反対派の人間
邦彦は片方の膝を床につき、頭を垂れていた。
彼の目の前、荘厳な玉座に腰を落ち着かせているトロイメアの王、シルヴィー・トロイメアはゆっくり瞼を上げる。
「一月と半分、ウェンザーズはレオ国王の下、復興に向いているようだ。今のところ、悪魔の脅威も遠のいていると伝達が入った」
シルヴィーは淡々と、しかし時折安心したような声音で邦彦に告げる。
邦彦は反応を返すことなくシルヴィーの次の言葉を待つ。
「レオ国王は今後全面的に魔王討伐の支援を行っていくとしている。私としても、この3年間動くことのなかった悪魔との戦いに兆しが見えたこと、謝辞を述べる」
「……もったいないお言葉です」
本来ならこの場に千花を連れてくるべきだが、代わりに邦彦が謁見しているのには理由があった。
1つは千花が悪魔に目をつけられ始めたこと。
3年間領土を取り返すことができなかった人間に悪魔が敗れた。
それも、平民の小娘相手に。
その混乱と怒りの矛先が千花に向いても驚くことではない。
(田上さんはなるべく平民の場に紛れ込ませていた方がいい)
少なくとも単独行動は今後させないようにという名目のもと、今はシモン達に見守ってもらっている。
そしてもう1つの理由。それは人間側にあった。
千花は気づいていないが、彼女を敵視する人間も少なからずいる。
それも王宮にだ。
「失礼いたします。女王陛下、謁見を申し出ている方がいらっしゃるのですが」
邦彦との対話を遮るおうに出口への扉から鎧を纏った兵士が現れる。
シルヴィーはあからさまに気を損ねた表情で兵士に顔を向ける。
「今は他の者との謁見中だ。後に回せ」
「しかし、申し出たお相手は……」
兵士が更に言葉を続けようとした矢先、彼の後ろから恰幅のいい立派な口ひげを生やした中年の男が見えた。
男は収まりきっていない贅肉だらけの腹をふんぞり返らせ、口ひげを指で弄りながら兵士をよそ目に中へ入ってくる。
「これはこれは女王陛下。ご機嫌麗しゅうございます」
男はまるで邦彦の姿が見えていないのかと思えるくらい彼の存在を無視したままシルヴィーに最敬礼を示す。
「……ローランド。いくら宰相と言えど謁見を遮って私の前まで来るとは無礼を承知のうえだろうな」
ローランドと呼ばれた男は女王の視線の先を追い、まるで今邦彦の存在を知ったとでも言うように大げさに背を仰け反らせた。
「これはこれは! 誰かと思えばあのクニヒコ様ではございませぬか。最近お姿が見えませんでしたのでてっきり候補者探しは諦めたのかと思いましたぞ」
ローランドはわざとらしく身振り手振りを交えながら邦彦に顔を近づける。
邦彦は一瞬表情を失くしたが、すぐに愛想のある笑みを浮かべて彼に会釈する。
「お久しぶりですローランド様。お元気そうで何よりです」
ローランドの嫌味には一切応えず、最低限の挨拶だけ済ませると邦彦はシルヴィーに向き直る。
「今はクニヒコと話している。ローランド、お前は外で待っていろ」
「クニヒコ様と謁見!? 一体どのような事項で……ああ、もしやウェンザーズの魔王討伐の件で?」
「わかっているなら早急に席を外せ。私もクニヒコも時間はあまりないのだぞ」
「そのようなことを仰らずに。ぜひ私も輪に入れてくださいまし」
なおも食い下がろうとするローランドにシルヴィーは微かに鬱陶しがっているような表情を見せる。
邦彦はこれは仕方ないと苦笑してシルヴィーに頭を下げる。
「女王陛下。貴重なお時間を割いていただきありがとうございます。私はここでお暇させていただきますので」
「悪いなクニヒコ。続きはまた近いうちに」
「おやおやもう帰ってしまわれるのですか。もったいない」
誰のせいで、と思ったのはシルヴィーも邦彦も同時だっただろう。
邦彦がそのまま足を門の方へ向けようとした時、ローランドが小さく耳元で囁く。
「光の巫女候補者とかいう英雄気取りの小娘なんぞ、当てにならんわ」
邦彦は気にする素振りも見せず、再び愛想笑いを浮かべたまま謁見の間を後にした。
(……女王陛下がこちら側の味方で良かった。いや、宰相が敵でなければ今の状況がもう少しマシになったのに。そんなこと今更考えても意味ないか)
邦彦は王城の長い廊下を1人歩きながら心の中で思いを巡らせる。
ローランド宰相。その名の通りシルヴィー・トロイメアのすぐ下につき、政治の中枢部に位置する権力の高い人間だ。
そのローランドと邦彦はいわば対立関係にある。
邦彦というより光の巫女候補者を守る機関そのものと、ローランド率いる候補者を認めない人間との対立が正しい。
千花に以前話したことがあった。
人間の中にも光の巫女の候補者を良く思わない者がいると。
(機関の人間としては田上さんをこれ以上脅威に晒したくない。悪魔はともかく同じ人間に敵対されるなんて、彼女の心の負担にもなりかねない)
邦彦はいつもの通り王城を抜け、ギルドへ歩みを進める。
相変わらずトロイメア城下は賑わっている。
「ウェンザーズ、また貿易を再開するそうよ」
「ひと月前まで悪魔の占領下にいたとは思えない復興ぶりだな」
「これも魔王を討伐してくれた方のおかげだな」
邦彦は城下の人々の会話を耳に入れながら足を進めていく。
彼らは知らないだろう。
魔王を倒したのは屈強な戦士でも逸材の魔導士でもなく、たかだか16年しか生きていない少女だということに。
(田上さんの肝の据わり方は僕も予想外でした。まさか魔王を倒した翌日には何事もなかったかのように過ごすのですから。いえ、それを言うなら日向君もですが)
邦彦はひと月半前のウェンザーズを思い出す。
黒い稲妻がウェンザーズの町を焼いた時、邦彦はシモンと共にべモスのいる王室へと向かっていた。
一瞬のうちに消し炭になっていくウェンザーズの建物を前に、邦彦は千花や興人の命が失われるのではと危惧していた。
そんな邦彦の心配を他所に、2人はウェンザーズの王子であるリョウガと、たった3人でべモスを浄化したのだ。
生き延びながら。
(ローランド宰相も認めてくれればいいものを。いえ、認められたら田上さんは重宝され、終いには幽閉されてしまうかもしれない。今はまだ、ギルドで国民に紛れて暮らす方が彼女のためか)
国全体で光の巫女の存在を認めてほしいという思いと、千花には極力一般人として気楽に過ごしてほしいという双方の思いがぶつかり、邦彦は人知れず苦笑した。
ギルドの木造の古びた扉は毎日全開になっている。
アイリーンいわくフレンドリーなギルドの様子を見てほしいらしいが、邦彦的には毎日酒の匂いで充満している室内の換気でしかないと思っている。
(他にも未成年はいますが。田上さんと日向君には酒に溺れない大人になってほしいですね)
昼間から真っ赤な顔をして騒いでいる冒険者を横目に溜息を吐きながら邦彦はアイリーンのいるカウンターへと向かう。
しかしそこにはアイリーンどころか見知った顔がいくつもあった。
「……シモンさん? 日向君まで」
この時間はいつも魔法の練習のために訓練場にいるはずの彼らが一様にロビーにいる。
邦彦の存在に気づいたシモンが瞬時に申し訳なさそうな顔を向けてくる。
「あー……。クニヒコ、悪いな。今日は魔法の練習ができそうにねえんだ」
シモンが急に謝ってくるが、それは魔法の訓練ができていないことだった。
正直邦彦としてはその理由が聞きたいところだ。
「シモンさんが授業を中止するなんて一体何があったのですか」
邦彦が問いただすと、シモンは目を泳がせながら親指である一点を指す。
邦彦がそちらに顔を向けると、アイリーンに手当てされている少女がいた。
それは紛うことなき千花である。
「……田上さん?」
千花は自分が呼ばれたことに気づき、邦彦の方へ体を向ける。
「あ、おかえりなさい。安城先生」
その顔は、傷に覆われていた。