ゴブリン
「いよいよか……」
寝巻きを脱ぎ、アマテラス様から貰った服に着替えた。
白を基調とするこの服はアマテラス様が言うには特別な素材で出来ており、通気性と防御力に優れているとのことである。しかし、金髪少女の蹴りにはあまり効果がなかったように感じる。
いや、でもしかすると俺が貧弱すぎただけで普通の服だったら死んでいたのかもしれない。
「準備は出来たみたいね。早速、行くわよ」
フォックさんに挨拶をすませ、俺とイグノスは早速ダンジョンへと向かうことにした。
ダンジョンまではここから馬車で向かった。俺は颯爽と走る馬車から国の風景を眺めた。
火の国と呼ばれるこの国は石炭業が盛んなようで街の至る所に工場があり、煙突からモクモクと昇る白い煙が登っている。
イグノスが言うには本来ならもっと街が活気付いているはずだが、今はどこも人気が少なくさながらゴーストタウンのようであった。
「なぁ、イグノス。誰かダンジョン攻略に挑んだ人とかいないのか?」
たくさんの冒険者がダンジョンに挑めば何とかクリアできるのではないかと思ったのだが。
「いないわね。そもそもこの国で冒険者になろうと考える人間なんてほとんどいないのよ」
「そ、そうなのか……」
「ダンジョン以外にはモンスターはほとんどいないしね。それに、別の国の冒険者もわざわざ危険を犯してまでダンジョンに挑もうとしないわよ」
どうやらダンジョン攻略というのは冒険者にとって割に合わない仕事のようだ。
だが、こうして国の崩壊を見過ごすなんてあんまりではないだろうか。
「その……王様とかは何もしないのか?」
「王様なんて、この国にはいないわよ。数年ごとに国長が変わるんだけど、今の国長は国の滅亡を半ば諦めている状態よ。逃げたい人は早めに逃げてくださいって促してるくらいね」
異世界っていうから勝手に王国制度なのかと思っていたがそうでもないらしい。
馬車が走り始めてから三十分ほど経過するととある山の麓に辿り着いた。
イグノスに馬車から降りるよう促され、俺は火の剣を手に持って馬車から降りる。
山の麓には大きな門が建てられており、その門には『火のダンジョン』という文字が刻まれていた。
これがダンジョンか。この時点で俺の心臓はバクバクと激しく鼓動していた。
どんな危険があるのか予想もつかない。気づけば勝手に身体が震えていた。
「タケル、もしかして怖じ気ついちゃった?」
「い、いや……これは武者震いってやつだ」
実際のところ、かなりビビっていたのが悟られないよう虚勢を張った。
「そう。安心したわ。それじゃ、行きましょうか」
「あ……ちょ、待ってくれ!」
イグノスは早足で山を登り始める。いよいよ、ダンジョンへと足を踏み入れる。
山道は勾配が激しく、登るだけで体力がたくさん消費されていく。
しかし、イグノスは顔色を変えることなくスイスイ登っていく。俺とは鍛え方が違うのだろうか。
しばらく山道を登っていたがやがて平坦な道に躍り出た。
「出来ればモンスターとの戦闘は避けたかったんだけど、そうもいかないみたいね」
俺達の前に緑色の肌をし、腰に茶色い布を巻いたモンスターが三匹現れた。
そのモンスターは手に棍棒を持っており、涎を垂らしながら俺達のことを睨んでいた。
「あ、あれは……ゴブリンよ。凶暴なモンスターだから注意することね」
二匹のゴブリンが素早い速度でこちらに向かってきた。しかし、イグノスは全く慌てることなく、掌から放つ火の玉をゴブリン当てた。
「ガーーーッ!」
「ギッギッ……」
二匹のゴブリンはそれぞれ断絶魔を上げながらバタンと倒れ、身体が黒焦げになるとピクリとも動かなくなった。
やはり、イグノスはかなり強いな。残りの一匹が「グルルル……」と唸り声を上げ、俺達を威嚇している。
「ちょうど良い機会だわ。タケル、テストよ。あのゴブリンを倒してちょうだい」
つまり、ゴブリンを倒せたら正式に動向することを認めるということか。俺は火の剣の柄を持つ。
鞘から抜けないか試してみたが、やはりダメだった。仕方ない。このまま戦うとするか。
ゴブリンの出方を伺っているといつの間にか奴は俺の目の前にいた。
「うわ!」
ものすごい勢いで振り落とされる棍棒を後ろに下がって何とか避ける。危ない危ない、今のを喰らっていたら確実に致命傷であった。
「ギ!」
安心するもつかの間、ゴブリンは俺との距離を詰め、顎に強烈な蹴りを入れてきた。
一瞬、視界が揺らぎ、俺は地面に倒れこむ。ゴブリンは俺の顔を何度も踏みつけてきた。
反撃しようという気力も痛みで削がれてしまう。
やがて、ゴブリンは棍棒を俺の頭に目掛けて振り下ろしてきた。ま、まずい。死ぬ……
次の瞬間、俺の上に火の玉が通り過ぎた。ゴブリンは慌てた様子で俺から離れていった。
「い、イグノス……」
イグノスが俺を助けてくれたようであった。そうじゃなかったら、俺は間違いなく死んでいた。
「はい不合格。やっぱりあなたはお荷物になるだけね。ポーション飲んでとっとと帰りなさい」
イグノスは俺を置いてそのまま先に進んでしまった。引き止めようにも何も言うことができない。
俺は情けない姿を見せてしまった。ゴブリンはイグノスを恐れているのか、彼女を襲おうとはせず、俺のことを見つめていた。
イグノスを追いかける為にはまずあのゴブリンを倒さなければならない。
「あのゴブリンだけは俺がこの手で倒してやる。うおおおおおお!」
俺は叫びながら、ゴブリンに立ち向かった。火の剣を振り回して、ゴブリンを攻撃する。
しかし、大振りの攻撃は当たらず、ゴブリンは俺の脛を蹴った。
「うわ!」
痛みで跪いてしまった。上から迫る棍棒を何とか火の剣で受け止めた。ビリビリと両手が痺れる。
「グルルルル……」
ゴブリンはものすごい目つきで俺のことを睨んでいる。ものすごい気迫だ。これが殺し合いなのか。
当然かもしれないが、俺はこれまで誰かと本気で殺し合うことなんてしたことがなかった。
自分がいかにぬるま湯に浸かっていたということをこの異世界に来て痛感する。
――殺せ、生き残る為に。心の中に潜む凶暴なもう一人の自分が囁いているようであった。
「オ……ラァ!」
何とかゴブリンを組み倒すことに成功し、思いっきりゴブリンの顔を殴りつける。
躊躇ったら俺がやられる。可哀想だなんて思ったら終わりだ。思いっきりやれ。
何度も、何度も顔を殴り続けていたが、ゴブリンが俺の頭を棍棒でぶっ叩いた。ものすごい衝撃で意識が飛びそうになる。
さっきまで俺が有利に立場にいたのに形勢が逆転しまった。地面の落ちてある火の剣を掴む。
「グルルルル……」
「絶対に……絶対に仕留めてみせる!」
俺が出せる限りの力で火の剣を振った。火の剣と棍棒がぶつかり合い、鈍い音が響く。
棍棒は宙高く舞い上がり、武器を失ったゴブリンは宙に舞う棍棒を見上げた。
今だ――ゴブリンの脳天に火の剣を叩きつける。ゴブリンは無言のままバタンと倒れ込んだ。
ピクリとも動かなくなったゴブリンを見て、俺は勝利を確認する。
「やった……やったぞ! 勝った。俺は勝ったんだ……」
何とも言えない幸福感と達成感が全身を駆け巡る。おっと、こうしちゃいられない。
早くイグノスを追わなければ。
だが、視界の先にイグノスが歩いてくるのが見えた。どうしてイグノスがここに戻ってきたのだろうか。
「心配で戻ってきたけど、どうやら勝ったみたいね」
「何とかな……イグノス、やっぱり俺も同行させてくれ」
「いいわ。認めましょう」
こうして、ようやく俺はイグノスに認めてもらった。イグノスの後を必死に付いていく。
しかし、ゴブリン一匹でこの有様とは……先が思いやられるというものだ。