、結局後方配備となりナゴッツへ出向することになってしまった。
パウルからしたら閑職にまわすことで嫌がらせをしていたつもりだったのかもしれないが。
まぁそのおかげで警備隊内に親しい者はあまり増えなかったが、面倒事にも巻き込まれずに済んでると思えば悪くないと思っている。
反対に今顔出しする方が、警備隊の他の面々からしたら煙たがられるかもしれない。
「警備隊の方は、多分大丈夫だろう。じゃあ食べ終わったら散歩がてらギルドまで行ってくるよ」
「悪いねぇ、自分も昔はギルド員だったけど、最近のあの荒っぽい空気がどうにも苦手でねぇ」
女将はオリアーナに申し訳ないと思っているようで、眉尻をさげて片頬を手でおさえながら溜息を零した。
「傭兵のギルド員が増えたからどうしても粗野な奴が多くなったからな。まぁ散歩のついでだし気にしないでくれ」
「そうだねぇ、頼んだよ」
厨房へ戻って行く女将の後ろ姿を見送ると、手が止まっていた朝食を再開した。
スープもパンも綺麗に平らげ、器を厨房へ返すとそのまま外へ出る。
大通りへ出て、ぽつぽつとある露店や屋台を見ながらギルド舎へを目指す。女将の気持ち的には急いだ方が良いのだろうが、少しくらいの寄り道なら問題はないだろう。
顔見知りと言葉を交わしたりしながらギルド舎へ到着すると、警備のギルド員に片手を軽く振って挨拶をし、そのまままっすぐカウンターに座る職員の方へ足を進めた。
「ティゼルト隊長じゃないですか、何かありました?」
「ぁ、いや、ヴェルザン殿に会えたりはするだろうか?」
声をかけてきた職員は見かけた記憶はあるのだが、名前も知らない職員だったので、少し返事がぎこちなくなってしまった。
「あぁ、ヴェルザンさんならこの奥の部屋に居ますから、どうぞ」
あっさりと通され、それでいいのかと少し困惑気味に教えられた通路奥の部屋へ向かい、扉をノックした。どうぞと返事があったのでそっと扉を開ければ、その音に顔を上げていたヴェルザンと目が合った。
「おや、ティゼルト隊長ではありませんか。丁度良いところに…こちらから伺おうかと思っていたところだったんです」
思いがけない言葉に一瞬フリーズしてしまったが、すぐに気を取り直し疑問形で返した。
「丁度いい?」
ヴェルザンに促され室内に入り後ろ手に扉を閉めてから、オリアーナは誘導されるままソファに腰を下ろす。
「こちらが届きまして」
ヴェルザンがオリアーナの対面に腰を下ろしながら一枚の紙片を差し出してきた。
視線で問いかければ頷きが返ってきたので、紙片を受け取りそこに記載された文字に目を落とす。
それはナゴッツからの文で、盗賊を捕まえたので一度戻って来て欲しいという内容だった。
戻るのはいい。
エリィも出かけているし、特に予定もない。いや、警備隊宿舎の自室から発掘してきたものをエリィに渡したいという希望の予定はあるのだが、渡すエリィは不在だし特に急ぐものでもない。しかし修理してナゴッツに持ち帰る予定の農具や武具がまだ仕上がっていないのだ。
どうしたものかと悩んでいると、ヴェルザンが声をかけてきた。
「問題がないようでしたら戻って見ても良いのではないでしょうか? それにナゴッツはここから東…王都方向です。モーゲッツ大隊長が通ってる可能性がないとは言えません」
「……それはそうだな」
自分一人なら馬なりを借りられればそれなりに早く着くだろうし、盗賊の確保しているのであれば確かに心配でもある。
「そうだな……馬なり騎獣なりを貸して貰えたりするか? あと…」
ヴェルザンから騎獣の貸し出し了承を思うと、続けて女将からの問い合わせ内容を伝え、その返事をしてくれるように頼む。
それにも了承を貰うとオリアーナはソファからすぐに腰を上げた。
「それじゃ行ってくる。出来るだけ早く戻るよ」
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修正加筆等はちょこちょこと、気づき次第随時行っております。お話の運びに変更は無いよう、注意はしていますが、誤字脱字の多さ他等、至らな過ぎて泣けてきます><(そろそろ設定も手の平クル~しそうで、ガクブルの紫であります;;)