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光の巫女  作者: 雪桃
第3章 ウェンザーズ
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黒い稲妻

「許さないんだぞ。光の巫女の力。あの方を苦しめた悪女め」


 べモスはこれまでとは比にもならない程憎悪に満ちた顔で低く唸る。

 リョウガはその隙をついてべモスの背後から殴りかかる。


「お前はもう邪魔なんだぞ」


 千花の存在に気性を荒立てたべモスの前ではリョウガはただの虫けらとしか思われない。

 べモスはハエを追い払うように尻尾で強くリョウガを引き離す。


「まだ生きてるんだぞ。雑魚共より、あいつは体を引き裂いて二度とこの世界に産まれ落ちないようにするんだぞ」

「やめ、ろ……」


 べモスが吹き飛ばした千花にゆっくり近づこうとする。

 リョウガは必死に意識を失わないよう顔を上げてべモスの太い後ろ足を掴む。


「チカは、殺させない」


 満身創痍の中、リョウガは希望を失わないように、自分にも言い聞かせる。

 千花も興人も気絶している今、べモスを倒せるのはリョウガしかいない。

 そして、魔王の魂を浄化するために千花は決して殺してはならない。


「……これだからリースの生き物は嫌いなんだぞ」


 べモスは面倒くさそうに言いながら後ろ足を掴んでいるリョウガの腕を前足の爪で突き刺す。


「うあああ!」


 その激痛にリョウガは絶叫する。

 しかし前足を掴む手だけは更に強くなる。


「離すんだぞ」

「死んでも、離さねえよ」

「離せ!」


 べモスは前足でリョウガの体を突き刺し続ける。

 手、腕、肩、背中、足──その太い爪に抉られ、リョウガの体は血まみれになっていく。

 それでも手の力は決して緩まない。


「しつこすぎるんだぞ!」


 べモスはリョウガの執念深さに苛立ちを隠せていない。

 しかしリョウガも激痛に息を荒げながら叫ぶ。


「この国を取り戻すまで、絶対に死なねえよ!」


 己を奮い立たせながら、べモスに威嚇するように、リョウガは掴んだ手を離さないまま自分の牙でべモスの後ろ足を強く噛みちぎった。




 気づいたら目の前には灯子と恭が座って楽しそうに話していた。


(なんで2人が。私、何してたっけ)


 千花は頭に靄がかかったようにぼんやりとした意識の中、2人の会話を聞いていた。


「今日は魚か」

「嫌いだったっけ?」


 少し残念そうな様子で言う恭に灯子が首を傾げる。


「好きだよ。好きだけど身の中に小骨が隠れてると喉に詰まるからね。なければいいんだけど」

「魚も生き物だから。それくらい我慢して食べて」

「はい」


 子どものような愚痴を零す恭に呆れながら灯子は千花にも視線を向ける。


「千花も、好き嫌いせず食べるのよ。まあ千花が食べ物を残したことなんてないんだけど」


 灯子に言われたように千花は目の前のテーブルに目を落とす。

 そこには灯子が作った料理が並んでいた。


(でも私、今は)


 何をしていたのだろうか。

 何か大変なことが起こっていた気がするが、思い出せない。


「冷めたら美味しくないわよ。召し上がれ」

(……うん。いただきます)


 千花は自分の箸と食器を持って料理に口をつける。

 温かいのか、美味しいのか、頭はぼんやりとしていてわからない。


「本当に千花はよく食べるね」


 千花が食べ始めたところから恭は話し続ける。 

 それに灯子が答える。


「子どもの頃からそうよ。その小さなお腹を風船みたいに膨らませるくらい食べるんだもの」


 そんなに食べていただろうかと灯子の大げさに聞こえる昔話に耳を傾ける。


「嫌いな物もなく何でも食べて健康に育ってくれてるから私達も嬉しいのだけど」


 灯子はそこで一度言葉を区切り、千花の目をしっかり見る。


「千花、全ての食べ物に感謝を持つのよ」

(感謝?)

「そう。あなたが今食べている物は全て命が宿っているわ。お米にもお肉にも野菜にも。あなたはいつも幸せそうにご飯を食べるけど、そのことだけは忘れてはならないわ」


 あなたの体は沢山の命でできているのだから。


 灯子が微笑みながら千花に言う。

 千花は箸の手を止め、首を縦に振る。


(わかってるよ。今までも、これからも命には感謝しましょうって教えられたから)


 沢山食べる千花だからこそ、昔から大人には感謝しなさいと言われてきた。

 千花もその教えを守って食べ物を粗末にすることはなかった。


「そうね。千花は感謝の念を忘れたことがなかった。だから千花、あなたが教えてあげなさい」

(何を?)

「ただ自分のお腹だけを満たすために食物を貪り、命の尊さやありがたさを知らない悪魔に、命への感謝を教えてあげるの」


 灯子が放った言葉を耳に入れた瞬間、千花の脳が爆発を起こしたように一気に覚醒し始めた。


(そうだ。今いる所はウェンザーズ。べモスの魂を浄化するために、お城に行って)


 千花が全て理解し終わると同時に目の前の景色が霧になっていく。


「お父さん! お母さん!」

「そこまでわかってるのなら、もう大丈夫。戻りなさい」


 霧になっていく灯子と恭に、千花は慌てて手を伸ばす。

 その手を優しく包み込み、灯子は千花に微笑む。


「千花。痛みにも苦しみにも負けず、あなたらしく皆を救うのよ」


 灯子が手を離して遥か向こうへと消えていく。

 残された千花の手には、魔石が埋め込まれた魔法杖が握られていた。


「っ!」


 次に千花の目の前に広がったのは褪せた朱色の天井だった。

 更に下の方を見ると無造作に生えた雑草やでこぼこの土で出来た庭があった。


「私……うっ!」


 起き上がろうとした千花だが、全身に激痛が走った。

 仰向けのまま自分の体を見ると、土や泥の間から部位を問わず擦り傷が目立っている。

 更に左腕には獣に爪で引っ掻かれたような深い傷が3本入っている。


「確か、急にべモスが襲いかかってきて」


 一瞬だったため千花も確実な情報はわからない。

 しかしリョウガ達と戦っていたはずのべモスが飛びかかり、自分を横殴りしたことだけは思い出せる。

 恐らく擦り傷と、全身に走る鈍い打ち身のような痛みは吹き飛ばされて地面に叩きつけられた時にできたものだろう。


「杖、私の杖は」


 痛みに耐えながら千花は上半身だけを起こして杖を探す。

 だが探すまでもなく、杖は千花の側に転がっていた。

 意識を失う直前まで握っていたようだ。


「良かった。飛ばされてなくて」

「ぐああああ!」


 千花が杖を拾い上げると同時に何かの絶叫が聞こえた。

 千花が驚いて体を震わせながら声のする方を見ると、ライオンの姿をしたべモスに押しつぶされているリョウガの姿があった。


「リョウガ……っ!」

「しつこい! しつこい! いい加減くたばるんだぞ!」


 千花が起きたことには気づいていないらしく、べモスは怒りをリョウガにぶつけながら背中の骨を折ろうと前足に力を入れる。


「ぐぅっ」


 骨が軋む音が千花にまで聞こえてくる。

 あれだけの対格差で容赦なく踏み潰されればあっという間にリョウガは動けなくなるだろう。


(とにかくべモスを引き離さないと)


 千花は左腕を庇いながらも杖を両手で握りしめ、泥団子を発射しようとする。

 しかしこの距離で小さな泥を当てたとしてべモスを動かせるとは思えない。


(それなら)

泥の鉄球(マッドアイロン)!」


 千花は泥団子を更に大きく、硬くした鉄球のような魔法を展開し、べモスに勢いよく投げつける。

 鉄球は凄まじい速さで杖から発射されると、鈍い音を立てながらべモスに直撃した。


「ぐふっ!」


 頭蓋骨を砕きそうな程硬い泥の球はべモスの脇腹にめり込みながら吹き飛ばしていく。


「光の巫女ぉぉぉ!」


 べモスは自分を攻撃した敵が千花だと気づき、地を揺るがす程の怒鳴り声を上げる。


「リョウガ!」


 千花は重い体に鞭を打つようにリョウガの名前を叫びながら彼の元へ向かう。

 その場所からは室内の様子がしっかりと見えた。

 そして千花は、無数の死体と血だまりの中に、興人が倒れている所を見つける。

 千花は驚愕した表情でリョウガを見返すと、火傷のような痕や刺された傷が全身にあるのがわかった。


「優勢だったんじゃないの」

「あいつの手のひらで踊らされてたんだよ」


 千花は、自分が周りが見えなくなる程浄化に集中していた間に何があったのか、リョウガの言葉と室内の様子で大体予想がついた。

 そして同時に、今のままでは全員食い殺されて終わりだということもわかる。


(援軍を待つ時間はない。ううん、援軍が来たとしても勝てる確率は低い)


 千花がべモスへの勝機を徐々に失っている中で、前から低い唸り声が聞こえてくる。


「ウウウ……光の巫女」


 べモスは先程までの馬鹿にしたような表情が一変、憎悪と激怒以外の感情を全て失ったような顔で前足を蹴る。


「お前さえいなければ。あの方は今でもボクの元に。ボクはこんな惨めな姿にならなかった。お前のせいで」


 独り言のような、千花に語り掛けているような、どちらとも取れる恨み言をべモスは呟く。

 傷だらけの体を動かして千花は杖をべモスに向ける。


「待て、チカ! あいつに魔法は効かない」

「え?」


 リョウガ達がここまで反撃を喰らった経緯を説明され、千花は杖を握りしめながら絶句する。


「それじゃあ、私の魔法は何の役にも立たないじゃない」


 護身用に小型のナイフは携帯しているが、獣のスピードと強靭な肉体に太刀打ちできるわけがない。


(興人ももう動けない。私は役に立たない。リョウガももう限界。どうしよう。どうしよう)

「グルルルル」


 千花が段々焦り始めると同時にべモスが唸る。


「グルルルァアアアア!!」


 べモスが一際大きく威嚇のような絶叫を上げた瞬間、その獣の体が紫色の靄に包まれ始めた。


「何!?」


 千花が驚きの声を出している間にも靄は体を中心に広がっていく。

 その靄から煙のような筋が天井に伸びていく。

 筋は天井を突き抜け、一直線に雲の隙間へ入っていく。

 そして、筋が突き刺された中心から波紋のように空が紫色に拡がっていった。


「これは、瘴気?」


 波紋に拡大される紫色の靄は徐々に空全体を覆い尽くす膜のようになり、灰色の雲は全てべモスが生み出した瘴気によって紫色の重苦しい雲に変わった。

 雲の隙間からは黒い光のようなものがバチバチといくつもの場所で鳴る。


「あれは?」


 千花が黒い光の正体を知るために穴が開いている部分に近づこうとする。

 しかしそれより早くリョウガが千花を抱えながら室内の奥へ勢いよく駆ける。


「ガアアア!!」


 千花達がその場から離れたの一瞬後、べモスが天に向かって咆哮する。

 その直後、点滅を繰り返していた黒い光は黒い稲妻となりながら地面に強く落ちていった。

 稲妻は地面に着いたと同時に轟音を響かせ、ウェンザーズの街に爆発を起こし始めた。

 土でできた地面は割れ、木材の建物は木っ端微塵になる。

 稲妻が落ちた所は一瞬で消し炭となった。


「まさか……」


 千花はその光景から目線を空へと上げる。

 頭上には黒い光がウェンザーズを覆うようにいくつも姿を見せている。

 その光は段々膨れ上がり──。


「やめろ!!」


 リョウガが叫ぶが、その願いは届くこともなく、黒い稲妻がウェンザーズの地へと降り注がれた。

 ウェンザーズの広大な地は大量の稲妻によって爆発を起こされ、どんどん破壊されていく。


「きゃあ!」


 城も例外ではなく、近くにあった稲妻の爆発を受け、窓のガラスも、支えになっていた朱色の柱も、全て崩される。

 爆風によって千花達もその場に留まることができずにあらゆる所へ吹き飛ばされる。


「チカ!」


 リョウガがすかさず千花の手を取って庇おうとするが、突風に引き離される。

 そのまま千花もリョウガも爆発で飛ばされてきた破片や瓦礫に打たれながら地面に叩きつけられた。

 爆発が止んでも、炎に巻き込まれ破壊の手は止まらない。

 城も、街も、原型を留めることはなく、脆く崩れていく。


「っ……うぅ……」


 千花はうつ伏せに倒れながら嗚咽を漏らす。

 傷と血と泥まみれの顔には、涙が流れ落ちる。


「おかあ、さん……もう、無理だよ」


 千花は、自分の目の前で崩れていく城を見つめながら、敗北を吐いた。

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