一・漢人の医師
「私もはじめは志を持っていた。」
この男は時折そんなことを言う。そんな時は決まって、蔑んだような冷たい笑みをその整った口元に浮かべている。
名は減敬。父は漢人で医師だったという。日本に帰化し、何人か生まれた息子のいずれもが出来が良く父の跡を継いで医師や薬師になって繁盛したが、その一人が減敬だった。
父のもとで修業した後はどこかに医局を構えることもできたが、減敬はわざわざ戦地を追ってそこで槍傷、刀傷を負った者の手当てをすることを選んだ。
鎧兜の騎馬武者ならば抱えの金創医の療治も受けられようが、大部分の雑兵らは傷に馬糞を塗りつけるのがせいぜいの手当で、ほんの少しの知識と薬があれば死なずに、もしくは不具にならずに済んだ者らは数も知れぬほどだった。それらの人々の元へと、減敬は引き留める両親の手を振り払うようにして自作の薬を詰めた袋を背負って家を出た。
世間知らずの無鉄砲と叱った父の正しかったことをこの義侠の若い医者が思い知るのに、数日とかからなかった。
戦後の近隣の村では、普段は鋤鍬を持って働く善男善女であろう者らが落ち武者を狩り、死骸から武具を漁ってこれまで殺され焼かれしてきたことへのささやかな埋め合わせに忙しかった。
この殺伐の中で、怪我を診てやるぞ、病はないかと触れると人は笑うか襲うかしてきた。それでも哀れな様子の老婆が倅を診てくれと寄って来たのに逆に救われた気持ちになって付いてゆき、その矢傷を丁寧に治療し貝殻に詰めた練薬を分けてやって、貧しい粥をふるまわれて休んだ晩だった。
この老婆と倅は医師が眠り込んだと思い、不用意にもその耳の届くところで彼を殺して持ち物をそっくり奪う算段をつけた。まもなく倅が得物を取りに外に出た隙に、減敬は便所を借りると言って起きあがり、狸寝入りの婆の枕もとを抜けると土間にあった水瓶にありたけの殺鼠剤を落とし、走って逃げた。
減敬が粛然と立ち上がったのはその朝の明けそめだった。あの水瓶ゆえにもう実家に逃げ帰ることはできぬ。なぜこんな世をこのような美で照らすものかと思われる朝日が差す中、昨日までは思いもせぬ人間となった自分を受け入れた。
そうした医師が、戦跡を追っていつか九州から瀬戸を通ってはるか甲斐まで流れ着いた。そのうち、命が危ぶまれた武田家の重鎮のなんとかという人物を快癒させ、それを縁に武田家本拠地、躑躅ヶ崎館に足を踏み入れることを許される身分となった。
間もなく武田家棟梁の信玄公へ直々お目見えさせると聞かされた。伝えてきたのは武田二十四将の一人に数えられる小山田信茂という武将だった。
流しの医者に話とは、どうせどこかへ諜報に行けと言われるだろうとは予想していた。しかし実際に言いつけられたのは、予想以上のお役だった。
「では私は、内医師として岡崎に入り込み、耳にしたもの目にしたものをお伝えするというだけではなく……」
これまでは左手にいた小山田が減敬に対し話していたのだが、ここで初めて正面上座に岩石のようなどっしりとした姿を現していた主人が声を出した。
「徳川の当主の正室に取り入って、武田に内応させるのじゃ。」
甲斐武田家第十九代当主、武田晴信信玄。金山を採掘し甲州金の鋳造を進めるなど行政面でも卓越しているがその本質は武将であり、それゆえに軍神とまで敬われ、恐れられている人物だった。
小山田が付け加えて説明した。
「情報を流すだけの諜者はどこにもすでに何人も入り込ませておる。そなたには当主家康の正妻、築山殿という女性に近づいてもらいたいが、これが今川義元の姪での。」
「今川の……」
実はそのくらいは既知のことであったが、減敬は初めて聞いたようなふりをした。
「そうじゃ、家康は竹千代と呼ばれていた幼い時から人質として駿河で今川に飼われておったが、資質が良かったらしく、義元はこれを親戚筋として取り込むことに決め姪の一人を嫁がせた。それが築山殿じゃ。」
そこまで小山田が説明すると、右手にいた若い武将が意地悪く鼻で笑った。信玄公の嫡男、勝頼である。
「一度は親戚の裏切りにあって織田へ売られたりなどした、みっともない人質であったわ。あらためて駿河へ送られたあとも三河の宿無しと蔑まれていた田舎者での、これに娶せられると聞いた時にはその女子、ずいぶんとごねたそうじゃ。嫁入った後も実家の権勢を盾に、亭主を尻に敷いた女房となったそうじゃが、それも桶狭間までのこと。」
そこまで聞いても、減敬はまだ心もとない様子を見せておずおずと訊いた。
「築山殿とやらいうお方に近づいたところで愚昧な私、何をどうすればよろしいものか、とんと……。」
うむ、と小山田が頷いた。
「我らは多方面から織田と徳川の間の同盟を破綻させんと工夫しておる。清州同盟と言われているが、これがよくある一時しのぎの連立とはちと性質が違うようだと信玄公がおっしゃる。両家の長期的な成長を期しているようであり、締結から十年ほど経っているがそれが真正直に守られているように見えると。これを取り崩すような動きが奥からもあるのが望ましい。」
ああ……、と、少しわかったような顔をする減敬に勝頼が言った。
「家康の嫡男信康の妻には信長の娘が入っておるが、その夫婦仲も睦まじくあってはつまらぬ。この同盟の亀裂になるような不和にしてやればよい。」
若いくせにいやらしいことを平然と言うものだ、と減敬が変に感心したところで、小山田が言った。
「そうよ。同盟締結後、信長は自分の娘を信康の妻にと三河に送ったのじゃ。桶狭間の後、今川からようよう逃げ出したばかりの松平と、その今川を破った破竹の勢いの織田じゃ。当時の財力兵力を考えても、織田は今川に代わって松平を支配することも、人質を要求することもできたはずじゃ。それを逆に自分の娘を差し出し、同盟の内容は両者同等となっておる。こんな馬鹿な話があろうはずがないとみな思うたが、それが十年も守られておる。信玄公は、他では見ない強い連帯感、信頼感がうかがえるとおっしゃる。利でないもので結ばれた絆は強い。これを破りたい。」
空気を引き締めるように信玄公が言い渡した。
「徳川の代官で、勘定方を任されている大賀弥四郎という者がいる。家康、信康の親子両人に信頼されておるが、こちらに内応しておる。この者がお前を岡崎城へ引き入れる。早々に甲斐を発て。」
間者の名まで聞かされては、この件を断ればこの場で斬られるのは知れたことだった。はっ、と平伏した。あきらめと、捨て鉢と、なにか不敵な不貞腐れのような気持ちが渦巻く減敬の胸が床に触れるばかり低く伏せられた。
元亀三年、あの名高い桶狭間の戦いから十三年後のことだった。
(続きます~)