神にしたくはない
機関の訓練場で興人はストレッチを行っていた。
1週間以上休養していた体は既に動きたい欲求で満たされていたが、マーサから急に激しく動き始めるなと命じられているため、中々思い通りにいかずストレスが溜まっている。
(少しくらい素振りをしたところで傷口は開かないだろう)
マーサが見ていないことをいいことに、興人はまだ塞がりきっていない腹の傷を無視して大剣を取り出す。
早めに終わらせればいい、と勝手に考え剣を構える興人だが、その前に訓練場の扉が開く。
「やはりここにいましたか。日向君」
「……先生」
ここ数日、多忙により全く顔を合わせることがなかった邦彦が扉の前に立っていた。
「朝早いうちからの訓練、感心します。ただ、マーサさんからはまだ完治していないと聞いていたのですが」
興人が気まずそうにしている理由をすぐに読み取った邦彦は意地の悪い笑みを浮かべながら詰問してくる。
「……黙っておいてもらってもいいですか?」
「安静にしているのなら僕からは何も言いませんよ」
要は邦彦も激しい運動をするなといったところだろう。
この機関内では必ず誰かが止めに入ってくる。
興人は大人しく大剣を鞘に収めた。
「先生はお元気そうで何よりです。最近はお忙しそうでしたので」
「ええ。見舞いの1つも来れずにすみません。回復したようで何よりです」
先生も、と言いかけて、興人は聞きたかったことを思い出す。
「先生、1つ気がかりなことがありまして」
「なんでしょう」
興人はレヴァイアと戦うよりずっと前、カイトと初めて会った時のことを思い出す。
あの時のカイトは囚われていた。
謎の少女に。
「あの女は悪魔だとは思いました。ただ、カイト王子を捕らえて魔王へ献上するというよりも、自分のコレクションにして楽しんでいる愉快犯のような気もしています。何にせよ、彼女の最後の怒り方は、今後報復に来るとも考えられる態度かと」
興人の報告を聞いた邦彦はしばし考える素振りを見せ、何か思いついたように口を開く。
「その人の特徴は何かありますか?」
「金色の髪に青い瞳を持っていました。後は、白いワンピースのみ着用していて裸足というくらいしか」
「白いワンピースの、裸足の少女……」
思いつく節があるのか、興人の報告に邦彦は目を見開いて驚いた表情を見せる。
「その娘の名前は?」
「そこまでは……ただ、氷の魔法を使えるという点は不思議でした」
名前を聞けなかったことがもしかしたら邦彦にとっては打算になっているのかもしれない。
そう考え、興人は曖昧な情報源を渡してしまったことに申し訳なさを感じるが、邦彦の考えはそこではないらしい。
「そうですか。もしその正体があの巫女と名乗る者だとすれば、王宮が危うい」
「え?」
「こちらの話です。ところで、田上さんはどうしていますか。彼女にも話を聞きたいのですが」
小声で何やら独り言を話す邦彦は、無理矢理話を変えるように千花の名を口に出した。
「田上でしたら今日はトロイメアへ行くと言っていました。シモンさんと田上は軽傷で済んだようなので、また訓練をしているのかと」
「そうですか。訓練、続けているのですね」
「?」
まるで千花にこれ以上成長してほしくないとでも言うような声音で苦笑する邦彦に、興人は首を傾げる。
そういえば、最近千花は邦彦の話をする度に表情を暗くしていたような気もする。
「あの、田上と何かあったんですか」
「日向君が気にすることでは……いえ、君も魔王討伐の1人として知っておいてもらいましょう」
邦彦の決意が込められた発言に興人は何か嫌な予感を覚える。
興人が黙っている間に、邦彦は話を続けた。
「田上さんを、これ以上光の巫女として扱うのはやめにしたいと思います」
邦彦の言葉に興人は思考が停止した。
それはつまり、千花をこの世界から追放するということだろうか。
(前の、巫女候補者のように?)
魔王討伐に入る前も、興人は期間に在籍しながらたくさん光の巫女候補者を見てきた。
そして、興人が関わるよりずっと前に、記憶を消されていった者達の姿も、見てきた。
「田上の記憶も消すんですか」
興人の中で邦彦に対する疑心が渦巻いていく。
育ての親に抱きたくない暗い思いに、興人は自分自身も嫌になっていく。
「まだ確定ではありません。ですが、そのつもりではいます」
「田上は3体も魔王を倒したんですよ。このまま訓練を積んでいけば残りの魔王も必ず殲滅できるはずです。リースを、悪魔から取り戻せるんですよ」
「倒せる、からこそ今のうちに戻しておきたいんです」
邦彦が常に光の巫女候補者に対して並々ならぬ期待を抱いていることは興人もよく理解していた。
だが今の邦彦に対しては、何一つとして理解ができない。
「先生、一体何を言っているんですか」
「……僕は」
興人の戸惑いもわかっているらしい邦彦は一度言葉を切り、一息吐いた後、目線を逸らして口を開く。
「田上さんを、神にしたくはないんです」