さようならウェンザーズ
千花達が辿り着いた時、辺りは静けさに満ちていた。
千花が何事かと興人の背中から目の前を覗くと、その場にいる獣人が全員こちらを向いていた。
というよりも、千花達に背を向けて立っているレオに視線は向いていた。
「皆聞いてくれ」
レオが静けさの中、よく透き通る声で獣人の民に呼びかける。
国民はレオの言葉を静かに待つ。
「わかっている通り、俺はこの体で自分の国の民を苦しめた。お前達の家族や友人を、俺の力不足で散々傷つけた。正直、俺が今後このウェンザーズを引っ張っていく権利はないとも考えている」
千花はレオの言葉に誰とも知らず息を呑む。
まさかこれを機に自分からウェンザーズを抜けると言うのではないか。
しかしそんな千花の心配は杞憂に終わった。
「だが俺は、この国を愛している。この3年、国を、国民を守れなかったことを酷く悔いている。できることなら、再びこの手でウェンザーズをを国として再興したいと考えている程」
国民は罵ることも野次を飛ばすこともなくレオの演説をしかと受け止めている。
「もしお前達が許してくれるなら、俺にもう一度機会をくれないか。失った者の分、苦渋を飲まされた者の分、それ以上の民の幸せを、俺に創らせてくれないか」
レオの熱意が伝わる願いが終わり、再び瓦礫だらけのウェンザーズは沈黙に覆われる。
その10秒後、小さく拍手が起きる。
そこから派生させたように段々拍手の音が大きくなり、遂には耳が割れんばかりの声援が広大な土地を埋め尽くした。
「国王陛下万歳!」
「ウェンザーズ万歳!」
地面が揺れるような国民の支持の声に、レオは感極まったように顔を歪めながら国民に頭を下げた。
そのすぐ後、気を引き締め直したように国民の輪に入って復興の手伝いに入った。
「良かったですね。平和に解決したみたいで」
「ええ。と言っても、獣人達に何も怒りがなかったわけではないでしょう」
「え?」
千花が安心したように邦彦に感想を述べるが、邦彦から返ってきたのは予想から外れた言葉だった。
「わざとでないにせよ、レオ王の制御不足でべモスが暴走したことは事実です。レオ王の力がもっとあればもしかしたら被害は最小限に食い止められたかもしれない。だから、国民が怒りをぶつけるのは当然の権利です」
「でも、皆支持して」
「それこそがレオ王の信頼です」
千花の言葉を遮るようにして邦彦はレオと国民の様子を見ながら口を開く。
「レオ王だけでなく、これまでのウェンザーズの国王は、皆国民を何よりも重んじていく家系でした。国民も、これまでのレオ王の功績や人柄を鑑みて、怒りをぶつけるよりももう一度彼に政権を任せることが最善だと考えたのです」
それが国民の上に立つということです、と邦彦は視線を千花に戻しながら穏やかに説明する。
千花は国民に負けず劣らず復興に努めているレオを見て国王の在り方を心の中で学ぶ。
「さて、皆さんが1つけじめをつけられたところで、いい加減シモンさんを呼びましょう。あの人は止めなければ延々と自分の体を傷つけますから」
「……おい」
邦彦が数多の獣人の中からシモンを探そうとすると、反対の方から聞き慣れた声が聞こえてきた。
「リョウガ」
「今日には帰るんだろ。お前らに話しておきたいことがある」
千花はシモンを探すという先約があった邦彦を優先すべきではと断ろうとするが、その口を遮って邦彦がリョウガに応える。
「リョウガ君の言っている相手はお2人のことでしょう。僕はシモンさんを探してくるので、時間が許す限りお話してください」
そう言うと邦彦は若者を3人残して獣人の群れの中へ入っていった。
「……お前らには迷惑かけたな」
邦彦が見えなくなり、2人がリョウガに視線を戻すのと同時に、彼は謝罪の言葉を口にした。
「特にチカには、命を狙って危険な目に遭わせたことも謝る。俺達の問題に巻き込ませて、お前らまで傷つけて悪かった」
レオ同様しっかりと頭を下げて謝罪をするリョウガを見下ろしながら、千花と興人は互いに顔を見合わせる。
そのままどちらからともなく微笑みながらリョウガに向き直る。
「もう気にしてないよリョウガ」
「俺達も覚悟を決めてこの国に来た。お前が気に病むことはない」
「だが……」
2人から励ましの言葉を受け、リョウガはゆっくり顔を上げ、少し躊躇った後、ぎこちなく口角を上げて口を開く。
「いや。本当に、世話になった。ありがとう」
リョウガが礼を口にしたことで、ようやくわだかまりが解けたような空気を千花は感じ取った。
そこからシモンを引き連れた邦彦が帰ってきたのは、10分以上3人がとめどなく楽しそうに話した後だった。
ウェンザーズからトロイメアへ帰る扉へは、レオとリョウガが見送りに来てくれた。
「本当に、お前達には感謝してもしきれない。またいつでも連絡を寄越してくれ。必ず応えよう」
「ええ。その時はお世話になります」
レオの差し出された手を邦彦は快く握り返す。
何故かシモンはあまり良く思っていない表情を浮かべているが、リョウガと別れの挨拶をしていた千花と興人は気づかなかった。
「元気でねリョウガ。レオ様と仲良くしてね」
「……善処する」
「曖昧だな」
いつかの誰かが言ったようなパッとしない言葉を残してリョウガは千花と興人にそれぞれ片手を伸ばした。
「俺がお前らに助けられたように、俺もお前らの力になりたい。いつでも助けを求めろよ」
「うん」
「その時は頼む」
千花と興人はそれぞれ差し出されたリョウガの手を握り返し、笑顔で別れの挨拶を済ませた。
その後、眩く光でウェンザーズの森が見えなくなるまで、レオとリョウガは千花達の武運を願いながら見送った。
「まずは1体、魔王が倒されましたのね」
トロイメアへと帰る扉を千花が通る所を頭上から見届けながら、女は1人で愉しそうに呟く。
「一時はどうなることかと思いましたが、私の助けはいらなかったようですね。ちゃんと巫女の役割を果たしていて安心しましたわ」
雪のようにきめ細やかで白い肌。
氷のように透き通る銀色の長い髪を頭の高い位置で1つに結わき、黒いワンピースと黒い長手袋に身を包んだ美しい女は、崩れたウェンザーズに目を向けながら形の良い唇を引いて微笑む。
「こんな所で死んだら、面白くないでしょう?」
女はクスクスと笑いながら、森から消えていった。