猛獣との遭遇
「ガアアアア!!」
猛獣は目の前の千花に威嚇するように叫び声を轟かせる。
そのまま呆然としている千花にその巨大な手を振り上げる。
「田上さん!」
「チッ!」
邦彦の焦った声と同時にシモンが舌打ちをしながら魔法を発動する。
シモンの手から放たれた水は鋭い刃となって猛獣を千花から切り離す。
「田上さん、こちらへ!」
それまで硬直していた千花は邦彦の言葉で我に返る。
すぐに邦彦の元へ走り抜けようとしたが、その前に地震のような地響きが辺りを埋め尽くす。
次いでシモンに倒された猛獣と同じ巨体が目の前に飛びかかってきた。
「そういやビーストモンキーは群れで生活するって聞いたな」
シモンが頬を引きつらせながらいつでも攻撃ができるように魔法を発動する。
「どうするクニヒコ」
「あなたはとにかく獣を倒してください。僕は隙を見て田上さんを救います」
「あいよ」
シモンが何十体といるビーストモンキーと呼ばれる猛獣を目の前から倒していく。
邦彦は猛獣に見つからないように気配を消しながら千花の元へ走り抜けていく。
「田上さん、逃げましょう。こちらへ来てください」
邦彦が千花を呼びながら手を伸ばそうとする。
しかしすぐに猛獣に行く手を阻まれてしまう。
(まさかここまで群れが拡がるとは。完全に予想外です)
邦彦はとにかく千花を救うことだけを最優先しようとする。
猛獣は知能が少ない。
最悪邦彦が囮になり、千花が逃げられれば勝ちだ。
(突破口さえ開けば)
邦彦が懐に忍ばせている拳銃を取って目の前の猛獣を撃つ。
腹に弾を打ち込まれた猛獣は痛みと怒りに絶叫を響かせ、地団駄を踏む。
その瞬間地面がひび割れる。
(まずい!)
「この下は崖で……っ!」
邦彦の忠告も虚しく、地面は徐々に崩れる。
千花の足下も崩れていく、気づいたら体は宙に放り投げられていた。
「あっ」
「田上さん!」
抵抗することもできず千花は崖下に真っ逆さまに落ちる。
邦彦が差し出そうとした手も空を掴むだけだ。
「先生……」
千花が邦彦を小さく呼ぶ。
その時千花の腕を掴む者がいた。
「バカが」
千花の腕を掴んだシモンは、彼女を庇うように胸元に引き寄せ力強く抱きしめると、2人一緒に落ちていった。
「……カ、チカ、起きろチカ!」
頬を軽く叩かれながら千花は重い瞼をゆっくり開く。
意識が覚醒しないまま最初に視界に映ったものは眉を寄せて顔を覗き込むシモンの姿だった。
「うわあ!?」
千花は近い顔に思わず叫んで頭を勢いよく上げてしまう。
必然的に千花とシモンの頭が強くぶつかった。
しばらく痛みに悶える2人の構図ができあがった。
「急に起き上がる馬鹿がいるか普通」
「いや、目が覚めたら男の人が近づいてるとかびっくりするでしょう」
「仕方ねえだろ。崖から落ちてお前が目を覚まさねえから頭でも打ったかと思ったわ」
「崖?」
千花は赤くなった額を擦りながら周りを見渡す。
先程あった薬草畑とは違い、一面茶色の硬い地面が拡がる無機質な場所だった。
(そういえば私、獣に襲われて落ちたんだっけ)
吹き飛ばされる直前、シモンが体で庇ってくれたから無傷で済んでいる。
魔法も使えず受け身も咄嗟に取れない千花が1人で落ちたら今頃命はなかっただろう。
「ありがとうございますシモンさん」
助けてくれたことに素直に礼を言うシモンは一瞬痒そうな顔をする。
「なんですかその顔」
「素直に礼を言うのが気持ち悪いんだよ」
「礼儀がどうこう言ってたでしょうが!」
笑顔が引きつっているシモンに怒りをぶつけてから、千花はゆっくり立ち上がる。
「ところでここはどこですか。さっきの草原の真下でしょうけど」
「あながち間違いではないな」
シモンも立ち上がり、手の中に魔法陣を発動させると周りをぐるりと見渡して、先へ歩き始めた。
「ど、どこ行くんですか」
「戻るんだよ。クニヒコならあれくらいの猛獣を対処できるだろうし、はぐれたらギルドに戻るようにしてるから」
「道がわかるんですか!?」
「魔法なら余裕だ」
千花も慌ててシモンの後を追いながら魔法の無限大さに驚く。
その間にもシモンは魔法を使用しながら道を辿っていく。
「さっきの大きな猛獣はどこにでもいるんですか」
沈黙が流れることに耐えられない千花は今疑問に思ったことを聞いていくことにした。
シモンは魔法に集中しながら口を開く。
「七大国の間にある森や洞窟には多くいるな。さっきの黄色い花みたいに高魔力を有した食物が多いから」
「猛獣も魔力が欲しいんですか」
「リースにいる奴はどんだけ知能のない奴だろうが魔力を欲する。魔力が高ければ高いほど地位は高いからな」
この世界にもやはり優劣をつける材料は存在するらしい。
魔力がないと人間としても認めてもらえない差別意識もあるらしく、どこの世界に行っても悲しいことは続く。
(あれ?)
そこでふと気づく。
邦彦は魔力を有していない。
それにも関わらず巫女候補を探すという有力な地位についている。
(本当は魔力を持ってるけど訳あって隠してるとかかな)
千花が呑気に考えながら歩いている横で、シモンは怒りとはまた違った、感情のこもっていない目で千花を見下ろしていた。