夏が来る
昔々、血を吸うコウモリのような種族がいた。
彼らは赤い目を持ち、鋭い牙と耳が生え、まるで悪魔のような相貌であった。
しかし頭脳はどの種族よりも優れ、知略を尽くしながら人間や他の種族と対等に、いつしかヴァンパイアと名乗るようになった。
ヴァンパイアの国を治めるは頭脳が優れながら、冷静沈着で国民に選ばれし4人。
彼らの考えうる頭脳を持ってヴァンパイアの国は平和な世界を築いた──はずだった。
7月上旬。
本格的にクーラーがなければ生活できないくらい暑くなった高校の中で、千花は1人机に伏していた。
「やっと終わったね千花。後はテスト返しと終業式だけ……って大丈夫?」
遠くの席から千花に歩み寄ってくるのはクラス唯一の友達、春奈だ。
しかし春奈の言葉にも反応せず、千花は突っ伏したままだ。
「おーい、千花ー?」
春奈が心配して声をかけると、ゆっくり千花が頭を上げる。
「お……」
「ん?」
「終わったぁぁぁ。やっとテスト終わったよぉ」
千花が大きく息を吐きながら脱力した声を出すので春奈は思いがけず驚く。
「え、そんなに大変だった?」
「うん、本当に」
(訓練そっちのけで部屋に缶詰してたから)
千花は机に並んでいるシャーペンや消しゴムをケースにしまいながら、帰りの仕度を始める。
試験期間中は午前のみで学校が終わる。
「やっと休める。寮に帰りたい」
「忘れてるみたいだけどこれから全校集会があるよ」
「忘れてたよ」
試験が終わって一段落したいというのに今度は長々と体育館で眠たくなる話を聞かなければならない。
正直早くこの鈍った体を魔法で発散したいところだ。
(サボるわけにはいかないから大人しくするけど)
ストレスが溜まったと言えど、ここで魔法を連発するのはもちろんご法度だ。
春奈と体育館へ向かうと同じく試験が終わった生徒で体育館は埋まっていた。
「何話すんだろうね。再来週には終業式があるのに」
「テストが終わったからって羽目外すんじゃないぞーって言うんじゃない」
「そんなことのために呼ばれるの」
わかっている。
少数とは言え箍が外れたように急にはっちゃけだす生徒がいることも。
だがこの暑い中疲れた体に追い打ちをかけられるのはストレスが溜まる。
(せめて教室内でやってくれれば移動もしなくて済むのに)
心の中で千花が愚痴を零していると、全校集会が始まる。
予想通り校長の話は世間的な話から始まって最後には生徒らしく生活するようにとの言葉だった。
「以上で集会は終わります。後ろのクラスから順番に速やかに教室へ戻るように」
千花は前で立ちながら船を漕いでいる生徒数人を見ながらよく寝れるものだと1人で感心していた。
「校長先生もよく15分も長々と話せるよね。話すネタって尽きないのかな」
「人前に立つ仕事だから話は終わらないだろうね」
クラスへ帰る道は生徒で溢れている。
前が見えないほどではないが、全生徒が一気に体育館から出るのだから混むのは当たり前だ。
自分達のクラスへ帰る道を春奈と歩いていると、ポケットから不意に生徒手帳が落ちてしまう。
しかし千花は話に夢中で気づいていない。
「田上さん? で合ってるかな」
「はい?」
聞き慣れない男性の声に千花は警戒しながら振り向く。
興人と戦闘を始めてから必要以上に背後に気を遣うようになってしまった。
「これ、落ちてたよ」
「あっ、本当だ。ありがとうございます」
拾ってくれたのは優しそうな顔に微笑を貼りつけた青年だった。
千花が少し目線を上げて礼を言うと相手も微笑んだまま手を振る。
「風間先輩じゃない。この階に来るなんて珍しいね」
「風間先輩? 今の人?」
青年が離れた後すぐに春奈が話しかけてくる。
「1つ上の風間唯月先輩。生徒会の書記だから、知ってる人もいっぱいいるよ。いい噂もあるし」
「悪い噂じゃなくて?」
こういう時は悪いことをしているから噂が立つ方がよくあることだと思うが。
「逆。風間先輩は周りをよく見て動いてくれるの。それこそ風間先輩に頼めば生徒会に話を持っていってくれるなんてこともあるらしいし」
「……優しいっていうか、仕事能力がある人なの?」
「優しさもそうだよ。皆が納得いく解決策をしっかり考えて実行してくれるから」
顔もそれなりに整っていることから一部の女子からは人気を集めているらしい。
あの一瞬で唯月を見抜いたところを考えると春奈もその中に入っているのだろうか。
「そんなことより早く戻らないと。もう先生来ちゃうよ」
「本当だ。急ごう」
ゆっくり話している間にも生徒はどんどん教室へ帰っていく。
千花達もホームルームに遅れないよう小走りで教室へと向かった。
学校自体は13時で終わった。
勉強から解放された生徒は終礼を済ませるとそれぞれ散らばっていく。
「千花はどうする? このまま寮に帰る?」
食堂で昼食を摂っている春奈もまた何かに千花を誘うが、本人にはやることがある。
「うん。ちょっと行く所があるから」
「そうなの? じゃあまた明日ね」
食器を返すと春奈は学校へまた戻っていく。
恐らく図書館にでも行ったのだろう。
千花はその様子を見送りながら自室へと帰る。
(重い参考書は置いて。杖はちゃんと異空間にある。訓練着も制服の下に着てる。忘れ物もない)
いつもの仕度が済んだら、校舎から裏口玄関を出て庭へ出る。
庭から林の方へ進むと人気のない泉に辿り着く。
知らない人から見れば校舎裏の一角に理由もわからず設置されている泉。
千花はその泉に飛び込む。
(わかってはいるけど入る瞬間だけ冷たいんだよね)
千花が泉から顔を上げると、白く煌びやかな部屋へ体が移動していた。
(興人はもう来てるのかな。テストが終わったのは一緒だけどそこからは自由だったし)
千花は豪勢な王城の中を1人歩く。
ここに来た当初は場違いな雰囲気にビクビクしながら歩いていたが、今や1人で堂々と通り過ぎるまでに至っている。
(安城先生に女王陛下とは会わないよう言われてるのが気がかりだけど。やっぱり異世界人が易々と会うのは違うんだろうな)
邦彦の意図とは若干のズレがあるものの、千花も自分で納得する理由を見つけているため一安心だ。
「さてと」
千花はこちらの言葉が使える翻訳機を耳に装着しながら城下街へ出る。
今日もトロイメアは朝から活気に溢れている。
(シモンさんみたいに飛んで渡れたらいいけど、まだ教わってないしやめよう)
千花は人混みを上手くかき分けながら進行する列に紛れ込む。
途中朝一に寄り、3つパンを買って口に頬張った。
昼ごはんだけでは足りなかったらしい。
(これからこのパン3つ分は体力を使うんだから必要エネルギー)
成長期のためによく食べる千花は列に入りながら短時間で片手サイズのパンを全て腹の中に入れてしまった。
口の中が空になる頃には目的地──ギルドへ着いた。