雪が溶けて
混乱するトロイメアの中、シモンはある異変に気付く。
(雪が、溶け始めている?)
全く溶けることのなかった悪魔のような雪が触ってみると水に戻る。
それだけではなかった。
「おい! 魔法が使えるぞ!」
「こっちもよ! ようやく暖炉に火がつけられるわ」
「巫女様だ。巫女様がお救いになってくださったんだ」
所々で驚きと歓喜の声が響いていく。
シモンは自身も魔法を繰り出し、簡単に風を操れることが確認できた。
そして、世界樹があるリフレシアの方へ視線をやる。
「チカ、お前まさか」
シモンは驚愕の瞳を向けたまま、王城へと向かった。
同じ時間、興人は突然鳴りを潜めた木々に大きく呼吸をしながら世界樹の方を見つめた。
「氷が溶けている。ということは田上、魔王に勝ったのか」
だがそれにしては静けさが森の中を巡っている。
嫌な予感を覚え、興人は疲労を溜めて動くこともやっとな体を叱咤して世界樹の元まで走っていった。
千花は今自分に何が起きているかよくわかっていなかった。
体が自然と動くようになったと思えばゼーラの懐に入り込み、いつの間にか浄化ができてしまったのだから。
「私、今何を……っ」
千花が自分の両手を見下ろした瞬間だった。
ドサリと音がして、邦彦が地面に落ちていく様を千花はその目に入れた。
「安城先生!」
千花はすぐに走り、邦彦の元まで駆け寄る。
邦彦の顔には生気がなく、脈も弱い。
血を流し続けたからショック死をしそうなのだ。
(この状態、前にも)
バスラでのゴルベル戦の際にも千花は同じように仲間の窮地に立たされた。
血だらけになるシモンをただ見ているだけしかできず、あの時はリンゲツがすぐに駆けつけてくれたから助かったものの、今は千花1人だ。
「いやだ、安城先生起きてください。もう誰も死なせたくない」
千花は邦彦の体を揺するが、呼吸は段々と小さくなっていくばかりだ。
泣きそうになる気持ちを抑え、千花は誰かの助けを必死に祈る。
その時だった。千花のポケットが淡い緑色の光を放ったのは。
「これ、緑の石?」
いつも偶然千花の手元にあり、ピンチになった時には必ず現れた緑色の石が、千花に何かを伝えようと眩しく光っている。
なぜ今光っているのか、理由はわからないが、千花は何かに共鳴するようにその意思を握りしめ邦彦の体に手を置く。
(治癒魔法は使えない。でも、きっとこれなら)
「安城先生を救って」
千花の声に応えるように緑色の光が更に強くなる。
目が開けなくなる程強い光を放った石は、邦彦の体を包んでいき、傷を塞いでいく。
千花はその様子を黙って見つめながら、力いっぱい祈った。
「安城先生は、死なせない」
千花の願いが届いたのか、傷はみるみるうちに修復されていき、邦彦の顔色も呼吸も安定してきていた。
そして、緑色の石が収束した直後、邦彦が目を覚ました。
「ん……」
「安城先生!!」
千花は自分の願いが届いたことに喜びつつ、邦彦を強く呼んだ。
邦彦はすぐに体を起こし、千花の傷だらけの姿を見て眉を寄せる。
「田上さん? この状況は一体」
「倒しました。ゼーラはもういません。私、やりました」
邦彦は千花の言葉を聞きながら自身の体を見やる。
気を失っていた間に千花が覚醒し、あの残酷な魔王を倒したことは、何となくではあるがすぐに理解できた。
「よく頑張りました。痛みに耐え、恐怖に打ち勝ち、光の巫女として戦ったのですね」
邦彦は未だ笑っている千花の頭を撫でる。
その瞬間、千花は感情の糸が切れたようにポツンと1つ涙を零した。
「私、頑張りました」
「ええ」
「皆のこと救いたくて、一生懸命戦いました」
「はい」
「でも、でも、本当は……っ」
そこまで言うと、千花は感情を抑えきれない子どものように大粒の涙をたくさん零した。
「怖かったですね、田上さん。本当によく頑張りました。あなたはやはり、光の巫女にふさわしい人間です」
邦彦はそこまで言うと千花の小さな体を抱きしめる。
「う、うぇ、うぁぁぁぁぁぁ!!」
千花は叫び泣く。
ここまでのプレッシャーを味わいながら戦ったのは初めてだ。
リースの国民全員が死に陥らなかったことへの安堵と、恐怖に耐えてきた感情が今全て爆発し、機関からの救助が来るその時まで、千花は邦彦の懐でただひたすらに泣いていた。