闇の中のトロイメア
トロイメアへ着くと、千花は一気に重圧感を抱き、膝から崩れ落ちてしまう。
「田上さん、大丈夫ですか?」
「だ、大丈夫です。ちょっと、体がついていかなかっただけで」
邦彦が何ともないところを見ると、やはりイシュガルドはすぐに千花の魔力を検知したようだ。
どこからでも見張られていることを感じ取り、千花は息苦しささえも抱く。
(それでも、王城に行かなくちゃ)
千花が立ち上がり、トロイメアの国境へ入ろうとしている間、テオドールは愉快そうにさっさと先へ進んでしまっていた。
「わぁいトロイメアだぁ! 懐かし~」
「テオドールさん、今はそんなことを言っている場合では」
邦彦が叱責しようと詰め寄るが、やはり自由なテオドールは水晶玉のような瞳で彼を見下ろすと楽しそうに笑う。
「悪魔を倒せばいいんでしょ~? 大丈夫、ライラと約束したから人間は殺さないよぉ」
そう言うとテオドールは邦彦の返事も待たずにトロイメアの中へ入ってしまった。
「テオドールさん!」
「いえ、田上さん、彼はあのままにしておきましょう。不死の彼は、魔力も随一です。悪魔に敗れることはありません」
「……確かに。じゃあ、私達は」
「ええ。王城へ向かいましょう」
千花は息苦しさにも慣れ、走ることすらできるようになってきた。
邦彦と共に国境を跨ぐ。
その瞬間だった。
「ギャギャギイイイイ!!」
一斉にガーゴイルが2人目がけて襲って来た。
「倒し方は覚えていますね」
「はい!」
千花は魔法杖を手に、邦彦は拳銃を構えてガーゴイルの額の赤い石を狙いながら先へ進んでいく。
倒していきながら、千花は「あれ?」と違和感を覚える。
視界を遮る程のガーゴイルが襲ってきてはいるが、千花へ向かってくる者は誰もいない。
むしろ先頭を切って走ってくれている邦彦にばかり集中している。
(ああ、そういうことか)
千花は疑問の答えを瞬時に導き出し、悔しさに奥歯を噛みしめる。
イシュガルドは千花を花嫁にしようとしている。決して彼女は傷つけないのだろう。
身体的には。
彼女の大事にしている仲間を、国民を、命を目の前で散らせて、絶望の淵に叩き込んでやろうとしているのだ。
「やめて、やめてよ」
千花は周りを見る。
王城に向かって悪魔から身を隠しながら慎重に逃げようとしている者もいる。
子どもを庇って悪魔に襲われている者もいる。
力尽き、動けない中悪魔の餌食にされそうになっている者もいる。
「こんなことされたって私は絶対花嫁になんかならない! だからもうやめてっ!!」
千花は涙を流しながら自分だけ傷つけられないことに激怒する。
自分のことも平等に扱ってくれさえすれば人間としていられたのに、それすらイシュガルドが許してくれずに自分を神だと崇め立ててくる。
その不平等さに千花は怒りを抑えきれない。
「落ち着いてください田上さん。あなたの怒りを、理解できない者はここにはいませんから」
邦彦も千花が神として扱われていることにすぐに気づいたのだろう。
千花が激怒していることも知りながら、戦って宥める。
「あなたが一緒に戦ってくれているから僕は無傷でいられます。あなたは1人の人間として、戦い続けてください」
「……っはい」
千花は涙を拭い、前を向いて魔法杖を構える。
邦彦に襲いかかる悪魔も、周りで倒れている者を襲う悪魔も全て消し去る。
その勢いで、千花は魔法を繰り出した。
魔神イシュガルドは千花が中々絶望しないことに憤りを抱いていた。
「なぜだ。なぜお前は絶望しない。光の巫女は、すぐに絶望したというのに」
999年前、閉じ込められた光の巫女はイシュガルドの凄惨たる虐殺に心を痛め、それ以上見ていられないと魔神諸共自分を封印した。
イシュガルドは995年間、光の巫女の魂を見つける名目で機関を作り上げ、戯言を並べながら耐えてきた。
そしてようやく見つけ出した2人の光の巫女は、それぞれイシュガルドの手元に来た。
1人は光の巫女の魂が覚醒する前に死んだ。
その魂は忌々しき光の巫女の守護者によって奪い返された。
ようやく手に入れたと思った半分の魂も、全く絶望することがない。
イシュガルドは煮え切らないその態度に怒りを露わにし、今こうして悪魔を作り上げ絶望させようとしているのに、悉く邪魔をされる。
光の巫女が、田上千花が言っている仲間の説得によって。
「そうか、仲間か」
イシュガルドは地上に視線を下ろし、千花と共に王城へ向かっている男や、遠くの方で戦いに興じている者達数名を見下ろし、意識を向ける。
「仲間が消えれば、お前を絶望から救い出す者はいなくなる」
イシュガルドは、どす黒い魂を5つ、地上へと放り込んだ。