あの子のようにはしたくない
「チカには言えたのか? ようやくと言った期間だな」
シルヴィーは目の前で跪く邦彦に呆れ半分と言った顔で告げた。
邦彦も千花に指示するまでに時間がかかったことは自覚している。
「田上さんには無駄に時間を使わせてしまったと自覚しております」
「仕方ない部分もあるな。何せ、巫女の代わりに騎士を配置するとなれば、王宮の騎士団も配置せねばならない。そう短期間でチカに命じることもできない気持ちはわかる」
この半年間は邦彦にとっても心苦しいものがあった。
魔王を倒すべく訓練を怠らない千花の裏で、シルヴィーと協力し魔王討伐のための騎士団を作り上げ、千花が浄化のみを行えば良い環境を作ってきたのだから。
「多忙な女王陛下にはご足労をおかけ致しました」
「良い。まだうら若き娘に魔王討伐を一任させるのはこちらとしても苦しいものがあった。本来は、国総出で戦うべきものを彼女に任せていたのだからな」
シルヴィーはそこまで言うと、本題に入る前の沈黙のように1つ大きく息を吐いた。
「さて、そこでだクニヒコ。次の魔王討伐についてだが」
「残り2国ですね。フレイマーと、残りは」
「フリージリアだ」
『フリージリア』の名を出した途端、邦彦はその動きを止めた。
「フリージリア、ですか」
「ああ。お前は聞いたことがあるだろう。魔王が創り出した国を」
七大国の中でも1つ、何百年も前に滅亡した国があった。
その名もフリージリア。
草木も生き物も凍る程極寒の地に存在する、名だけが残る七大国の1つだ。
そして3年前、歴史が残るフリージリアは、魔王によって再建された。
命あるものを寄せ付けない凍死の世界へと。
「あの国は今の騎士団では近づけません。あまりにも危険すぎます」
「わかっている。だからこそ今はフレイマーに視点を置いて討伐を目指す」
「承知致しました。そのように田上さんには伝えます」
「頼んだ。ああ、もう1つ、お前に聞きたかったのだが」
「なんでしょう」
「ローランドを見ていないか。1週間程前から音沙汰がないと騎士より報せが入ったのだが」
確かに騎士団を作り上げる際にローランドとは顔を合わせることも多かった──主に嫌味を言われることだったが。
今日は邪魔も入らず謁見もできたが、邦彦には知ったことではない。
「申し訳ありませんが、最後にお会いしてから私も連絡を取っておりません。何かあったのでしょうか」
「ああ。あやつが連れてきたユキという女もウォシュレイの侵攻以降現れない。愉快犯だとしたら許されざる反逆になる」
正直ローランドのことはどうでもいいが、千花の存続を脅かしたユキがいなくなったことは邦彦も気がかりだった。
(何か、嫌な予感がする)
邦彦はシルヴィーに一礼をし、謁見の間を後にする。
今頃千花は落ち込んでいるだろうか。
それとも怒って機関で愚痴を述べているだろうか。
どちらにせよ、彼女は浄化を遂行してくれればいい。
(そう、彼女は自由になる権利があるんだ。僕の思惑に、これ以上振り回してはならない)
城下街に出るとすぐに子どもが数人走っていくのが見えた。
邦彦はその姿を目で追いながらゆっくり瞼を閉じる。
『光の巫女様さえいれば!』
『どうして、安城先生』
(もう、光の巫女に固執するのはやめましょう。あの子のためにも)
邦彦は、機関に戻るために隠れ家へ向かった。
機関に入るとすぐに見知った顔が邦彦を待っていた。
「よおクニヒコ。待ってたぜ」
「シモンさん。何かありましたか」
今頃であればシモンは千花達の訓練を行っている時間だ。
邦彦が命じたから千花が簡単に特訓をサボるとは思えない。
「今日は訓練は休みだ。チカがぶっ倒れたからな。ああ怒るなよ、ちょっとハードな訓練をして体力が尽きただけだ」
「そうですか。まだ魔法の訓練はされているんですね」
「当たり前だ。魔王討伐でなくても、あいつには魔導士の素質があるんだから」
シモンの言葉に引っ掛かりを覚えた邦彦は、顔を上げて彼の顔を見据える。
「知っているんですか。僕が田上さんに告げたことを」
少々険悪な空気が流れていることをシモンも察知し、首をすくめて答える。
「チカを責めてやるなよ。俺が無理矢理聞き出したんだから」
「それなら話は早いです。今後、田上さんは浄化だけに専念してもらって……」
「それは無理な話なんだよな」
食い気味に言葉を遮って来るシモンに邦彦は眉を動かす。
「あいつはお前の命令に納得してない。チカは自分の意思で、魔王討伐に参加するつもりだ。俺はその手助けをする」
「なぜですか。これ以上田上さんが苦しまなくていいのならそちらを優先すべきです。悪魔の脅威に立たされて、苦しむのは田上さんです」
「クニヒコ、何か勘違いしてねえか?」
怒りを込めてシモンを説得しようとする邦彦。
そんな彼にシモンは壁に体を預けながらもどかしさに苦笑する。
「あいつにとって何が一番辛いことかよく考えてみろ。チカは、誰かが犠牲になるくらいなら自分の身を投げ出す覚悟がある人間だ。もちろん弟子を見殺しにする気はねえから、俺だって協力するさ」
それだけ伝えたかったシモンは邦彦の元から去ろうとする。
だがその前に邦彦が口を開いて引き止めた。
「駄目です。田上さんにこれ以上負担をかけさせてはならない」
「なんでだよ。チカはやる気で……」
「このままでは、あの子の二の舞になるだけです」
特定の名前は出していない。
だというのに、邦彦の言葉を聞いた瞬間、シモンはその動きを止めた。
「田上さんは彼女と一緒です。正義感に溢れ、努力家であり、誰よりもこの世界を救おうとしている。だからこそ今のうちに引き離さなければ辿るのは最悪の道です」
「……考えすぎだろ」
「いいえ。田上さんは、このままでは必ず同じ道を進むことになる。あの子のように」
邦彦は回想するようにシモンから目線を逸らす。
「愛川梨沙のように、忘れられた存在にはしたくない」
邦彦は自分でも知れず、拳を握りしめた。