価値観に振り回される巫女
翌朝、千花は早速カイトを浜辺へ呼び出した。
薬を手に入れたとなればカイトも否と言えなかったのだろう。
千花が海岸で待っていると肉眼で見える所までカイトがひょっこり顔を出してくれた。
「王子、昨日ぶりです。約束した薬、持ってきましたよ」
千花は今日人魚化の薬を飲んでいない。
カイトが寄越せと手を伸ばしてくるため、蓋が開かないように確認してから投げ渡す。
「1回1錠、12時間効くそうです。飲み過ぎないように注意してと言っていました」
「そうか」
千花の説明を、錠剤を見ながら聞いていたカイトはそのまま瓶を開けて1粒口に含んだ。
「えっ」
まさか今飲むと思っていなかった千花は躊躇いなく錠剤を飲み込んだカイトに素っ頓狂な声を出す。
その間にもカイトの美しかった鱗がついた鰭は二又に分かれ、青色から人間の肌に近い白い色へと変わっていく。
「なるほど。確かに、即効性はあるな」
カイトはいつもより呼吸のしやすい陸上に上がり、人間の足でその地を踏む。
不安定に体を動かすのは、今まで地に足をつけて歩いたことがないから戸惑っているのだろう。
「母上には既にトロイメアへ行くことは伝えている。お前はすぐにでも我をトロイメアへ……なぜ顔を隠している」
自分の体の調子を確認しながらカイトは千花に命令をしようと顔を上げ、その奇怪な行動に首を傾げる。
「あの、近づかないでもらっていいですか!?」
「なぜ。熱でもあるのか」
顔が真っ赤になっている千花に親切に言っているカイトだが、当の本人はゆでだこのようになった顔を隠しながら後ずさり、口を開く。
「ふ、服! 服を持ってくるのでちょっと海に戻っててください!!」
千花はそれだけ叫ぶとカイトを置いて砂浜を駆けていく。
どれだけ美しかろうが、どれだけ千花がイケメンに興味がなかろうが、流石に異性の素っ裸を凝視できるほど強いメンタルは持ち合わせていなかった。
機関へ戻り、シモンから服を借りた千花はすぐにカイトに服を着るよう息を切らせながら命じた。
「服というものは窮屈だな。なぜ人間はこれで動く。何も身に着けない方が動きやすいではないか」
「脱いだら捕まりますよ」
考えてみれば人魚──魚は服を着ていない。
人間が服を着ていることを不思議に思うことも、窮屈だと感じることもおかしくはないが、人前で脱がれたら困るため千花は念を押しておいた。
「さ、さて、カイト王子、今からトロイメアへ行きますけど大丈夫ですか」
「ああ。それよりも巫女、我を王子と呼ぶのをやめろ。平民の中にウォシュレイの王子がいるとなれば落ち着いてきた者達が混乱する」
「え、じゃあ、カイト?」
「それでいい」
シルヴィーの許可があったとしても易々とカイトをトロイメアへ連れていくとなると正体がバレた時には混乱を招きかねない。
だが黙っていれば千花の友人としてギルドでも快く招かれるだろう。
そんな千花の安易な思惑は思わぬ形で打ち破られることになる。
「そこの別嬪さん! うちに寄ってらっしゃいよ」
「ちょっと抜け駆けしないでちょうだい! うちが先に声をかけようとしたのよ!」
「いいえこっちが先に!」
トロイメアの城下街へ出た途端、カイトは千花が割り込む暇もなく少し年を召した奥様方に取り囲まれた。
「うちの新商品、ぜひ召し上がっていってちょうだい。出来立てだから美味しいわよ」
「この装飾、うちの近くじゃ似合う人もいないからぜひ付けてちょうだい。あなたなら何を着飾っても似合うわ」
「あれも!」
「これも!」
まるで復興中の国だとは思えない程カイトの周りのみ賑わい、彼の細い腕に似合わぬ大量の品々が詰め込まれていった。
「……巫女、どうにかしろ」
「と、とりあえず路地裏に行きましょう!」
千花はマダム達が手を離した一瞬の隙をついて、カイトの手を引く。
遠くから落胆の声が響いたが、無視して千花は人気の少ない道へ足を進めた。
「まさかこんなことで足止めを食らうとは」
「人間は物好きが多いな」
「カイトが美しすぎるから皆珍しいんですよ。顔、変えられないんですか」
「そんな魔法は必要ない」
人魚は皆等しく美形だ。
ここでも価値観の違いが出てくるとは思わなかった。
「ギルドへの抜け道はいくつかあります。なるべく人目につかないよう行きましょう」
「待て。巫女、お前もこれを持て」
カイトが指したのは先程散々もらった食べ物や装飾品の類だ。
「装飾品はつけたらどうですか? 似合いますよ」
「邪魔なだけだ。我は戦いに来たのだ」
「……。じゃあ、せめて食べ歩きしながら物を減らしていきましょう」
「我は人魚だ。人間と同じ物は食べられん」
「もう!」
こうも意見が通らないことも千花にとっては珍しく、どうしても苛つきが抑えられない。
結局大量にもらった食べ物は全て千花の胃袋に収まった。
千花は道中、カイトに気になったことを聞いた。
「そういえばカイト、よくあの日トロイメアまで来れましたね。移動の扉が封じられていたのにどうやってトロイメアまで無傷で泳いできたんですか」
千花が聞いているのはレヴァイア戦でカイトがトロイメアまで来て戦っていたことだろう。
あの時は勝ち切ることが目的で気づかなかったが、今こうして対峙していると、人魚であったとしてもウォシュレイからトロイメアまでの長距離をよく泳いできたものだとカイトに驚きを隠せないでいた。
「いや、泳いではいない。連れてこられたのだ」
「誰に?」
「ユキという、光の巫女に」
カイトの言葉に、千花は目を見開いたままその場で固まる。
「光の、巫女?」
初耳だ。
思えば捕らわれていたナギサ達を誰が救ったか、カイトをここまで連れてきたのは誰か、何も知らされていなかった千花にとって、新たな光の巫女の存在は頭を殴られたくらい衝撃的なことだった。
「だがあれは救世主などではない。我を閉じ込め、崩壊していくトロイメアをあそこまで嗜虐的に見つめるあの女が世界の守り人とは思えぬ」
(ああ、安城先生が言ってたことはそういうことか)
カイトが更に続けて話すが、回想している千花には聞こえていなかった。
『あなたは必要ありません』
(私も、いつか消されるんですね。安城先生)
怒りよりも、憎しみよりも、嘲笑を浮かべてしまう千花は、一切の音を遮ってしまっていた。