ただいま
最終話です。
千花は長野行きの新幹線をホームで待っていた。
準備が思いのほか早くできてしまったが、それでも10分程度だ。
「でも、こんなことならもう少し多めに朝ごはん食べておくべきだったなあ」
千花は未だに満腹ではない腹を擦りながらはあとため息を吐いた。
「あれだけ食べて、まだお腹に入るんですか?」
そんな彼女の隣に立ち、呆れたように言う彼は邦彦。
彼に呆れられても、千花は諦めきれない様子だ。
「だって今日で最後の学食ですよ。食べられるものは食べておかないと」
「卒業証明書があればいつでも来れますよ。そんな一生来れないような言い方しないでください」
邦彦は呆れながらも千花の相変わらずの食い気にいつも通りな少女の姿を浮かべて笑う。
「ですが、田上さんは長野の大学に行くことが決まりましたし、そう簡単には東京に来れないでしょう。帰ってきたらもてなしますので、遠慮なく仰ってくださいね」
「ほんとですか!? 美味しいお店調べときますね」
「あなたは一度食べ物から離れましょう」
そんな会話をしているうちに、長野へと向かう新幹線が到着した。
「それでは安城先生、お世話になりました」
「ええ。また遊びに来てくださいね」
「はい」
千花は新幹線に乗り込む。
キャリーケースを上に乗せ、指定された座席に座り込むと、発車されるまでの数分、くつろぐことに決めた。
(やっと、終わったんだ)
千花は「ふう」と一息吐くと、これまでのことを思い返す。
イシュガルドがトロイメアを襲った第二の聖悪戦争は、光の巫女の思いとイシュガルドの消滅によって幕を閉じた。
悲恋と言うべきか、最愛の、結ばれてはならなかった者との別れに打ちひしがれている光の巫女に千花がどう声をかけていいか迷っていたのも束の間、彼女は立ち上がると城からトロイメア全土を見下ろし口を開いた。
「私の判断が遅かったばかりに、再び悲しみを生ませてしまいました。それは変わりません。ですが」
光の巫女は次に千花へと顔を向け、手を差し出した。
「私は最後の力を使い、この世界を元に戻します。浄化の力を全て使えば、命も戻ってくることでしょう」
「そんなことできるんですか!?」
神の力は偉大だと、千花は改めて圧倒された。
「ただし、浄化の力を全て使うということはそれだけ魔力の消費が激しいということ。多くの民の命を救うために、魔力を全て投げ出さなければなりません」
「えっと、それはつまり?」
「私の命と共に、あなたにも魔力を全て受け渡していただきたいのです」
千花はその言葉で理解ができた。
トロイメアを、イシュガルドに奪われた者達の命を救うには、千花の魔法を使える力が代償になるということだ。
もちろん、光の巫女も消し去られることになる。
「私の覚悟はできています。元よりイシュガルドと共に眠ろうと思っていたこの魂、最期は愛する民に使いましょう。あなたはどうされますか?」
「……魔法が使えなくなることは悲しいけど、救える命を見殺しにする方がもっと悲しいです。どうぞ使ってください」
千花は光の巫女の手を取ると、少し泣きそうな顔で微笑んだ。
その姿を見て光の巫女も微笑むと、真剣な顔に戻り、口を開いた。
「神の名のもとに、全ての命に祝福を」
光の巫女と千花の周りを光の輪が取り囲む。
その輪はトロイメアを、リース全土を巻き込み、光の粒を振りまいていく。
光の粒を浴びた生物は皆命を吹き返し、傷を治し、生気を取り戻した。
「田上さん!」
光の輪が収束すると同時に千花は誰かに呼ばれる。
紛れもなく邦彦の声だ。
1人になった千花を見て、心配そうに彼女を覗き込む。
「一体、何が起きたのですか、田上さん」
「……終わりました」
千花は自分の手のひらに残る最後の光の粒を空に流し、邦彦へと向き直った。
「全部、終わりました。安城先生」
そこから先もまた大変だった。
命を取り戻したとは言え戦争に巻き込まれた国民が黙っているわけもなく、壊れた王城には人が殺到し、原因究明を求めたのだ。
千花が光の巫女だったことも隠さなければならないため全てシルヴィーに矛先が行き、彼女の心労は見るに堪えないだろう。
千花もただで帰されるわけには行かず、トロイメアを復興するシルヴィーに代わって七大国のウェンザーズ、バスラ、ウォシュレイの王族に聖悪戦争が終結したことを伝えなければならなかった。
同時に、光の巫女が消滅したことも。千花が魔力を失ったことも。
(皆、責めてこなかっただけ本当にありがたいな)
千花を責めるよりむしろ魔力を失ったことや戦争に巻き込まれたことを心配してくれたことが千花にとっては救いだった。
だがやはりこちらも黙っておらず、千花は復興の手伝いと称してトロイメアにまだ居残ることになったのだ。
学業の合間に魔力なしの状態でリースに来てはトロイメアを直す手伝いをする。
たまに魔力なしの状態を怪しまれはしたが、そこはシモンや興人に庇ってもらいつつ何とか秘密を突き通せた。
『お前もまた迷惑かけられた側だな』
とはシモンが同情して千花に最初に言ってくれた言葉だ。
確かに言われてみれば千花も巻き込まれたものの1人かもしれない。
だって元は、光の巫女とイシュガルドの愛を邪魔した神への制裁だったのだから。
そんな目まぐるしい事態から早2年、18歳、高校3年生になった千花は長野にある大学に進学するために頑張って勉強し、第一志望をくぐり抜け、無事卒業までたどり着いたわけだ。
(受験勉強は本当に疲れた。安城先生、容赦ないんだもん)
千花のためとは言え、疲れ切っている彼女に対して相変わらず勉学には手抜きを怠らない邦彦のマンツーマンの指導の元、千花は何とか留年せずに済んだ。
それはありがたいが、ムチが強すぎた。
(でもそれも今日でおしまい。全部、全部終わったんだ)
千花は窓側の席に肘をついてもう一度深く息を吐いた。
その瞬間だった。
(あれ?)
目頭が熱くなり、頬を伝う何かがあった。
千花が掬ってみると、それは涙だった。
(ああ、そっか。私、やっと帰れるんだ)
何度も死にそうになった。
何度も挫けそうになった。
何度も、悲しかった。
それでも、ここまでやり遂げてきた。
千花は近くに誰もいないことを確認すると、静かに嗚咽を零した。
長野から東京まで1時間と30分。
そこからバスに乗り継ぎ、また30分。
千花はキャリーケースを引きずりながら坂道を登る。
(もう少し、あと少し)
千花は沸き立つ気持ちを抑えながら一歩一歩足を運んでいく。
そして、目的地に着いた。
インターホンを押すとすぐにその人は出迎えてくれる。
千花は笑いかけてくれるその人に対して、花が咲いたように笑って口を開いた。
「ただいま、お母さん」
ご愛読ありがとうございました。
雪桃の次回作にご期待ください。