再会
賑やかな往来に似合わず、千花は鼻をすすりながら俯き歩く。
心の内は後悔で溢れていた。
(シモンさんは何も悪くないのにあんな怒鳴って、きつい言い方をしてしまって)
千花は叩かれた左頬を擦りながら熱を持った痛みを実感する。
あの時のシモンの焦りようは今まで見たことがなかった。
だがそれよりも、千花を叩いた時のシモンの顔は、自分の奴隷時代を思い出した時のように、過去を消し去りたいとでも言うような、苦痛に満ちた顔だった。
(梨沙さんの話は禁句になってる。もしかして、光の巫女としてタブーを犯した人なのかな。それならシモンさんがあんな反応してもおかしくない。でも、確か魔法の修得は私以上に早かったって)
色々な憶測が千花の中で飛び交う。
全部思い込みであって、正解はわからない。
あの反応であればシモンも教えてくれないだろう。
気になって、気にしないふりをしなければならないのがここまで苦痛だとは思わなかった。
(気になる。すごく気になる、けど、シモンさんをこれ以上困らせる方が嫌だ。ちゃんと謝って、約束した通り訓練を続けてもらおう)
時には我慢をすることも必要だろう。
相手との関係を修復したいのなら尚更。
千花は赤くなった目を更に擦り、意を決したように拳を作って顔を上げる。
そして、目の前に人がいることに今になって気づいた。
「わあっ!?」
気づいたら千花は高校のグラウンド分はあるだろう公園に着いていた。
下を向いていた千花はぶつかる寸前でその女性が立っていたことに驚き、仰け反った。
「ご、ごめんなさい! 私考え事をしていて……」
千花はその女性に深く頭を下げて謝る。
女性はトロイメアでは珍しいうねりのある黒髪を腰まで垂らし、千花の訓練着と似たようなカーキ色のシャツとパンツを着用している。
(あれ? 私、この人のこと知ってるような)
今まで出会ったことがない人だろうに、千花はその顔立ちに見覚えがあった。
ここ半年間、訓練と勉学の往復で新しく知り合った人間はいないが、千花は記憶を呼び戻してはっとなる。
「アイリーンさん……?」
人懐こそうな丸みを帯びた瞳はいつもギルドのカウンターで見ていた安心するもの。
千花が恐る恐る呼びかけると、女性は何かを諦めたように溜息を1つ吐きながら自嘲するように口の端を上げる。
「よくわかったわね、チカちゃん」
自分の問いかけを肯定された千花は、女性──アイリーンの腕にしがみつき、声を張り上げる。
「どこにいたんですかアイリーンさん! ずっと、帰りを待ってたんですよ!」
聞きたいことはたくさんあるが、まずは安否を確認できたことに千花は安堵した。
ウォシュレイの事件があってから、音沙汰もなく、津波に巻き込まれたのではと千花はずっと心配していたのだ。
「離して」
だが千花の心配を他所に、アイリーンは腕に掴まれている手を振りほどく。
その素っ気ない態度に千花は言い切れぬ不安を覚える。
「ずっといたわよ。あなたに見えないように、あなたを見守るように言われてたからね」
アイリーンは面倒そうに千花の質問に答える。
千花は答えの意味を反芻することしかできない。
「私を、見守るため?」
「チカちゃん、拉致されたり単独でウォシュレイに行ったり無謀なことしたじゃない。だから、私が監視を命じられてたのよ。1人で勝手な真似をしないようにって」
それはありがたいことなのか、だが、アイリーンの言い方には何か棘がある。
「命じられてたって、安城先生に?」
「あなた、まだあの人のこと先生なんて呼んでるのね。そうよ、クニヒコから言われたの。チカちゃんを守れって。魔力ももうない私に」
自暴自棄になっているように吐き捨てるアイリーンに千花はやはりどう返したらいいかわからなくなる。
だがここで話を止めてしまえば元のアイリーンは帰ってこない予感がした。
「あの、なんで黒髪なんですか。アイリーンさんは金髪だったはずじゃ」
「染めてたのよ。元に戻っただけ」
「ギルドには戻ってこないんですか?」
「今言ったでしょ。あなたの監視で忙しいの。私がいなくたってギルドは回るんだから」
「で、でも皆待ってますよ。アイリーンさんがいないと寂しいって」
「皆、ね。確かにあそこは居場所になった。それも、時が経てば忘れていくのよ」
なぜここまでアイリーンは素っ気ない態度を取るのだろうか。千花の知っているアイリーンは、優しくて明るくて、千花の素性をよく理解してくれていた人だった。
「なんでこんなに人が変わったのかって顔してるわね」
千花の表情がわかりやすいからか、アイリーンにはすぐに気づかれた。
千花が応えられないでいると、アイリーンはまた嘲笑うように息を吐いた。
「ねえ、悪いことは言わないわチカちゃん。クニヒコの言う通りにしなさい。あなたは弱い。魔王に殺される前にあなた自身があなたを殺すわよ」
アイリーンの言葉に千花は「またか」と口を引き結ぶ。
戦えと言ったり、戦うなと言ったり、どうしてここまで大人に振り回されなければならないのか。
「どうしてアイリーンさんまでそんなことを言うんですか」
「勘違いしないで。私はクニヒコと違ってあなたを守りたいからじゃない。ただ、私と同じようにこの世界に使い殺されてほしくないだけよ」
「使い、殺される?」
ますます言っている意味がわからないと千花が首を傾げる。
「本当に、何も聞いてないのね」
千花の反応にアイリーンは小馬鹿にしたような笑みを見せる。
「教えてあげるチカちゃん。それが、先輩の役目だもの」
これ以上は聞いてはいけない。
そう千花が思った瞬間、アイリーンは口を開いていた。
「私の本名は愛川梨沙。魔王ゼラオラに敗れた光の巫女」