今の巫女と昔の巫女
千花が顔を上げた時には目の前の光景に絶句するしかなかった。
あれ程まで余裕そうにしていたゼーラが、心臓に剣を突き刺されて身動きが取れなくなっている。
そしてその後ろには──
「シモンさん!」
急いで来たのだろう、息を切らせて魔法を繰り出したシモンがそこに立っていた。
「お前は、嘘ついてまで無謀な真似するなっつってんだろ」
ゼーラと会ったことは千花のせいではないが、今はシモンの言うことに従う他ない。
「こっちに来いチカ。そいつを倒す……っ!?」
シモンは千花を招こうとあちらから手を動かす。
だがその直前で、シモンの頭を誰かが襲った。
「アイリーンっ!?」
「……」
シモンは頬に一筋傷を作りながらもその敵から退く。
敵の正体を知ってシモンは驚いた。
「全くもう。邪魔に邪魔が入りますわね」
千花は目の前のゼーラに違和感を覚える。
彼女は心臓に剣を突き刺されているというのに、全く苦しんでいない。
それどころか、血も流れていない。
「よいしょっと。失礼しますわよ」
ゼーラは人間ではありえない、剣をそのまま抜き去ったかと思うと、そのままシモンに向かって放り投げた。
「危ない!」
千花の叫び声を聞き、シモンは急いで防御を取る。
その間にゼーラはアイリーンの元へ飛んでいく。
千花は気づいた。
アイリーンの目に生気が宿っていない。心も操られていた。
「アイリーンさん!」
「巫女様とお話したい気持ちはありますが、巫女様同士で戦いあうというのもまた一興ですわ。どうぞ、存分にお楽しみくださいませ」
ゼーラはアイリーンを千花の方へ走らせる。
2人の距離が近づいたところで千花が反撃する前にゼーラは魔法を発動させた。
「氷の監獄」
千花とアイリーンは分厚い壁に覆われた球体に閉じ込められる。
シモンは慌ててその球体に近づくが、その前にゼーラが立ち塞がる。
「私のことをお忘れにならないでくださいまし。お二方のように、楽しみましょう」
「……ちっ」
シモンは幾度となく死地を乗り越えてきた。
だからわかる。
このゼーラという女は、今まで戦ってきたどの悪魔よりも強いと。
「やるしかないか」
「お手柔らかにお願いします」
ゼーラの瞳が赤く光った。
氷の檻に閉じ込められたというのに寒さは感じず、それがまた恐怖を掻き立てる。
千花は氷の壁を手で触り、その分厚さに脱出は不可能だとわかる。
(ゼーラはこの状況を楽しんでる。私のこと、敵としてというより、楽しいおもちゃにしか感じてない。だから、今この状態も、ゼーラにとっては、ただのお遊戯なんだ)
千花は逸らしたい現実に意を決して立ち向かう。
その真正面には、アイリーンがぼうっと立っていた。
(意識が混濁してる。早く正気に戻さないと)
「アイリーンさん! 目を覚ましてください。あなたが倒すべき敵は私じゃありません」
アイリーンに呼びかけるが、彼女は応答しない。
むしろ千花に焦点を合わせた瞬間、敵意を示したくらいだ。
アイリーンは後ろ足を引き、体勢を低くすると一気に千花に走ってきた。
(まずいっ)
「土壁!」
千花は慌てて防御の姿勢を取る。
その直後、アイリーンの拳が防御の壁を撃ち抜いた。
(うそっ。魔法も使えないのにどうして)
「アイリーンさんやめて! あなたは操られてるだけなんです」
アイリーンの打撃の強さに驚く千花だが、それでも説得はやめない。
魔法が使えず、生身のアイリーンに魔法で重症を負わせたくない。
千花がそれ以上攻撃できない間にも、アイリーンは更に手刀を千花に向けてくる。
(危ないっ)
千花は身を翻しアイリーンと距離を詰めると、魔法陣を展開させる。
(話が通じない。でも攻撃もしたくない。なら)
「蔦の檻!」
千花は魔法陣をアイリーンの足元に向けると、そこから太く頑丈な蔦を数本伸ばす。
アイリーンを閉じ込めた蔦は、簡単には抜け出せないよう雁字搦めになっている。
(よし。これでアイリーンさんを目覚めさせて)
千花は魔法杖を一度下ろし、アイリーンへ駆け寄ろうとする。
洗脳の解き方はわからないが、呼びかけていればいつかは覚めるはずだ、と淡い期待を抱いた千花は、次の瞬間自分の行動に後悔することになる。
「…………け」
「え?」
「切り裂け」
千花は一瞬何が起きたかわからなかった。
アイリーンが言葉を紡ぎ、手刀を横に振りかざした瞬間、蔦は全て切り刻まれ、地面に転がった。
「なん、で」
魔法が使えるのか。
アイリーンは禁忌を侵したために魔法が使えなくなった体になったはずなのに。
「まさか、あの時」
ゼーラはアイリーンの背中を押していた。
もしあの時、魔力を僅かなりとも渡していたら、魔力が無くなった体でも魔法は使える。
つまりゼーラが言っていたのは、魔導師同士の殺し合いだ。
(洗脳を解けばあの魔法が使えるのに。魔法が使えるとなったら、私1人でこの人に勝てる可能性は低い)
千花は怖気付く。
千花は魔王を倒したと言えど皆の協力あってこそだ。
一方のアイリーンは独学で魔法を修得し、1人で魔王を追い詰めた天才だ。
(でも、戦わなくちゃ)
千花は魔法陣を展開しようと杖に力を込める。
だがそれよりも早くアイリーンは動く。
武器を持たずして魔法を使えるアイリーンはそのまま千花の腹に手を当て、突風で吹き飛ばしてくる。
「うぐっ」
氷の壁に激突した千花は痛みに悲鳴を漏らす。
魔法杖から泥の球を発射するが、いとも容易く避けられてはアイリーンとの距離が近づいていく。
(このままだとっ)
千花が考えるより先にアイリーンは間合いを詰め、その手に雷の剣を顕現させる。
千花の首を狙って、だ。
「やめて、アイリーンさん!」
アイリーンに叫ぶが千花の声は何も響かない。
アイリーンは剣を振りかざし、千花の首目がけて下ろす。
(動けないっ)
千花が痛みの衝撃に耐えようと目を固く瞑る。
その瞬間、「パンっ!」と鼓膜が破れそうな破裂音が千花の耳を直撃した。
直後、剣はアイリーンの手元から地面へと転がり落ちる。
「え?……あ」
何が起きたか理解ができず、辺りを見回した千花は、その存在にすぐに気づいた。
「間に合いましたか」
「安城、先生」
氷の壁を破り、邦彦がその場には立っていた。