ノーズの命令
事件が起きたのはゼーラを捕らえてから3日後の深夜だった。
機関に部屋を設けてもらい、自室として使用している千花が眠りに入ろうとした時だった。
「巫女様やっほー」
「うわぁ!? びっくりするので目の前に現れるのやめてください!」
「巫女様ぁ、伝達だよぉ」
千花の注意も何も聞いてくれず、テオドールは手招きして寝間着姿の千花を外へ出してくる。
邦彦は仕事中で、興人とシモンは未だ療養が必要な程度に傷を負っている。
「どこに行かせるんですか。ちょっと押さないでください」
「ノーズのとこー」
ぐいぐい押されながら聞く千花に、テオドールは簡単に答える。
千花はその名を瞬時に思い出し、はっとなって足を止める。
「ダメです。まず安城先生から許しをもらわないと」
「なんで? ノーズが命令してるなら早く行かないと、雷が落ちてくるよ」
「でも、私が行って大丈夫なんですか」
「知らなぁい。けどぉ、命令されてるんだよ。巫女を連れてこいって」
テオドールの呑気さにはほとほと困る。
だが、以前言われた邦彦でさえ安易に行ってはならない機関長ノーズの部屋に来いと命令されたと言うことは、絶対に行かなければならないのだろう。
「せ、せめて安城先生に報告してから」
「だぁめ。いっくよー」
千花はテオドールの強い力によってワープホールまで連れていかれる。
魔法を使われているのか全く抵抗できない。
「さあ巫女様、ここから先は1人でどうぞ」
簡単に3階まで連れてこられた千花の目の前には千花の二回りは大きい重厚な扉が聳え立っていた。
テオドールがさっさと戻ってしまい、千花がどうしたらいいか迷っている間に扉がゆっくりと開いた。
(入れってこと?)
邦彦に聞きたい。そんな思いを残しつつ、千花はお化け屋敷に入るかのようにゆっくりと慎重に中へと入った。
その内部を見て千花は唖然とする。
360度全てに別々の画面が映し出されたモニターがあり、鈍い機械の光と、1本のロウソクが辺りを照らしているのみだった。
そして、その中央にいる長い銀髪の青年こそが──。
「ようやく来たか、光の巫女の候補者よ」
後ろを向いているのになぜ千花の存在に気づいたのか。
いや、それよりも挨拶をしなくては、と千花が慌てている中、ノーズはモニターを見ながら千花に語り掛ける。
「候補者よ、命令だ」
「は、はいっ!」
「フリージリアへ向かえ。そして、ゼラオラを倒せ」
「……え?」
まさかの命令に千花は聞き返すことしかできない。
だがノーズが言うことは変わらない。
「何度も言わせるな。お前は魔王を倒すためにこの世界にいる。なぜトロイメア女王の指示に従っているのだ」
「で、でも、ゼーラの言うことが本当だとは限らないし、罠かもしれないって」
「無駄口を叩いて良いと誰が言った。話を聞く気などない。もし命令を聞き入れられないのであれば、即刻この機関から出ていってもらう」
千花は背筋が凍る思いを何度しただろう。
一言呟くだけでも威圧感に襲われ、この男に逆らってはならないと本能が悟っている。
「わ、私が死んだら?」
「構わぬ。貴様の代わりなど、いくらでもいる。ただの候補者が、図に乗るな」
その言葉が千花の心臓を強く抉る。
せっかく邦彦と仲直りができた矢先、ノーズによって引き裂かれるとは思わなかった。
「何度言わせる。早く行け。さもなくばここで死を選ぶか」
「……行きます。今すぐに」
千花は震える拳を握りしめ、機関長室を後にした。
扉がバタンとしまった瞬間、腰が抜け、汗がとめどなく出てきた。
(怖い。あの人は、悪魔よりも怖い。なんで私、反論できたんだろう)
話すだけでここまで疲労を持っていかれることは初めてだ。
魔王を倒すよりも息苦しさを覚え、千花は再度扉を見やる。
(この機関をまとめるトップ。並大抵では会えない人。それが、ノーズ機関長)
千花は言いようのない不安を感じ、急いで2階へと降りた。
そして向かう先はイアンの扉だ。
(本当は安城先生に相談したい。一緒に来てほしい。でも今すぐ行かないと)
『ここで死を選ぶか』
魔王を倒さなければ自分が死ぬ。
それだけが千花の中で渦巻き、恐怖を掻き立てていた。
(安城先生ごめんなさい。約束破って、ごめんなさい)
千花はイアンに行き先を告げ、寒冷の地・フリージリアへ向かった。