老人との邂逅
最終章です。
夢でしか会えなかった老人が目の前に立って千花を庇っている。
その事実に千花は別の意味で体を硬直させるが、当の老人はいつもの優しい顔つきではなく、厳しい目つきでイシュガルドを睨んでいる。
「また邪魔をする気か。人間の分際で虫けらのように光の巫女に付き纏う雑魚が」
イシュガルドは怒りを隠すことなく老人に向かって暴言を吐き捨てる。
だが老人も負けじと片手を顔の前にかざすと光を集める。
「あなたがこの子を奪いに来ることは予想していた。だが私がいるうちは手出しをさせない。疾く立ち去るが良い」
「この魔神に指図するか。この国諸共消し去ってやろう」
その言葉に反応したのは千花だった。
せっかく救い出せそうなフレイマーも老人も失いたくない千花は恐怖より先に声を出していた。
「やめて!」
千花の言葉は浄化の光となってイシュガルドの魔法を防ぐ。
同時にイシュガルドは光に充てられ、苦しそうに呻く。
「これが光の巫女の覚醒した力か。面白い。お前が魔神に逆らえなくなるほど絶望できるよう、今は引くとしよう」
そう言うとイシュガルドは闇を纏わせ消えていった。
千花は今になって体から力が抜け、その場に崩れるように座り込む。
「な、なんで、ノーズ機関長が」
千花には信じられないことだらけだ。
機関は光の巫女を守り、リースを守るために存在するものだと教えられてきたのに、その長は千花が──世界が恐れてきた魔神イシュガルドだとは、誰が信じるのだろうか。
千花が呼吸を乱していると、その肩に優しく触れる者がいた。
「お、じい、さん」
千花が過呼吸になりながら老人を呼ぶと、彼もまた優しく千花に微笑み返してきた。
「よくここまで挫けずに乗り越えてきたものだ。千花、君には感謝してもしきれない」
そう言う老人の手は透けていた。
体も徐々に薄くなり始める。
「おじいさん!」
「私の実態はここにはない。魔神を止めるためにここに来たが実体を保つのは難しいんだ。だから千花、お願いがある」
「お願い?」
「フィリアスへ来てほしい。そこで、君の真実を話そう。必ず、光の巫女は魔神に打ち勝つ。そのための説明だ」
そこまで言うと、老人はその場から跡形もなく消え去ってしまった。
1人取り残された千花は、どうすることもできず、ただ呆然とそこに座り込むことしかできなかった。
その後は千花も上の空になりながらフレイマーを導くしかなかった。
主に三賢竜の1人であるマーズが指揮を執ってくれたおかげで、魔王が暴走したこと、魔王討伐隊が悪魔を追い払ってくれたことを事前に説明してくれたため、千花が余分に目立つことは避けられたが、ラヴァー王は目を覚ますことがなかった。
『逆さ鱗を取られ、暴走しながら喉元に大剣を突き刺され、ラヴァー王は重傷を負っている。いつ目覚めるかはわからない』
マーズの見立てによりラヴァー王は魔王の乗っ取りにより意識を取り戻せないことに国民としてはなっていたが、その実態が実は息子の興人によって貫かれたものだということは敢えて言わないでおいた。
魔力が戻ってきた竜人は未だに人間を憎んでいる節がある。
王の息子がいることも今の混乱したフレイマーの情勢では言わない方が賢明だと判断した三賢竜は、興人を機関に返し、光の巫女候補者が颯爽と現れ討伐したらすぐにフレイマーから出て行ってしまったということにした。
「これが、あなた方が機関に戻ってきた後のあらましです」
邦彦は機関内の医務室で三賢竜から聞いた報告を共有する。
医務室にいたのは治療を受けていた千花、興人、そしてシモンとその部屋の住人マーサ。
そして引きこもり気味のライラックと放浪癖のあるテオドールも今日ばかりは一緒にいる。
姿は見えないがリンゲツも側にいるのだと千花は聞かされた。
「フレイマーのことはもういいでしょクニヒコ。現状を説明して」
呑気にフレイマーの説明をしている邦彦に痺れを切らしたライラックが機嫌を悪くしながら先を進めるように促す。
「ノーズが魔神イシュガルドってどういうことよ。それだけじゃ何も納得ができないわよ」
「こればかりは僕自身も対峙していないのでそれ以上のことが言えません。わかっていることは田上さんが魔神に出会い、その身を奪われそうになったことだけです」
邦彦の言葉で全ての視線が千花に向かう。
千花は一気に緊張が走り、言葉を詰まらせながら説明を変わる。
「あ、あれは確かにノーズ機関長の姿でした。一度会っただけですが、忘れる顔ではなかったです」
「それでよく帰ってこれたわね」
「あの、おじいさんが助けてくれたんです。私が、いつも夢で逢う白髪のおじいさんが」
「例の、緑色の石をくれた老人のことですね」
老人の話は既に邦彦に説明してあった。
他の面々には老人については説明していない部分もあったが、そこは光の巫女として特殊なことがあるとわかっているのだろう。
深掘りはせず、マーサが口を開く。
「その老人はなんて言っていたんだい?」
「フィリアス……においでと。そこで真実を語ろうと言っていました」
フィリアスという名を聞いた途端千花とシモン以外の面々が信じられないと言ったような表情を向ける。
シモンはそんな彼らを見て首を傾げる。
「どこだそれ。俺は聞いたことないが」
「ええ。機関の者と王族の血筋を引いた者にしか聞かされない国だと思われます」
「国、というか、1つの世界だよねぇ」
テオドールが空中を舞いながら付け加える。
ライラックが食い止めていなければすぐに飛んでいってしまいそうだ。
「1つの世界?」
「田上さん、フィリアスは悪魔の住まう世界とは真逆にある国……つまり、光の巫女が存在し始めた天界を意味しています」
つまり地球でいうところの天国のようなものだろうか。
そこに連れていかれるということは千花は一度魂を抜き取らなければならないのだろうか。
「そもそもどうやってフィリアスに行くっていうんだい。イアンの扉でも天界になんて行けるわけないだろう」
「それは……」
まさかフィリアスが天界だと知らなかった千花は困った表情を見せる。
老人に会わなければ何も進まないことはわかっていながらも、何も解決策が見出せず、辺りは沈黙が覆い尽くす。
その沈黙を破り、口を開いたのはテオドールだった。
「じゃあさぁ、巫女様のその石にお願いしてみればぁ? 私をフィリアスに連れていってくださいってぇ」
テオドールは千花の持つ緑色の石に興味津々なようだ。
研究対象にされないように千花は守りながらもテオドールの話が案外でたらめだとは思わなかった。
「確かに、今までこの石に願ったらおじいさんが現れたかも……」
「物は試しよ。今ここでやってみたら?」
ライラックに急かされて千花は何の準備もできていないことに尻込みする。
「ライラックさん、いくらなんでも性急すぎでは」
「何言ってるの。今この時でも魔神は巫女を狙って画策してるんでしょ。それならできることは試してみないと時間は待ってくれないわよ」
ライラックの言葉ももっともだと千花は考え、邦彦と目を合わせ、1つ頷く。
「失敗したら、また違う策を考えましょう」
「あなた1人に責任を負わせてしまうことが申し訳ないですが、一度試してみていただけますか」
「はい」
千花は1つ返事をすると緑色の石を強く握りしめ、目をつぶって祈る。
(おじいさん、準備はできました。私を、フィリアスへ連れていってください)
千花が祈りを心の中で伝えた瞬間だった。
『おいで、千花』
優しい光が、千花の目の前に現れる。
その瞬間、千花は意識を失った。