天界フィリアス
「田上さんっ」
倒れ込む千花を邦彦は急いで抱きとめる。
マーサがすぐに彼女の生存確認を行うが、呼吸は正常で心臓も動いていることがすぐにわかった。
「フィリアスへ行ったってことは魂だけ抜かれた状態になってるんじゃなぁい?」
「巫女が戻ってくるまでは、私達は用済みってことね」
そう言ってライラックは部屋を出ていこうとする。
その行動を見てシモンは眉を寄せる。
「あんたら、もし魔神がリースを破壊しようとしたらどうするんだ」
「どうもこうも、私はもう地上で交流を持つ気はない。滅びたきゃ滅べばいい」
「協力する気はなしってことか」
「元々、光の巫女のことだって私はどうだって良かった。ただ自由になれば、それでよかったのよ」
ライラックはそれ以上の会話は無駄だとでも言うようにシモンの言葉を待たずして部屋を出ていく。
テオドールも「ライラが行くならボクも~」と自由奔放になってしまう。
「あの2人は魔神が現れたとして戦う気は望み薄だな。あんたはどうするんだ、マーサ」
「私も2人に同意見だが、ここまで巫女に関わってきちゃあ情が移るってもんだね。怪我をした時の治療くらいはしてやるよ」
「ありがとうございます。後は……」
邦彦が口を開きかけたところでメモ用紙が1枚彼の手に渡る。
そこにはこう書かれてあった。
『私は、巫女様についていく』
それは今まで一度たりとも声を発することのなかった者の言葉だろう。
緊急事態になってまで上がり症の部分が発動されてしまうのは苦笑ものだが、リンゲツは千花に感謝の念を抱いていることもある。
必ず力になってくれるだろう。
「後は、各国へ救援要請を送りましょう。魔神は人間だけでは太刀打ちできません」
「また全面戦争が起こるわけだな」
「ええ。全ては、田上さんが起きた時に決着がつくでしょう」
邦彦はベッドに寝かされて、安らかに眠っている少女を見下ろし、静かに目を閉じた。
(彼女が絶望し、世界を闇に落とさないように、我々が守らなくては)
果てしない草原で、千花は白いワンピースに身を包み立ちすくんでいた。
いつもは突然夢の中に現れる景色だが、今回ばかりは違う。
自らの意思でこの地──フィリアスに降り立った千花は裸足で草原を歩いていく。
感覚はない。魂だけの存在になっているから、痛覚も感覚もなくなっているのだろう。
「おじいさん」
千花が歩みを進めていくと、真っ白なローブを羽織った老人が立っていた。
老人は千花と顔を合わせると、穏やかに微笑んだ。
その姿はもう何度と見慣れている。
「私、思い出したよ。10歳の誕生日、あなたが私に緑色の石をくれたんだよね」
千花は懐かしむように手に握りしめていた緑の石を老人に差し出す。
老人はその石を受け取り、千花に口を開いた。
「よく、失くさないで取っていてくれたね。これのおかげで、私は君と話すことができた」
石は千花と老人を繋ぐ通信手段であったらしい。
千花は話したいことがたくさんあったが、どこから話していいものか悩む。
「ねえおじいさん、私の真実って何? おじいさんは何者なの?」
千花は平静を装うとしているが、それでも緊張は伝わってきているのだろう。
老人は静かに頷くと、千花に語り始めた。
「1つずつ答えていこう。私の名はグレイ。900年以上前から光の巫女様にお仕えしていた賢者だ」
「賢者?」
「そう。光の巫女様は姫女神様より生まれた光の守護者であった。だが光とは強くもあり脆いものでもあってね。私は光の巫女様が人間を平等に愛せるようにと最初にお付きにされた人間だった」
彼もまたライラックやテオドールのように長生きをしている人間だったらしい。
千花が頭の中でそう考えていると、考えを見透かされたように老人──グレイは首を横に振る。
「私は不老不死ではない。寿命はとうに尽きている」
「じゃあなんでここに」
「魂だけを魔力で繋ぎとめているんだ。だから夢の中でしか会えず、実体を外へ出すことも難しかった。それでも私は生きていなければならなかったんだ。君を……光の巫女様の魂を、探し出すために」
千花はグレイの言っていることが理解できなかった。
光の巫女の魂はトロイメアに眠っているはずだ。
だから千花は努力して降霊術を身に着けたというのに。
「光の巫女の魂は、どこにあるの?」
千花の言葉にグレイは手のひらを上に向け、その中に淡く金色に光る球体を出現させる。
「魂の半分はここにある。これは、ある少女が持っていた魂だ」
「その、少女って?」
「愛川梨沙。君が浄化をし、輪廻に戻してあげた少女のものだよ」
千花は驚きに目を見開いた。
まさかあの時千花が浄化した梨沙が、光の巫女の魂を持っていたとは。
だがそこでまた疑問が残ってくる。
「おじいさん、今魂の半分って。じゃあもう半分はどこにあるの?」
「君の中だよ」
グレイは千花を指し、ゆっくりと歩み寄った。
「田上千花。君は、光の巫女の魂を持って生まれた少女だ」