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築山殿  作者: 瀬緒 遊
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四・蜜の菓子

 減敬にとって、その任務は笑ってしまうほど容易で楽しいものだった。


 築山殿という女性は、野良娘でもこうはあるまいというほどたわいなく、哀れになるほどあどけなかった。


 召し使われるようになって間もなくのころ、愚痴を聞いてやった時には涙をこぼしてこんなことを言った。

「わらわの思いをこうして思いやり深く聞いてくれたのはお前が初めてじゃ。誰も彼も、大殿がわらわ母子を取り戻すためにどれだけ骨折ったか考えろだの、日の出の勢いの織田徳川にあるほうが今川におるより幸運だろうだの、励ますつもりか叱るつもりか、見当違いなことを言う。わらわはただ、わらわの思いを聞いてくれる者が欲しかっただけなのに。」


 多くの人間が死に瀕して見せる赤裸な姿を見てきた減敬であれば、これだけで築山殿がどのような人間か判じるに十分だった。


 戦であれ政争であれ、自らが起こしたのでも招いたのでもなければ関わりないものと思っているこの手の女性であれば、受けた苦難は義元のため、氏真のため、もしくは夫のための苦難としか思われず、時代や政や戦を説く夫は話をそらし煙に巻こうとする不実に見えただろう。また国や一族のために使い果たすべき人生しか知らぬ家康には、こうした妻は理解の他でもあっただろう。


 怪我人病人を多く看た減敬は、絶望の人には同情しか薬がないのをよく知っていた。大変でしたな、よくお耐えになりましたな、などの意味のない耳さわりだけよい言葉を合いの手に話を聞くだけで、やすやすと築山殿は減敬の手に落ちた。


 減敬は注意深く大賀弥四郎と通じ合い、早い時期に築山殿を内応させることの困難を武田に申し送った。この女性は政治にも復讐にも興味を持たず、そそのかして造反させてもむしろことの重大を理解せず機密を漏らしかねない。いずれにしろ、強い主体性を持たない人間では謀反もできかねるというものだ。


 そのためこの二人の間者は、主に信康を破壊させることと、織田家を代表するその若妻との間柄を険悪にすることに的を絞ったのだが、大賀弥四郎という男は刑吏としてだけでなく裏切り者としての才能もあったらしい。


 その優しげな微笑みを浮かべた唇と実直そうな声音で、ありもしない敵意と疑惑を信康に吹き込みその精神を崩壊させていく手際に減敬は感嘆した。あの怪しげな男、さきほど道中で見た者と同じではございませぬか?弥四郎がそうささやくだけで、この少年は無辜の村人を間諜と断じて射殺した。


 信玄率いる武田軍が三方ヶ原で徳川軍を散々に打ち叩いた後、信康は弥四郎になんと聞かされたものか、妻徳姫に散々に当たり散らした。この大事に援軍を出さぬ織田家には誠意が見えぬ、両家の楔にと嫁入っておきながら役にたたぬ女子と罵ったと、女中の端までが首を縮めて信康の影口をきいた。


 減敬も弥四郎に倣って、しかしこれはほとんど悪意の作為だけを目的に築山殿をそそのかした。


 織田だけでなく、武田家とも縁を求めておくが利口かと武田の家臣の娘を信康の側室に勧めたのは築山殿だったが、それは減敬の教唆によるのを彼女本人が気が付かなかったほど巧みに行われた。もちろんそれは徳姫だけでなく、武田に多くの同胞を討たれた家中一党を激昂させ、もともと不人気だったこの母子の評判をますます落とすこととなった。 


 そしてある宵、減敬の言葉にのせられた築山殿の言いつけで家康のもとへ菓子を持って渡ったお万に、家康の手が付いた。


 枕席に侍る役目は終わったと判断した武将の妻は、自分の侍女の中からその代わりを差し出すことがよくあり、家康は築山殿がそうした意図で女を送ってきたものと思った。酒は飲まぬが甘味は好む大殿に、蜜をからめた珍しい菓子を贈る使いにと言われて来たお万も、その場になってもしかしたらと思い当たり、それならば受けねば不忠と覚悟した。


 後でこれを知った築山殿はわなないて憤慨した。女主人とその大殿との間で悩み続けてきたお万が妊娠のための体の不調で失神したのを、それと知らずに労っていた築山殿だった。かわいがっていたお万による裏切と、どの女でもよかろうによりによって一番の気に入りに手を付けた家康の当てつけと受け取った。


 築山殿が思わず手を振り上げた時、お万は「大殿のお子でございます!」と叫んだ。もし折檻のために子が流れでもしたら、築山殿がその咎を責められようと懼れたお万の咄嗟の叫びだったが、築山殿の耳にはそれは「我は大殿のお腹様ぞ」と響いてしまった。


 その後の乱心ぶりは、腹の出てきたお万を裸にむいて打ち叩き、庭の木に縛り付けたとまで噂された。実際にそのようなことがあったのかどうか、当のお万はもとより築山殿の侍女らは口を閉ざして語らなかったが、どういうわけか執拗に噂は広がり、築山殿は狂っておられるという影口が声高に交わされた。信康、築山殿の母子に対しわずかに残っていた徳川家中の尊敬や親愛は、これでほとんど一掃されてしまった。


 そしてその年、信長をずいぶん怒らせていた朝倉氏が一条谷で滅ぼされ、信長の妹が嫁いでいた浅井氏も小谷城で滅亡し、武田信玄は死んだと噂がたっていた。


 織田信長の天下人への道が現実的なものとなり、徳川家康はその同盟者としてゆるぎない実力を蓄えて行った。

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