1 父親の苦悩
※中途半端に知識を捻じ込んでいましので分かりにくかったらすまんでな
急峻な金華山の上にそびえ立つ岐阜城は、その険しさと入り組んだ城の構図、周辺に散りばめられたように立てられた砦の数々から、難攻不落の城として名高い。しかし、守り手の中での裏切りや兵力の少なさから、敵の手に渡ってしまったことも多い。
睦月となると何処のであろうと山は一層凍える。暖かさがなければ例え堅牢な城でも兵が戦えない。火は大事だ。火鉢に炭を並べ、火を起こす。朱色に盛りパチパチと鳴る炎の中に手紙を引き千切って投げ入れた。端々から黒く焦げていく様をじっと見つめる。
「誰からの書状じゃ」
「言えばどうする」
「知れた事。訴えるのよ、殿に」
「忠臣気取りめ。お前も裏であれこれと企んでおる癖に、自分だけがばれていないと自惚れているのなら大間違いだぞ」
「手厳しい奴」
何が手厳しい、だ。相も変わらず白々しい奴め。
長岡藤孝は胸中吐き捨てた。彼が昔「細川藤孝」を名乗っていた頃、室町将軍家に仕えていた時から、現在向き合って手を火鉢で暖めているこの惟任(明智)光秀とは悪友であった。将軍家にいた期間を考えると藤孝の方が先輩格となるが、光秀は彼より年上である。威張り散らすのも爽やかな気分にはならないと考え友人として接してみればこの通り。互いにあれこれを隠し合う悪友の関係性を維持している。
「殿から聞いたか」
「何を?」
「婚姻の話よ。我が惟任家と長岡家の」
「あぁ。あれか、適当に済ませば良かろう」
「つくづく殿は我等を信頼しておらぬ」
「今更。そんなだから公方様にも見捨てられたのじゃ」
「まぁまぁ」
「まぁまぁ?何を宥めておる。十兵衛、お主とて思う所はあろうが」
「思う所はあれども言うに及ばず。誰に聞かれておるか分からぬぞ」
「京じゃ持ちきりだがな」
藤孝は持ってきた包みを開いた。仮にも友人を訪れ相談を受けて貰う手筈であるので、最低限の礼儀はきっちりとしておこうと考えたのだ。彼の居城である青龍寺城(勝竜寺城)から京の都は近いのでお土産に適した品物も数々集まっている。
「ほれ、これで良いのだろう」
「三条のか」
「そうだ、三条のだ」
二人にとって馴染みのある三条の店、茶請けには必ずこの饅頭を選んでいた。
「やはりこの味だな。小豆はただ甘くすれば良い訳でもない。...しかし、別に儂との仲で気を遣わなくとも良かったのだが、わざわざすまぬな」
「そう、それでだ」
藤孝が話を切り出すと、光秀もまたずいと顔を近付けた。小声で話すことも多いからだ。
「あ、いや。その話ではない。婚姻だ、婚姻」
「そちらか」
「知れた事。寧ろそれ以外で汝と話すことなどないわ」
「確か、そちの長男殿だったか?熊千代殿と申したな。聞きたいのはその熊千代殿の相手であろう?」
「あぁ、そうだそうだ」
「そうだな、儂の娘じゃが...」
さて、御家の存続も面子を第一に考えるこの長岡藤孝という男。思考の中で連綿と渦巻く懸念を相談しても良いのだろうかと悩んでいた。武士にとって肝心なのは「食い扶持と面子」である。そのために御家を保つ。舐められては支配者(領主)としての面子が損なわれる。斬り捨て御免ではないが、尊厳を守るために目の前を通り一礼もしなかった町民を斬った武士も沢山いるのだ。
藤孝にとっての懸念事項。別に惟任家からの娘が問題ではない。正直誰でも良い。それは彼の息子、長岡熊千代にあった。刀を握ればよろけて倒れ込む。弓を番えば弦を切る。火縄への着火を誤り火縄銃が暴発。などとキリが無い。采を振らせてみても各隊の連携を取ることができない。熊千代の指揮に従ってしまうと、まるで生まれたての赤子がジタバタとしているような稚拙な動きが目立ってしまう。言うなれば不出来であるのが熊千代だった。
まぁ目の前のハゲ茶瓶が斯様な事を気にするような人間ではないのは把握している。この男は子供の至らなさに危機感を覚えない。蝶よ花よと可愛がっているのは藤孝もさんざっぱら聞かされている。一方の藤孝が「不肖の息子に家督を継がせれば御家の名前に傷がつく」「いっそ他の子に任せるべきか」「いや、それでは・・・」と悩んでいるというのに楽観的な光秀の自慢話は苛立ちを増幅させるのに十分であっった。
「この前なんてな、儂の娘が全く色を覚えぬことに心配した煕子が言うものだから少し化粧をさせてみたのじゃ、するとまぁ目の前に現れたのはまるで弁天様の生まれ変わりではないかと思えてしまう程の・・・・・・どうした、聞いておるか」
「ん、あ、あぁ。聞いておる、聞いておるぞ」
「そうか。まぁ弁天様のような凜々しさ美しさがあったのだが・・・」
「あー、惟任殿」
途端、光秀の緩みきった顔がしゃんと変わった。互いに名字で呼び合う時は必ず重要な話(今後の戦略から裏の諜報、敵からの勧誘への対処まで)をする。
「実は我が子息が身体を弱まらせておってな。大人数で宴だの何だのとすれば悪化させてしまうやもしれぬ。典医からも安息を保つよう釘をさされてな。それ故、婚姻に際して全て当方に任せて頂けると有難いのだが」
「であればこちらからは娘と、付きの者数名に留めておこう」
「有難い」
「それ位ならば何とでもなる。では、宜しく頼みますぞ。長岡殿」
(おかしい)
娘を溺愛している光秀なら、少しは食い下がろうとするだろう。しかしすんなりと決まってしまった。何のわだかまりも無く。だが話は済んだのだし要望も通せた。熊千代の不出来を光秀に見られる可能性も無い。
(まぁ、どうにでもなるじゃろ。ウム)
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藤孝が部屋から出て行き、足音が聞こえなくなったところで光秀はようやく溜め息を吐いた。
「上手く隠せたかのう」
光秀は先日の出来事を思い出していた。
【先日】
麓の天主御殿の広間にて、お互いに顔を見合わせる者が二人。片方は上座に座り、もう一人は上座の向かいに胡座をかき、二人の関係性が主人とその家臣であることがわかる。しかし、通常のように格式と威厳をもった面会ではなく、お互いに楽な姿勢で和議藹々と話し合っている。のどかな昼、爽やかな風が広間を突き抜け、平和な一時がそこにあった。二人の話は、お互いの家族の話題に移り変わっていった。
「それで、汝の娘がどうしたというのだ」
上座から相手の様子を窺うように顔を見合わせ、気さくに問いかけるのは、この堅牢な岐阜城の城主、織田信長。かつてはこの城を落とした者の一人。つい最近、味方のはずであった征夷大将軍、足利義昭の裏切りにあったが、危機を回避し、逆に将軍を都から追放した戦の申し子である。現在は朝廷と協力し、天下の平定を進めている。
「はい、実は娘の嫁ぎ先が見つからぬのです」
「娘?そちの娘というと・・・確か、ああ、あの跳ねっ返り娘のことであるか」
「はい、その娘がどうにも我儘で・・・・・・」
「むむ、確かに困ったものだ」
信長は高坏にのせてある金平糖の盛り合わせから一掴みし、口の中に放り込む。砂糖の誘惑するような匂いが微かに感じ取れる。口に物を入れたまま、信長は続けた。最早お構いなしである。
「しかし十兵衛、普通は時の動きに沿って、子の相手を決めるものだ。何故そうせぬ」
「確かにそうすべきやもしれませぬ。しかし、それでも拙者は悔いの無いような縁談をしてほしいと考えていまする」
「殊勝な考えよ」
この時代では、王権や地域勢力の意向に沿って、子供達の結婚が決められる。それはお互いの勢力で争いがないようにするための保険であり、もし争いが起きた時の人質にもなりえる。何よりも生き残りと主家の存続が必要な時代の賜物である。常識、当然と言って良い。しかし、光秀はそれでも娘には苦しんで欲しくはなかった。例え自由なものではなくとも、自身の都合で振り回されないような人生を送って欲しかったのだ。
「色々と候補を挙げてみたり、娘と相談したりはしたのか?」
「無論相談もしましたが、勝手に決めれば良い、私は私で好きにやらせて貰う、の一点張りでして」
「では勝手に決めれば良いではないか」
「殿、確かにそうとも受け取れますが、これは『そもそも婚姻が嫌だ、だから誰でも変わりはしない』という、言うなれば諦念ということでもあります」
「ほう、成程な」
「元より娘は破天荒、男の子よりも武芸を好み、女子らしきことには一切見向きもしませぬ。この前も、どこからか鉄炮を自分用にのみ買ってきて狩りやら射的やらで使い回しております。女子らしくあることに興味が無いのやもしれぬのです」
「オレもそうだったからな、人のことは言えぬ」
信長は哄笑した。信長自身、性別の違いはあれど、若い頃は手に負えない暴れん坊だった。笑いをこらえながら、少々ムスッとした表情を浮かべている光秀に提案する。
「それでは、細川・・・・・・ああいや、今は長岡であったな、長岡藤孝の息子が相手として相応しいのではないか?」
「はぁ、長岡殿の」
「彼奴の子息は臆病だが丁寧で、虫一匹殺せぬような姫のような奴と聞いた。そちの武士の様な娘となら丁度良いだろう」
「しかし、娘は「弱虫は嫌いだ」と言って聞きませぬ」
「合わないと思うような人間同士、結束できると強い。それに、明智・長岡両家にとっても、連帯が強力なものになって悪くはないだろう。それに、男勝りなそちの娘を見て、長岡家の跡継ぎも奮起するやもしれぬ」
怪訝な顔に変わる光秀。信長は立ち上がり、午後の暖かい斜陽を浴びようと縁側に移動する。背を伸ばし、欠伸をかみ殺すようにこう付け加えた。
「まあ最後に決めるのは父であるお主だが、オレはこの組み合わせが一番だと思うぞ。お互いに足りないところを補えるからな」