なんでここにいるの?
「……それで、チカちゃんがオキト君に当たったわけね」
魔王討伐訓練が終わり、千花達が帰った夕刻過ぎ。
シモンはいつものカウンター席に着きながら先程起きていた出来事をアイリーンに話した。
「どっちの気持ちもわからなくないからどっちの味方にもつかなかったけど」
シモンの話がおかしかったのか、アイリーンは微笑ましそうにしながらも肩を震わせて笑う。
「チカちゃんはもちろんだけど、オキト君も随分表情が出てきたわね。魔王討伐の時も、率先してチカちゃんのこと助けてたんでしょ」
アイリーンの言葉にシモンも同意する。
千花が来る前の興人は冷淡に任務をこなすだけの人間だった。
「あのクニヒコに育てられりゃそうもなるがな」
興人は物心つく前から機関に引き取られて生活してきた。
シモンが興人と会った時には既に冒険者としての素質を備えていた。
「根っから冒険者気質だったからこそチカと一緒に魔王を倒すことができるんだろうな」
教え子を素直に褒めるシモンにアイリーンは笑顔を絶やさない。
「シモン君がここまで人を褒めるのも珍しいわね。その調子でバスラでも活躍してほしいわ」
世界平和のために、とアイリーンは付け足すが、シモンは顔を渋らせる。
「俺は、これ以上2人に死ぬ恐怖を味わってほしくない」
「それは魔王討伐を決意した時点で無理な話よ」
「……なあアイリーン」
水道に無造作に置かれている汚れた皿を洗いながらアイリーンは冷静に返す。
そんな彼女に対し、シモンは呼びかける。
「お前、また戻ってくる気は……」
「シモン君」
シモンの言葉を遮るように、アイリーンは濡れた人差し指を口に当てる。
顔は笑っているが、目は「黙れ」と強く睨んでいる。
「その話はしないお約束、ね?」
アイリーンの圧力にシモンは口を噤む。
しかし千花達のためにも終わりにはできない。
「俺は、アイリーンがいればもっと優位に戦えると思う」
「……無理よ」
アイリーンも半分怒りを出しながら諦めたようにシモンに返す。
「私はもう、戦えない」
アイリーンはそれだけ吐き捨てるとシモンから離れ、奥の倉庫へと歩いていってしまった。
千花の緊張とは裏腹に、試験用紙を返却され、訓練に時間を費やしていると2週間はすぐに経つ。
「それでは皆さん、配布されたプリントをよく見て、夏休みを有意義に過ごしてください。くれぐれも事故や事件に巻き込まれないように気をつけて」
終業式、長期休み前の大掃除も全て終わり、担任の話も一段落すれば後は自然解散だ。
「千花は実家に帰るの?」
「う、うん。そのつもり」
同じ地方組の春奈は明日には帰郷するらしい。
千花はバレないように吃りながらも肯定する。
「課題もあるから毎日のんびりしてはいられないけど、また学校が始まったら会おうね」
春奈はこれから荷造りなどやることがあるらしい。
千花は手を振りながらその表情に影を落とす。
(また、無事に会えるといいけど)
最近はまた嫌な夢を見る。
不安から来る妄想だと考えているが、やけにリアルな映像ばかりが頭に残る。
(昨日も、悪魔が罪もない人を殺す夢だった。あれはヴァンパイア?)
千花の脳裏には少女が醜悪な悪魔の牙に首を貫かれている姿だった。
少女は白い肌を鮮血で汚し、涙を流して息絶えた。
千花は夢の内容を思い出し顔をしかめる。
(所詮夢だと思うのに、ずっと残って忘れられない)
自室に入って1人になるとすぐ思い出してしまう。
払拭したいものほど強く記憶に残ってしまう。
「……だめだ。こんな状態じゃ魔王討伐なんて絶対できない。何か気を紛らわせないと」
千花はリースに行く前に部屋の中を物色する。
全て私物であるため何かないかと棚を引き出す。
「あ、また入ってる」
千花が机についている棚を引き出すと、いつもの緑色の石が入っていた。
自室にあるのだから千花がしまったのだろうが、いつも記憶にない。
(実家にいた時は気づいたけど、こっちに来てから持ってきた覚えがないんだよね。ウェンザーズの時にも無意識に入れてたみたいだし、おまもりの感じなのかな)
苔が生えているわけではないが、道端に落ちてもいないであろう緑の石。
そもそも幼い千花はなぜこの石をしまっておいたのか。
知らない人が見ればただのゴミだ。
(ここまで無意識に大事にしてるなら、加工して忘れないようにすれば)
千花は椅子に座りながら緑の石を眺める。
捨てるのは躊躇われるが、このまままた棚の中にしまえばしばらく思い出さないだろう。
「まあいいか。またポケットの中に入れておこう」
どうせ生き物のようについてくるのであれば先に手元に置いておく。
千花は制服の下に着ていた訓練着のポケット奥に石を入れると、リースに向かう道を進む。
「魔王討伐よりも緊張してる気がする」
命がけの戦いをする前だからか心臓が爆発しそうだ。
人と会うことがここまで苦しくなるとは思わなかった。
(泉、飛び込むのちょっと怖いな。興人まだいるかな。一緒に行こうって誘おうかな)
こちら側では極力他人として過ごすよう言われているが、人目がない所であれば少しなら許されるだろう。
そう思って千花が踵を返した瞬間だった。
「あれ、田上さん?」
泉に背を向けた先には目を丸くして立っている唯月がいた。
千花は興人ではない人の登場に硬直する。
「なんで、ここに」
一気に渇いた口ではそれしか言葉にすることができない。
「それはこっちのセリフだよ。なんで田上さん泉の前にいるの? こんな所、普通は見つけられないはず」
唯月はそこまで言うとはっと何か思い当たるように目を見開く。
「もしかして君、あっちの世界を知ってる?」
唯月の言葉に千花は後ずさる。
魔王討伐をする今、知らない人間に安易に情報を渡してはならない。
(泉に入れば王城に入れる。追いつかれる前に人前に出れば怪しいことはできないはず)
千花は後ろに下がりながら唯月に隙を見せないようにする。
唯月も千花が強く警戒していることに気づき、焦りながら近づいてくる。
「落ち着いて田上さん。僕はきっと敵じゃない。君がこっちに来た理由は悪魔を……」
唯月がすぐに距離を詰めてくるため、千花は体を震わせる。
その拍子にぬかるんだ地面に足をとられてしまう。
「あっ」
「危ない!」
千花が後ろから泉に落ちていく。
そして千花は王城に着くことなく、意識を飛ばした。