126話 離宮の一室にて
「それで? 何か動きがあったのですか?」
「えぇ」
さらりと言葉遣いを戻し訊ねてくるヒースを何気なしに見る。
よく見れば整った顔立ちなのに、その存在感は薄い。ダークブラウンの髪に同色の瞳で、目立つ色でない事も影響はしているのだろうが、いつの間にか見失っている事など珍しくもない。
子供の頃はもっと存在感があったように記憶している。彼自身は何も言わないが、鍛錬の賜物であろうことは想像に難くない。そんなヒースだからソアンの傍近くに仕えながら護衛も兼任できているのだ。
とは言え、ローグバインは仮にも騎士であり侯爵家当主でもある自分と、目の前の男を内心で比して軽く溜息を零す。
幼い頃から変わらぬ年齢差もあって、その背中がとても遠く見えてしまい自分が酷く矮小に思える。そうした小さな感情のささくれに気づいてか、ローグバインの前では時折態度を崩してくれたりする細やかさも、格の違いを見せつけられるようで凹みそうになりはするが不思議と腹立ちはない。
取り留めもなく自分の内側に浸っていると、どうやら離宮の主の準備が整ったようだ。
「ふぁ、おはよう。ローグは早起きだな。私はまだ眠いよ」
「申し訳ありません。少しお耳に入れたい事があったのですが、時間を改めるとしましょう」
奥の扉から部屋に欠伸をしながら入ってきたソアンは、元々癖のある金髪を整えもせず、とても眠そうだ。ガウンを羽織ってはいるが恐らくその下は夜着のままだろう。かかっていた準備と言うのは身だしなみを整える準備ではなく、起きだすための準備だったという事だ。
ローグバインは仕事柄もあって仮眠程度でも問題はないが、やんごとなき王族の一員でもあるソアンには問題しかなかったようだ。
勧められたソファから腰を浮かし、そのまま退室しようとするローグバインをヒースが止める。
「いえ、このままお願いします。怠惰な生活習慣を改めて頂ける機会は逃せませんので」
にっこりと笑ってローグバインの腕を掴むヒースの力はそこそこ強く、どうしたものかとソアンに視線を向ければ、向かいのソファに身を沈めた彼が手で座れと指示していた。
逆らう必要もないので大人しく元の位置に収まり直せば、ヒースの腕はするりと離れ、またいつの間にか少し離れた所に移動しソアン用のお茶の準備をしていた。
「それで? 何か動きがあったか?」
ふいに先刻のヒースの言葉がそっくりだったことを思い出し、笑みが浮かびそうになるのをすんでの所でとめて、ローグバインは少し身を乗り出した。
「はい、それで御報告と御相談に」
室内には彼ら以外誰も居ないのだが、つい声を潜めて言うと、ヒースが姿勢を戻し軽く一礼する。
「何か摘まめる軽食でもご用意しましょう。ビレントス様もお召し上がりになりますでしょう?」
そう言うが早いか、くるりと背を向けて歩き出そうとするのを、今度はローグバインが止める。
「いえ、ヒース殿も一緒に聞いていただいた方が早いでしょう」
「ふむ……じゃあ私室の方へ移動しよう。ヒース、摘まめるものなら野菜だけのサンドイッチがいい」
「畏まりました。ビレントス様用には別でお作りしてお持ちします」
ヒースが厨房へと向かい別行動となった所で、応接室を出てホールに抜けるとその奥の階段で2階にあがり一番奥の扉の前に着くと、ソアンはポケットから鍵を取り出した。
「相変わらず…ですか」
「仕方ないだろう、使用人の身元は調べてからしか採用してはいないが、その後買収される場合もあるからな。出来得る限り信用できる者で固めてはいるが穴がない訳じゃない。この鍵だって魔具ではあるが複製できない訳でもないしな」
ソアンの私室に入れば現王弟でもあり、公爵と言う立場にある者でありながら室内は恐ろしく閑散としている。
一つ一つはどれも豪奢で値打ちのあるものではあるのだが、置かれているものが驚くほど少ない。
テーブルと椅子が4脚、それ以外は酒瓶の並ぶ小さめのキャビネットがあるだけだ。
「適当に座れ、まぁその椅子しかないがな」
「いえ、では失礼します」
「おい、私室に来たのだからその堅っ苦しい喋り方はやめろ」
「……はは、わかったよ」
―――コンコンコン………コン
少し不思議なノックの音がして、それにソアンが入れと声をかけると、ワゴンを押してヒースが入ってくる。
すぐさま施錠するのはここでは日常の光景だ。
「お待たせしました」
「ヒースもその話し方を止めろ。ここは私の私室だ」
「……私は貴方様の侍従でしかないんですが、それを言って納得して引き下がるソアン様ではありませんでしたね……はぁ、わかったよ、これでいいか?」
「あぁ、私室でまで息苦しいのは御免だ」
ヒースがソアンの前に野菜のみのサンドイッチと紅茶を置き、ローグバインには同じ野菜サンドと燻製肉のサンドイッチの皿と紅茶を置いた。
ソアンの対面に座るローグバインの隣に椅子を引きヒースも腰を下ろした。
「で? どんな報告が来たんだ?」
サンドイッチを優雅に食べながら問いかけるソアンに、ヒースが頭を振った。
「ソアン、食べ終わってからにしろ」
「やだね。腹は減ってるし、報告も聞きたい。公の場だけ取り繕ってれば何も問題ない」
そう言って優雅な所作ではあるのだが、パクパクと口にサンドイッチを送り込む。
「はああぁぁぁぁ……仕方ない。ログ話してくれ」
盛大な溜息を吐くヒースに苦笑いしながら、ローグバインは頷き懐から2枚の紙片を取り出した。
それらをヒースが受け取りざっと目を通すと、テーブル越しにソアンに手渡す。
「ふむ…白暗月29というとおよそ一ヶ月前か……何かあったか?」
「一ヶ月前…ホスグエナ伯爵とそれに繋がる方々に関してか」
「そうなんだが、何かあっただろうか、特に目立ったことはなかった気がするんだが」
ローグバインが困り顔で漏らすと、ソアンもヒースも自分の記憶をひっくり返しているのか室内が沈黙に支配される。
その沈黙を小さく揺らしたのは、ヒースだった。
何か思い出したのか椅子から立ち上がり、少し待っててくれと言い残して施錠された扉から出ていった。当然廊下から施錠することも忘れない優秀な侍従だ。
暫くして戻ってきたヒースの手には大層な装丁の分厚い本が一冊。
貴族名鑑だ。
「名鑑? そんなもの何処から持ってきた…一応持ち出し禁止だぞ」
貴族名鑑はここゴルドラーデンでは王城警護の第1騎士団で保管されていて、基本的に持ち出し不可とされている。
何時でも誰でも閲覧できるものではないのだ。
「第1騎士団の倉庫で他の書類に埋もれていたんだよ。多分誰も持ち出されてることに気づいてないさ」
同じ王城勤務とは言え、第2騎士団と第1騎士団では全く異なる。
第1騎士団は近衛師団と共に王城宮殿内を警護しているが、第2騎士団は王城宮殿外の警護を担当している。
ちなみに第3騎士団も第2騎士団同様、王城宮殿外警護。第4騎士団は衛兵隊を指揮下に置いて王都警護。第5、第6騎士団は要請に応じて派遣される魔物討伐を主な任務とししている。
「後で一応戻しておけよ」
「あぁ、気が向いたらな」
適当な返事をしながらもヒースの視線は名鑑のページから離れない。
そんなヒースにソアンはやれやれと肩を竦めた。
「あった」
ようやっと顔を上げたヒースが、その指先に持っていたのは本に挟まれていた覚書の紙片だった。
さすがに無断で持ち出した貴族名鑑に書き込みをするのは気が咎めたらしく、気になった事や、変更変化があった部分について紙片にメモって挟んでいたらしい。
その紙片に目線を落とし、ヒースは本をテーブルに置いて空いた手を顎に当てて黙り込んだ。
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