光の巫女の記憶
今までの争いが嘘のように降霊の間は静けさを保っている。
ネクロもいないということはどこかへ避難しているのだろうか。
千花はロウソクの前まで来ると正座をし、目をつぶってゆっくり深呼吸をする。
(光の巫女様は絶望している。その理由は、もうわかってる)
何度か深呼吸をしている千花だが、交信はされない。
魂を戻してもらっても光の巫女本人が心を許さなければ千花の努力も水の泡になる。
だが千花には確信があった。
彼女は必ず千花に語りかけてくれるだろうと。
(そう。イシュガルドを止めるために)
千花は集中しながらも、受け継がれた記憶を呼び戻した。
光の巫女は生まれた時から神になったのではない。
人間に、多くの種族に光を授けた者として神になったのだ。
光の巫女が授けた光は様々だった。
愛情を向け、慈愛を持ち、信頼を抱いた浄化の魔法はリースに住まう者達に平和をもたらしていた。
トロイメアを建国してからは人間に政治を任せ、光の巫女は更に獣人、ヴァンパイア、人魚とそれぞれが棲みやすい居住地を作る毎に光をもたらす旅を続けていた。
旅を続けて数ヶ月。
光の巫女は泉の前で銀髪の青年と出会った。
彼は大きな体躯を持ち、切れ長の双眸と薄い唇、目鼻立ちの整った容姿をしていた。
だが光の巫女が気になったのは彼の容姿ではない。
その背中に大きく、斜めに刻まれた鋭い爪で抉られたような傷が目に入ったのだ。
『まあ、なんということでしょうっ! 早く手当てしなければ』
光の巫女は青年に駆け寄り、その場に座り込む。
光の巫女が彼に触れようとすると、青年は拒むようにその手を払い除けた。
『私に触るな』
拒絶する青年に光の巫女は驚く。
今まで自分を拒んだ者がいなかった光の巫女は初めての経験に体が追いついていかなかったのだ。
だがそれも一瞬のこと。
動いたことで痛みを感じた青年が顔を顰め、光の巫女は再び触れる。
『私に治癒能力はございません。ですが、あなたがこれ以上苦しむ姿は見ていて苦痛になります。どうか、私のできることをさせてください』
光の巫女は祈るように青年の手を握る。
その手の温かさに青年も傷の痛みが和らいだ気配を感じ、そっぽを向いて口を開く。
『好きにしろ』
『ええ、ありがとうございます』
そこから先は手探り状態であった。
今まで傷の手当てなどしたことのない光の巫女は、教わったことを思い出しながら、清潔な布、清潔な泉の水を使い、何とか傷を止血していた。
『これでどうでしょうか。まだ痛みはありますか?』
『いいや、動けるようになった。礼を言おう。名はなんと言う』
『愛する民からは光の巫女と呼ばれております』
『光、か。さぞ愛されているのだろうな』
『あなたは愛されていないのですか?』
『愛されたことなどない。私はずっと、闇の中にいた』
青年の言葉を聞いた光の巫女は驚愕する。
今まで光に満ち溢れてきた巫女にとっては、愛されない経験などなかったからだ。
『そんなの、あんまりです』
『これが私だ。あまり口を出すものではない』
青年に突き放された光の巫女だが、何か考えるような仕草を見せて、「そうだ」と閃く。
『傷の具合が良くなるまで、私と共に旅をしませんか?』
『旅、だと?』
『ええ。あの傷ではまだ十分には動けないでしょう。私、1人で旅をするのも寂しく感じていたところなのです。共に地を廻り、愛されるということを知りませんか?』
必要ない、と言おうとした青年だが、光の巫女があまりにも期待を込めた視線を送ってくるため、否定しきれずに黙る。
『どうでしょうか』
『……そうだな。たとえ故郷へ帰ったとして、この傷ではまた同じことの繰り返しになる。お前についていこう』
『はい、共に行きましょう。あ、お名前を聞いても?』
青年の名を聞き忘れていたことに気づいた光の巫女は今更ながらという気まずい気持ちを込めながら問う。
だが青年は口を開こうとして考え込む。
『総称はあるがその名で呼ばれるのは好かない。お前が考えてくれ』
『え? えっと、では……』
名づけを任されたことのない光の巫女はひとしきり考え、思いついたように微笑む。
『愛される者、というのはどうでしょうか?』
光の巫女が発した意味のある名前に青年は一瞬目を見開き、1つ息を吐く。
『お嫌でしたか?』
『いや、そんな大層な名前をつけられるとは思わなかったからな。いいだろう。その名で旅をしよう』
青年──イシュガルドは嬉しそうに微笑む光の巫女に続いて傷が治るまで暮らすことにした。
聖悪戦争が起こる、1年前のことだった。