イリートを浄化するために
地面に降り立つと同時に興人はドラゴンの姿から人間の姿へと形を変える。
その腕にはしっかりと千花が抱えられていた。
「馬鹿。俺がドラゴンになれなかったらどうしてたんだよ」
興人から本気で怒られ、千花は委縮しながらも不敵に笑う。
「できるって、興人のこと信じてたから」
千花のたまに出る無謀な勘に興人は呆れながら大きく溜息を吐く。
その間にシモンとプラムが地上に降りてきた。
「お前ら、無謀にも程があるだろ」
まさかシモンも興人がドラゴンになるとは思っていなかったらしく、驚いた表情を見せながら降りてきた。
ただ唯一プラムだけは頭上を見上げ、今の状況を鑑みていた。
「おしゃべりは後よ。鱗を取ったって、終わりではないんだから」
プラムの見ている先を全員で見上げると、イリートはその場に止まり、何やら苦しんでいるようだった。
今なら攻撃が効く。そう考え魔法杖を構える千花だが、次の瞬間イリートは衝撃波を口から吐き出した。
「ガアアアア!!」
地上に向かって放たれた衝撃波は瞬く間にフレイマーを破壊していく。
地面はひび割れ、家屋はなぎ倒される。
プラムが人間を庇おうとするが、それも抵抗する余地なく全員吹き飛ばされていく。
「ガア、グ、ギギ」
「理性を、失ってる?」
あれだけ冷静を保っていたイリートが逆さ鱗を取った瞬間言語すらまともに話せなくなっている。
逆さ鱗を取れば攻撃できるとは言っていたが、同時にドラゴンが理性を失うとは誰も知らなかったのだろう。
千花が立ち上がろうとしている間にもイリートは我を忘れたように破壊の限りを尽くす。
「プラムは……プラム!」
千花が辺りを見回して自分達を庇ってくれたプラムを探すと、彼女は既にドラゴンの姿を保てなくなっており、人間体のまま気絶している。
その体は既に血だらけでボロボロだ。
(プラムはもう動けない。それに、傷も早く手当てしないと)
「シモンさん!」
千花は側にいたシモンに声をかけ、プラムの処置を頼もうとする。
「イリートはどうするんだ。お前、空中戦は苦手だろ」
「俺が行きます。ドラゴンになれば田上を連れていける」
「お前ら2人で倒すっていうのか!?」
シモンの心配ももっともだ。
だが、千花はこのままプラムを失いたくない。
「大丈夫です。私、興人がいれば負けません」
千花の力強い言葉に興人は一瞬彼女を横目で見た後、同じように頷いた。
「……絶対死ぬなよ」
「もちろんです」
シモンはプラムを抱えて未だ何とか形を成している王宮へと急ぐ。
千花は暴れているイリートを見上げ、次いで興人へと目を向ける。
「興人、イリートの所まで連れて行ってくれる?」
「任せろ」
興人は深呼吸を一度すると、再びドラゴンの姿に変化した。
千花は素早く興人に乗ると、そのまま飛んでいく。
イリートは既に敵という認識を持っておらず、思うがままに攻撃しているようだった。
「興人、ギリギリまでイリートに近づける? そしたら私、イリートに乗るから」
「俺の所から攻撃すればいいだろ」
「ううん、私、確認したいことがあるの。そのためには移らないと駄目」
千花が何を考えているかは興人にはわからないが、彼女の願いは叶える必要がある。
興人は意を決してイリートの懐に飛び込むと、その首元を噛んで動きを封じた。
「今だ田上! 足止めはしてやるから好きにしてこい!」
「ありがとう興人!」
千花は蔦をイリートの胴体に巻きつけるとそのまま興人の体を蹴り上げ、イリートへと乗り移る。
(ここは王宮じゃないし、成功できるかはわからない。でも、私はできるって信じて)
千花は不安定なイリートの体で何とか体勢を整えると、その中心──心臓部分に座り込み、大きく深呼吸を繰り返した。
(イリート、あなたは争いを好まない魔王。それなのに魔神に圧されて戦わざるを得なかったと言っていた。どうか、私の話に耳を傾けて。私は、あなたと戦いたいとは思わない)
千花は降霊術を行おうとしていた。
今、我を失っているイリートと話せるか確証のなかった千花にとって、難しい降霊術と合わせても至難の業だったが、結果はすぐに出た。
『今更何の用だ。光の巫女』
魔力の高いイリートのことだ。
千花の問いかけにはすぐに応えられたらしい。
(お願いイリート、あなたの力ならこの暴走を止められるはず。もうフレイマーを破壊するのはやめて。私は、これ以上あなたと争いたくはない)
『争わずして吾輩を倒すということか』
(いいえ、あなたを倒すことも考えていない。乗っ取ることが目的なら、私に乗り移ればいい)
『……なんだと』
千花はウォシュレイで一度レヴァイアに乗っ取られたことを思い出した。
あの時、冷たい海に落とされそうになった千花だが、魔王の魂を跳ねのけた過去がある。
(私は乗っ取られても意思を持つことができる光の巫女。あなたが生きていたいのなら私の体にいることを望んでもいい。絶対に、乗っ取らせはしないから)
強気に言う千花だが、内心では心臓ははち切れんばかりに緊張していた。
本気でイリートが乗っ取りに来たら、勝てる自信はそこまで高くない。
それを知ってか知らずかイリートは鼻で笑った。
『愚かな小娘よ。無謀な提案をして吾輩を仲間に加えようとは浅はかなり』
やはりこの提案ではイリートは靡かないか。
千花は額から汗を流し、集中力が切れそうになりながらも何とか通信を遮断しないように気を配る。
『そもそも、吾輩は巫女の体を使ってまで生き長らえようとは考えていない。ここまで国を破壊したのだ。そろそろ浄化されても良いと思っている』
「え!?」
千花は思わぬ提案に声を出してしまう。
それで降霊術が解けなかったことがまだ救いだ。
『だがな、残念なことにこの体はもう制御が効かない。吾輩の意思ではない者が荒くれている』
(イリートの意思ではない、となると)
今暴走しているのは、魔王より魔力が高くなってしまっているのは、ラヴァー王自身ということになる。
『力の差を見せつけてやれば吾輩も浄化できるだろう。それまでは、黙って見ていてやろう』
(……あなた、どうしてそこまで)
千花は疑問に思う。
イリートは悪魔の中の王で、浄化は死を意味するというのに。
『何度も言っているだろう。吾輩は争いを好まない。それは、魔神イシュガルドの……』
「イリート?」
千花が呼びかけるがどうやらそこで術が途切れてしまったらしい。
それと同時に、千花の体からはどっと汗が流れ落ち、暴れるラヴァー王から崩れ落ちた。