合流
静かになった部屋に、唯月の溜息が響く。
「ごめんね田上さん。もう出てきていいから」
千花に被せていた布を取り、唯月は謝る。
「今の人は?」
「幼馴染だよ。2個上で、いつも気にかけてくれるんだ」
唯月は今までにないくらい悲しそうに笑っている。
シュウゲツと喧嘩別れをしたこともそうだが、自分で最後に発言した言葉も引っかかっているのだろう。
「人間が戦ってるって」
「シュウゲツも、他の皆も意地の悪い嘘はつかないから事実だと思うけど。だからって田上さんは出ちゃ駄目だよ。さっきも言ったけど、この霧は毒で……」
「先輩はこの国を戻したいんですか」
千花はベッドから立ち上がり、唯月を正面から見据える。
唯月は目を丸くした後、千花の視線から逃れるように下を向く。
「戻したいよ。父さんとハヅキを奪ったあいつをこの手で倒してやりたい」
でも、と唯月は更に苦しそうに続ける。
「話を聞いてたでしょう。ヴァンパイアは頭がいいけど悪い意味で他人任せな種族なんだ。だから皆、より頭のいい4人に責任を押しつけて、自分から動こうとはしないんだ」
確かに、ウェンザーズの獣人とは性格が違う。
千花が記憶を辿るのと同時に唯月は目を合わせる。
「こうやって愚痴しか言えないなんて、本当にかっこ悪いでしょ? 魔王を倒したウェンザーズと、光の巫女様を見習ってほしいくらい」
唯月の傷ついた顔を見て千花は決心する。
魔王と戦うのが怖いなんて言ってられない。
これはバスラだけの問題ではない。
マリカもミランも、ウェンザーズは沢山傷ついていた。
(思い出せ田上千花。大丈夫)
「田上さんは明日必ず戻してあげるからね。後数時間待って……」
「ごめんなさい風間先輩」
唯月が次に顔を上げた時、千花は魔法杖を向けていた。
「えっ」
「草の根」
魔法杖から緑色の根が数本飛び出る。
根は呆然としている唯月の体を容易に絡めとり、身動きが取れない状態にする。
「田上さん!?」
「必ず帰ってきますから、待っててください」
千花は制止される前に扉から外へ出る。
「待って田上さん! 本当に危ないから!」
唯月の本気で焦る声を背に、千花は辺りを見回す。
バスラのビルというのはいわゆるヴァンパイアの住処らしい。
向こうが見えないほど扉が並んでいる。
(こんなにヴァンパイアって住んでるんだ)
呑気なことを考えながら千花は右方向に階段を見つける。
唯月に追いつかれる前に千花はそちらへ駆けていく。
(良かった。窓から飛び降りたら骨折じゃ済まなかった)
真下を見れば螺旋状に階段は続いている。
そのまま降りていれば体が崩れていただろう。
(よし)
千花は鍛えた身体能力を活かし、階段を滑り落ちていく。
ヴァンパイアの気配が全くないのが救いだ。
(出口に出たら呼吸を最低限にして、魔法の気配を辿りながら合流して)
何でもできる機関のことだ。
きっとバスラでも呼吸ができるような方法がある。
千花の勘がそう言っている。
「よいしょ」
長い階段を滑り終わると、エントランスのような広間に出る。
霧の中に入る前に、千花は大きく深呼吸して腕で口と鼻を覆う。
(行こう)
千花は透明な扉に向かって走り出そうとする。
しかしその前に後ろから強く腕を引っ張られる。
「田上さん! 待ってってば!」
「風間先輩!?」
怪我のない程度に強く縛り上げたはずだが、唯月はものの数秒で千花に追いついてしまった。
唯月の手を振りほどこうとするが、彼も予想していたのか更に力を強める。
「どうして出ていくの!? 田上さん、本当に死んじゃうんだよ!」
唯月は怒りを隠さず声を張り上げる。
心配してくれている気持ちはわかるが、千花も止められる筋合いはない。
「大丈夫ですから離してください! 戦ってるのが人間なら、私の仲間かもしれないんです」
「かもしれないだろう? 魔王が光の巫女様をあぶり出すための罠だったらどうするの。ヴァンパイアにとって人間は血を吸える貴重な種族なんだよ」
受け身を取って手を離したいが、唯月も油断すれば千花が逃げることはわかっているだろう。
警戒している男の力にはいくら千花でも敵わない。
「もう1回魔法を使おうとしたら僕も使うよ」
千花が魔法杖を手に取ろうとすると、唯月も空いた手で魔法陣を発動させる。
その目は本気だ。
(どうしよう。私が巫女だって打ち明けられないし)
これ以上騒ぎ立てたら他のヴァンパイアにも存在がバレるだろう。
厄介事になる前に霧の中へ出ていきたい。
「田上さん」
「いっ」
唯月が名前を呼びながら力を強める。
痛みに堪らず千花が顔をしかめると、唯月も我に返ったように「あっ」と声を出して手を緩める。
その瞬間、唯月の首筋に大剣がかかった。
「っ!?」
「興人!」
唯月が驚いて手を離したのと同時に、千花は後ろから抱き寄せられる。
その正体は興人だった。
「無事か田上」
興人は厳しい表情を唯月に向けたまま、千花に呼びかける。
千花は肯定するように1つ頷く。
「田上、これを飲め。霧を吸っても呼吸できる薬だ」
興人は片手で小瓶を取り出すと、千花に手渡す。
千花は疑いもせず全て飲み干す。
とんでもなく苦いため、声が出ないように慌てて止めた。
「それで、こいつを始末すればいいんだな」
興人は大剣を握る手を強める。
千花はその切っ先が唯月に向いていることを初めて知る。
「興人待って! 殺さないで」
首に思いきり大剣を突きつけられ、顔色を悪くしている唯月を見て千花は止める。
「待つ必要がどこにある? こいつが田上を拉致して魔王の所へ連れていこうとしたんだろ」
やはり拉致だと思われていた。
誰だってその考えに至るだろう。
「違う、全部勘違いなの。拉致だと思われてたのも私の不注意だから」
興人はいまだ納得していない様子で、唯月への攻撃はやめないまま千花の手首を見る。
「勘違いで、痣になるほど手首を掴むか?」
指された手首を千花も見てみる。
唯月が必死に止めたことがわかるように、手首は薄らと赤くなっていた。
「えっと、これは」
説明しようにも簡潔に終われる自信がない。
だが唯月が怯えているので、剣だけは離さなければならない。
「……いいよ田上さん。わざとじゃないにせよ彼の言ってることも間違いないから」
悩む千花に視線を寄越し、唯月は抵抗をやめ両手を上げる。
(このままじゃ風間先輩が殺されちゃう)
「興人、心配かけてごめん。ちゃんと全部説明するから、剣だけ下ろして」
千花は大剣の柄に手を置きながら興人に懇願する。
興人の顔を見ると一切の表情がない。
目の前の敵を殺すだけの傭兵のようだ。
その顔に千花は強張るが、反対に興人は重い溜息を吐いて剣を少しだけ離す。
「そんな顔するなよ。俺が悪者みたいじゃないか」
「いや、ごめん」
事情を知っている千花にとっては確かにそうなのだが、ややこしくなるので謝るだけに留めておく。
「でも、その前にシモンさんと合流した方がいい。今1人で吸血コウモリと戦ってるから」
「その必要はないですよ」
興人が千花を視界に留めながら来た方向を示す。
しかしその前に霧から邦彦が出てきた。
「安城先生!」
邦彦の存在を確認した千花は安堵にも似た表情で呼びかける。
呼ばれた邦彦は千花に微笑み返す。
「無事で何よりです田上さん。大きな怪我も見当たらないようですし」
「先生。シモンさんは」
「機関の1人が一緒に戦っていますので安心を。ただ彼女は人前に姿を現わすのが苦手なので、2人一緒ならこちらには合流しないでしょう」
興人の質問に答えると、「さて」と話題を変えるように邦彦は唯月の方へ顔を向けた。
「こんばんは風間君」
「安城先生? どうして?」
墨丘高校に通っていれば唯月も邦彦のことは知っているだろう。
教師の彼がなぜここにいるのか、唯月は理解できないという表情を浮かべる。
「僕も、どうして風間君がいるのか聞きたいですね」
唯月はうっと言葉を詰まらせる。
邦彦は微笑んではいるが、目は笑っていない。
(ちょっと先輩が可哀想になってきた)
確かに見た目は拉致だが、千花にも非はある。
唯月だけに責任を負わせるのは心苦しい。
「安城先生、私もいけなかったんです。だから風間先輩だけを責めるのは……」
「もちろん彼の態度を見ていればわかっていますよ。あなたにも後でしっかり聴取しますから」
前言撤回。
邦彦の言葉は千花にもかかっていた。
久しぶりの圧力に千花は興人に助けを求める。
興人は「知らない」と顔をそむける。
(そりゃそうですよね)
また説教かと1人落胆しながら、千花は邦彦の次の行動を待つ。
「ここは風間君の家ですか。できればゆっくり話をしたいところですが、ここでは怪しまれるでしょう」
人間が戦っている所も、唯月が誰かと話していることもヴァンパイアには少なからず気づかれている。
ここで堂々と話していれば敵視されてもおかしくない。
「隠れ家のようなものあればいいのですが」
「それなら隣にある廃墟がいいと思います。廃墟っていうか、魔王に壊された建物なんですけど」
ビルの外は危険だと先程まで千花を止めていたのに、唯月は簡単に提案する。
逆らえないと思ったのか、邦彦達といれば安心と思ったのか、千花には定かではない。
「では早急にそちらへ行きましょう。大勢で動くと危険ですが、案内できるのが風間君だけなのでよろしくお願いします」
邦彦が唯月のことを素直に受け入れるため興人は心配そうに耳打ちしてくる。
「安城先生、本当に信頼していいんですか。廃墟と言って、魔王の所に連れていく気じゃ」
「ご安心を。風間君が悪魔側ではないことは保証できます」
何を根拠に言っているのか興人には理解ができないが、邦彦の推測が間違っていたことはない。
興人は千花の護衛をしながら、邦彦の後に続いていった。
その背後に、人影が見えたことも知らずに。