巫女として
稲妻の攻撃はウェンザーズ全土に降り注いだ。
それは、死闘を繰り広げていた邦彦達も例外ではない。
爆発は猛獣も、獣化したミラン達もまとめて吹き飛ばしていく。
「これは……!?」
「この魔力は魔王のものでしょう。ここまで暴発しているということは、田上さんが交戦しているかもしれない」
爆発に彼方へ飛ばされないように魔法で庇いながらシモンは頭上を見上げる。
ただ、応急処置をしたとは言え、一時的なものであり、激しく動けばその分傷も広がるだろう。
「おい! どこ行く気だクニヒコ。離れたら飛ばされるぞ」
「これだけ国を破壊する魔法を田上さんが喰らえばひとたまりもない。援護に行かなければ」
返事を待たずに内部へ入ろうとする邦彦をシモンは寸での所で食い止める。
「離してください」
「馬鹿か! 魔法があっても防ぎきれない攻撃だぞ。お前だって殺される」
「田上さんの命が危ないです」
「お前の命もだ」
「僕の命なんて関係ない」
「関係あるだろ!」
尚も振りほどこうとする邦彦に喝を入れるようにシモンは強く引き寄せる。
「お前がこの場で死んだら誰がチカを守る! 光の巫女を導くのがお前の仕事だろうが!」
「田上さんが死んだら」
「俺が先頭になるからお前は後に続け」
シモンが当たり前のように言うため邦彦は驚いたような表情を浮かべる。
「ついてきてくれるのですか。てっきり田上さん達に任せるとばかり」
「教え子を見殺しにするわけないだろ」
「……やはりあなたを巫女の教師にして良かったです」
邦彦は聞こえるか聞こえないかわからない大きさで呟いてからシモンの後ろを慎重に進んでいく。
(田上さん、日向君、どうか無事でいてください)
千花がすすり泣いている間も倒壊は続く。
千花の存在に怒り狂って暴走しているべモスはこれ以上攻撃を加える必要はないと思っているのか稲妻を撃つことはない。
「……」
千花の気力ももうなくなっている。
虚ろな目で遠くに崩れていく城を見ながら、ふとズボンのポケットに違和感を覚える。
「?」
千花が気だるげにその違和感の正体を手で掴み、取り出す。
それは、長野の実家にあり、高校の寮に置いてきたはずの緑色の石だった。
「なんで、こんな所に」
千花の記憶でも緑色の石を入れた覚えは全くない。
歪に欠けた石は何の変哲もない。
持ったから状況が変わるということもなく、建物は崩れている。
それでも千花の目は石から動かなかった。
『行ってらっしゃい千花。あなたにできることを、精いっぱいやればいいの』
千花がリースに来た目的は悪魔を倒すこと。
自分に大それたことができるのかと不安に駆られた時に、灯子は虚言だと笑わず、真剣に背中を押してくれた。
(帰りたい)
べモスはこちらに意識を向けていない。
ここからゆっくり抜け出してウェンザーズを出てしまえば死ぬことなく帰れるのではないか。
どうせこの世界も千花の産まれた故郷ではない。
全て見捨てて優しい両親の元に帰ればいいのではないか。
(そんな……)
灯子と恭は今のボロボロになった千花を見たらきっと心配してくれるだろう。
もういいと言ってくれるだろう。
(そう、かな)
千花の手が緑色の石から目の前に転がっている杖に向く。
この武器を捨てて、助けられる人を捨てて、1人逃げる。
それは──。
(それは……嫌だ)
何故あの時灯子は千花の背中を押したのか。
わざわざ娘が死ぬかもしれないと言っているのに、何故行けと言ったのか。
それは、千花の性格を理解しているからだ。
千花の、思いやる力を知っているから。
千花の目に光が戻ってくる。
(全部見捨てて後悔しながら生きるくらいなら、この場で死んだ方が何百倍もマシだ!)
千花は杖を強く握りしめると気力を奮い立たせてふらつきながら立ち上がる。
全身が酷い筋肉痛と打撲を受けたように痛く、このまま倒れてしまいそうな程に眠気が襲う。
(でも、まだ生きてる)
千花は己を鼓舞するように一度深呼吸すると、目の前で破壊を続けているべモスをきっと睨む。
「私はまだ生きてる! 生きてる限り、お前を倒してやる、べモス!」
千花の存在に気づいたべモスは再び憎悪をその体に宿らせ、その場で前足を蹴る。
「光の巫女ぉ、悪女め」
千花は気圧されて戦力を失われないように杖を握る力を強める。
「巫女として、絶対に倒してみせる」
「小賢しいんだぞ!」
べモスが先手とばかりに口を大きく開けて一瞬で飛びかかってくる。
千花は素早くしゃがむとべモスの口を避け、獣の腹の部分に魔石を向ける。
「泥の鉄球!」
千花が唱えると、拳大の泥の塊がべモスの腹に撃たれる。
反動でべモスは千花の反対側へと飛ばされるが、全く効いていないのか更に速度を上げて千花の方へ走ってくる。
「泥の海!」
千花が攪乱するために泥をかけるが、べモスは泥を水のように全て飲み込む。
(この魔法は効かない)
「岩雪崩!」
べモスの頭上から鋭い岩が降る。
その速さで落ちても避けられるが、大きな岩が地面に食い込んでいることで防御壁が増えた。
(1回でもべモスの攻撃を受けたら死ぬ。もう動けない。考えて、考えて)
千花の撃った岩を頭で砕きながらべモスは千花を探す。
どうやら目はあまり良くないらしい。
千花はその間に必死になって倒す方法を考える。
(鉄球は何度も撃たないと効かない。泥の海は食べられる。岩も私の力じゃ正確に当たらない)
軌道を求められるものは千花の実力が足りず、かと言って動きを封じるものはべモスの特性によって全く効かない。
(それとも、浄化をこのまま放てば少しはあの威力を止められるかも。その隙に……今の私にそんな体力があるの?)
べモスを弱らせて再び浄化を行う魔力はもう残っていない。
というより、もうこれ以上魔法でべモスを足止めすることも避けたい。
気絶しそうな程疲弊しているのに完璧に浄化できるとは思えない。
(接近して魂を引きずり出せば。どうやって接近する? どうやって引きずり出す?)
千花が何か手がかりはないかと目を動かしている間にも、べモスが岩を砕いて近づいてくる。
間もなく千花とべモスを隔てる岩壁がなくなり、その存在を見られてしまった。
「まずい!」
「光の、巫女ぉぉぉ!!」
べモスが怒号を叫びながらも千花に向かって突進してくる。
千花は攻撃も防御も間に合わず、咄嗟に両腕で頭を庇う。
千花が目を瞑ったその直後。
「がぅっ!?」
べモスが突然の攻撃に情けない声を出して千花から軌道を逸らし、横へ倒れた。
「……興人!?」
千花が目を開けると、前には大剣を握った傷だらけの興人が立っていた。
興人は片手で血が流れている脇腹を押さえながらもう片方の手でべモスに大剣を突き刺している。
「興人! 傷が」
べモスの魔法に穿たれた脇腹は決して浅い傷ではない。
千花が駆け寄ろうとするが、興人はそれを拒否する。
「咄嗟に魔法で軌道を逸らした。見た目より重い傷じゃない」
そう言われても興人のいつもより荒い息遣いや全身の傷を見ると心配が勝つ。
「それよりあいつを倒すぞ。俺も田上ももう時間稼ぎができる程体が保たない」
「……うん」
べモスには魔法が効かない。
それでも、興人が意識を戻してくれたことは千花にとって心強い味方となった。
「どうする? 魔法以外で倒す方法が見つからないんだけど」
「とにかく懐に入って斬りこむしかない。田上はなるべく温存……と言いたいが、流石に1人で相手するのは無理だな」
「じゃあ、泥人形でべモスの視界を狭めれば」
幸い千花の得意な魔法を助長する泥や土で出来た地面に立っている。
泥人形だけであれば少量の魔力で量産できる。
「それで頼む」
「うん!」
足止めと攻撃を同時に考えなければならなかった以前と比べて今は心強い味方がいる。
不安がなくなった訳ではないが、千花は自信を持って魔法を展開し始める。
「泥人形!」
千花達とべモスの間に人型の泥人形が10体以上形成される。
べモスはやはり攪乱されたらしく、四方の泥人形を鬱陶しそうに噛み砕いていく。
「興人!」
「ああ」
興人はべモスに見つからないようにしながら泥人形の合間を走り抜け、大剣の柄を両手で握りしめる。
「グギイイイイ!」
べモスが身動ぎしたため内臓に深く突き刺すことはできなかったものの、鋭い刃は毛深い表面を抜け、獣の皮膚を大きく裂いた。
「邪魔だあああ!」
興人が振り上げた先からべモスの背中を斬りつけようと勢いよく重い剣を叩きつけて振り下ろす。
しかしそれより速くべモスが興人の腹に頭突きを喰らわし、そのまま泥人形を突っ切って千花の方へ突進してくる。
「田上!!」
千花は迫ってくる獣を見上げる。
もう興人は守れない。
今からしゃがんでも頭は間に合わない。
(口の中に入ったら噛みちぎられる。骨まで砕かれて……)
「……骨?」
千花の目の前にいるべモスがスローモーションで動いている。
千花は先程夢で見た灯子と恭の会話を思い出した。
『身の中に小骨が隠れてると喉に刺さって痛いんだよね』
今のべモスに通用するかはわからない。
だが、一か八か、このまま為す術なく殺されるよりと考え、千花は杖をべモスの口に向けて魔法陣を展開する。
「そんなに食べたきゃこれでも食ってろ!」
叫んで千花は大量の泥をべモスの口に発射した。
べモスは一瞬気圧されながらも難なく泥を飲み込んでいく。
「田上っ!」
(そんなことしたら魔力で傷を回復される!)
興人は千花が混乱して魔法を放出しているのかと慌てて駆け寄る。
しかし千花は魔法を展開したまま大きく口を開いて呪文を唱えた。
「メテオ!!」
泥を飲み込み突進してきたべモスの口で視界を覆われた瞬間、千花は杖から腕の長さ程ある大きく鋭い岩を喉目がけて突きつけた。
泥に夢中で判断が遅れたべモスは、鋭い岩を突き刺され、後ろに仰け反る。
「オ、ゴ……」
歪に尖った岩は運が良いと言えるのか、べモスの食道に刺さった。
未だ魔法陣から放出される泥をべモスは飲み込むこともできず、徐々に口から潰されていく。
「……リョウガ!」
魔法を展開する中で千花は見逃さなかった。
遠くで倒れていたリョウガが、まだ生きていたことを。
立ち上がって勝機を窺っていたことを。
「っ!」
口を閉ざされたとは言え、べモスは前足の大きな爪で千花を切り裂こうとする。
リョウガの足でも間に合わない。
そう千花が絶望しそうになった時だった。
「おらあああ!」
リョウガが己を鼓舞するように叫ぶと同時にその体が変わっていく。
人型だったその姿は毛深い茶色に、手だった部分は前足となり、四足歩行になる。
ライオンの姿に変わったリョウガは人型の倍の速度でべモスに近づくとその背中に鋭い牙を深く立て、吹き飛ばした。
「グフッ!」
背中から地面に叩きつけられたべモスは空気の抜けるような悲鳴を漏らしながら仰向けに倒れる。
その衝撃からか、べモスの体から先程空に抜けていった瘴気がまとわりついている。
「まさかまた!」
「いや、これは」
べモスが再び空に稲妻を降らそうとしたのかと身構える千花だったが、ふと違和感に気づく。
瘴気は確かに空へと昇ろうとしているが、それは空中で球体のように固まり、何かの形に歪んでいく。
「グ、グウ……」
べモスが苦しそうに呻く。
いや、べモスではない。
瘴気の塊から声が出ているようだ。
「あれってまさか、魔王の魂?」
一定の衝撃を与えれば悪魔は体から出ていく。
リョウガの噛みつきは獣の体に致命傷を負える程のものだったらしい。
「田上!」
「グアアア!!」
興人が叫ぶと同時に魂から咆哮が放たれる。
魂は球体から徐々に意味のある形を成していく。
それは鼻が長く、太い足と巨大な体を持つ、ゾウの姿だった。
「べモスが復活すればまた体に戻される! 田上、早く浄化を」
「うん! イミル……」
千花が急いで杖をべモスの魂に向けて浄化を唱えようとする。
しかしその直前で膝から力なく崩れ落ちる。
「田上!」
興人が焦りを込めて千花の名を叫ぶ。
千花も慌てて立ち上がろうとするが、もう体が動かない。
それどころか杖を握る力も弱くなっている。
(もう少し。もう少しで勝てるのに)
こんなところで魔力がなくなるなんてあってはならない。
千花は何とか杖をべモスの魂に向けようとするが、座り込んだままでは焦点が定まらない。
その間にも魂は段々形を成していく。
「うぅ……」
千花は呻きながら震える手で杖を持ち上げようとする。
早く浄化をと思えば思う程軌道が合わない。
(ここまで来たのに。こんな、終わり方)
千花が苦痛を露わにしながら徐々に杖が下がっていくのを見届けるしかなかった瞬間、急に体が浮き上がった。
「リョウ、ガ」
未だ獣の姿に変わっているリョウガが千花を背中に乗せる。
そのまま後ろ足を強く蹴ると、高く速くべモスの頭上にまで飛ぶ。
その状態のまま一瞬で人型に戻ると、リョウガは千花の握っている杖を自身も掴む。
「やれ! チカ!」
リョウガの合図と共に千花ははっと我に返る。
そして全ての神経を杖に注ぎ込むように大きく叫んだ。
「イミル、エルド!!」
魔石から放たれた光はべモスの魂を包み込もうとする。
「ウウウウ!!」
しかしべモスの瘴気に塗れた魂はその光を拒もうと対抗する。
「……っ、おりゃあああ!!」
千花は力の限り杖を握りしめ、瘴気に打ち勝つように光を強める。
光は徐々にべモスを包んでいる瘴気も巻き込み、その魂を残さず飲み込んでいった。
「うわあああ!」
べモスは圧倒的な光に為す術なく、ゆっくりと飲まれていき、魂ごと消滅した。