イリートとの邂逅
明日の早朝。
喧騒も流石に止んだ朝日も出る直前の時間帯に千花達は堂々と城の中へ入った。
イリートは自分さえ守られればいいらしく、城に入ることすら容易に済んだ。
「王子、我々は敵がいないか見回りをしてまいります。作戦通り、あなた様とそこの女に任せてよろしいのですか」
「ああ、これで構わない。ヒート、頼んだ」
「お、お任せください!」
興人に命じられた3人はそれぞれが分かれて城を回っていく。
千花はその命令に首を傾げて興人を見る。
「興人、なんで別れさせるの? 皆で魔王を叩いた方が早いんじゃ」
千花の純粋な疑問に興人は誰もいないことを確認し、耳打ちする。
「お前が光の巫女だということはまだ誰も知らない。戦えるなら2人で突破した方がいい。それに、何か言いたいことがあるんだろう? 魔王に対して」
興人の言葉に千花ははっとした。
昨日口ごもった千花の真意を興人は見抜いていたらしい。
「……うん。もし魔王が争いを好まないのだとしたら、一度話をしてみたい。もし浄化を望んでいるなら、穏便に済ませられるから」
千花の作戦はきっと竜人族から反感を喰らうだろう。
だからこそ興人は人払いを済ませたのかもしれない。
「それなら急ぐぞ。あいつらにバレないように」
「うん」
2人は城の内部へと走っていく。
目指すは王宮の中の謁見の間。
魔王イリートが根城にしている部屋だ。
「敵1人いなかったね……」
「油断するなよ。もしかしたら魔王の配下にいるかもしれないから」
2人は慎重に、武器を構えながら真っ赤な竜の絵が描かれている重厚な扉に手をやる。
ギギギ……と音を立てて開いた扉の先には、壁にロウソクが立てられている薄暗い部屋だった。
部屋の奥にはトロイメアと同じように玉座が設置されており、そこにいるのは鬣のような赤い髪を腰まで垂らし、興人によく似た相貌を持つラヴァー王──否、魔王イリートが腰かけていた。
どうやら魔力を吸われて倒れている竜人も、護衛につけているような悪魔の手下もいないが、イリートを取り囲むように半透明の壁が出来ていることだけがこの部屋で不自然さを物語っている。
「はじめまして、魔王イリート」
千花は心臓が早鐘を打つ気持ちを抑えて努めて冷静にイリートの名を呼ぶ。
呼ばれたイリートは眠っていたのか、閉じていた瞼を開き、千花の姿を捉える。
「今度は何者だ? また説得に来たのか」
恐らくイリートが言っているのは三賢竜のことだろう。
千花も説得に来たと言えばそうだが、本当の目的は浄化することだ。
「説得ではなくあなたを倒しに来た。私は光の巫女。4体の魔王を倒し、最後にあなたの元へ来た」
千花が正直に名乗る中、興人は背後で剣を構えながら成り行きを見守っていた。
魔王討伐の中でもっとも指揮権を握るのは千花だ。
千花がやりたいことを優先すべきである。
「光の巫女、か。ああ、思い出したぞ。お前には礼を言わねばならぬと」
「礼?」
「お前が世界樹を凍らせてくれたから、吾輩はこの面倒な竜人達を収める方法を知った。魔力を抜けば皆我に逆らわなくなる」
イリートに蒸し返されたくもない傷を抉られ、千花はぐっと言葉を詰まらせる。
「世界樹を凍らせたのは魔王よ! 確かに私が封印を解いたのは事実だけど、それで魔力を奪うのは間違ってる!」
「なぜ? 争いを起こしたくないのならそもそも魔力などなければいい」
「あなたは街で起きている争いを知らないの? 魔力を奪われた竜人はその鬱憤を撒き散らして、未だに喧嘩が絶えないの」
「魔力がない今は混乱するだろうが、その生活に慣れていけばいつか争いもなくなるだろう。吾輩は光の巫女が作り出した魔法を無力化し、この戦争を終わりにしようと考えている」
ああ言えばこう言うを繰り返し、千花が次の言葉を考えている間にイリートは衝撃的な発言を残した。
「光の巫女が、魔法を?」
「当の本人が知らないのか。姫女神と魔神イシュガルド様は世界を作った。そして光の巫女は、この世界を混乱に陥れる元凶、魔法を作り出したのだ」
「魔法がどうして混乱の元凶になったの」
「何も知らないのだな巫女よ」
イリートは哀れな少女を見るような目で千花を見据え、口を開く。
「聖悪戦争を引き起こし、悪魔を、リースの種族を殺したのは光の巫女ではないか」
千花は目を見開き固まった。
信じられなかった。
聖悪戦争を起こしたのは魔神であり、人間を殺したのは魔神であり、光の巫女は悪魔を退けた救世主であると、信じてやまなかったからだ。
「そんなでたらめを」
「でたらめだと言うのなら吾輩を倒すといい。魔王を全て倒せば魔神様は復活する。お前は、何も知らないまま、また聖悪戦争を引き起こすことになるだろう」
千花は攻撃することを躊躇い始める。
イリートを倒せば全てが崩れてしまう。
千花は光の巫女の真実を知ることになり、復活した魔神イシュガルドは再び姿を現し、千花が何もできないままこの世界を破滅に導くだろう。
「吾輩は争いが嫌いだ。二度も戦いに興じるくらいなら、この身を浄化され、魔神様の元に帰ることを望む。光の巫女よ、よく考えるが良い。吾輩を倒した後の、その世界を」
千花は魔法杖をだらりと降ろす。
その身に余る重責に攻撃の意欲がそがれてしまったのだ。
「興人、戻ろう」
「田上!? 何を言って……」
イリートの言葉に惑わされている千花の洗脳を解こうと興人は彼女の隣に立ち、顔を見て口を閉ざす。
千花の顔はこれから来るであろう未知の恐怖に怯えていた。
「……わかった。行こう」
イリートは2人が引くことになっても何もしてこない。
それだけ争いが嫌いなのだろうということはわかる。
「光の巫女よ、吾輩は今まで通り竜人の魔力を吸っていく。もしお前の決意が固まったのなら、また来るが良い」
やけに優しく諭してくるイリートにぐっと奥歯を噛みしめながら、千花は謁見の間を後にした。