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光の巫女  作者: 雪桃
第8章 それぞれの思惑
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お母さん、どうして?

 倒れてきた本を全て片付け、元に戻せたのは、とっくに日が沈んだ後だった。


「つ、疲れたぁ。もう動けない」


 千花はようやく見えた白い床に尻と手のひらをつけ、天を仰ぐ。

 訓練とは違う単純作業に心が折れそうになりながらも、責任は1人で取った。

 千花が大きく一息吐くと、呼応するように腹の虫が盛大に鳴った。


(マーサさん、まだお仕事してるかな)


 千花が機関で食事をするには誰かに許可をもらわなければならない。

 遅く帰ってくると食事の時間が云々愚痴を言われるが、我慢することはできない千花の腹を鎮めるために急いで医務室に向かった。


「ただいま戻りました……あれ?」


 夜も更けてきたため静かに帰りを告げた千花だが、医務室には人1人いなかった。

 いつも医務室にいるイメージがあるマーサだが、書類を持っていくために席を外していることがある。

 今もどこかで薬の処置でもしているのだろう。


(ご飯がある場所は何となくわかるけど、勝手に食べちゃダメだよね)


 千花はいつも使わせてもらっているベッドに腰かけながら泣き止まない腹の虫を撫でて落ち着かせる。

 最近は忙しさに空腹を忘れることもあった千花だが、仕事が終わってひと段落した後は気を紛らわせるものがないと雑念ばかりが襲ってくる。


(難しい論文ばっかりの書庫だったから、私が読んで理解できるものはなさそうだったなぁ。ライラックさんが頼んだものだって、専門用語が多すぎて寝落ちしそうだったし)


 千花はベッドに横になりながら白いシーツの皺を弄るように指でつまんで遊ぶ。


(巫女候補者のファイル、少なくとも20冊はあった。ていうことは、記憶を消された人もそれだけいるんだ。あ、でも、梨沙さんだけは機関に在籍してるって)


 千花は考えながら大きくあくびをする。

 一度眠気を自覚した途端、空腹よりも眠気が勝ってきた。


(明日になったら、カイト王子に薬を渡して。訓練もそろそろ始めて。新しい属性の魔法も習って……後は、安城先生に、ちゃんと話して……)


 長い時間作業を続けていた千花の体はゆっくりとベッドに横になる。

 一度目を閉じて明日のことを考える千花は、いつの間にか夢の中へと入り込んでいた。






 いつ帰ってきたのか、千花は長野の実家の前に立っていた。


(あれ? 私何してたんだっけ)


 靄がかかった千花の頭は深く思考を巡らせることができずにいた。

 疑問を抱える千花の体は家を前に突っ立っていることしかできない。

 その直後、家の扉が開き、買い物へ行こうとしているのだろう灯子が出てきた。


(お母さん)


 千花は何故か鉛のように重い足を踏み出し灯子に近づく。

 その存在に気づいたらしく、灯子は顔を上げて千花に微笑みかけた。


『あらお嬢さんどうしたの? 迷子?』

(……え?)


 一度では理解ができなかった千花は灯子の言葉を心の中で反芻しながら固まる。

 その間にも灯子は買い物の準備を始めてしまう。


(お母さん、どうしてお嬢さんなんて言うの。千花だよ、私)

『千花ちゃん? 何か勘違いしてるのかしら。私、娘はいるけど千花じゃないのよ』

(何言ってるのお母さん。私だよ、思い出してよ)

『お母さーん、お待たせ』


 千花が灯子に手を伸ばそうとした瞬間、中から少女が1人飛び出してきた。

 顔はよく見えないが、千花とそう歳は変わらない。


『お母さん、この子誰?』

『多分、迷子なのかしら。ここら辺では見かけない子だけど』


 灯子のことを母と呼ぶ少女は千花とは全く違う。

 千花には姉妹はいない。一緒に暮らしている少女もいない。


(どうしてお母さん! その子は娘じゃないでしょ。私が、千花が娘でしょ!!)


 千花は堪らず灯子の腕を掴んで引き止める。

 このままでは、灯子は千花の知らない少女を娘と認識したまま、千花を捨ててしまう。


(お願いお母さん、思い出して! 私のこと、娘だって思い出して!)


 千花は懇願するように叫びながら灯子の顔を見上げる。

 その顔を見た瞬間、千花はひゅっと息を詰まらせた。


『……交番がすぐ近くにあるから、そこに行きましょうか?』


 灯子の顔は、優しさを浮かべながらも見ず知らずの少女に無理矢理引き止められて怯えているような感情が滲み出ていた。


(お母さん? どうして、そんな顔するの……)


 千花はショックを受けたように灯子の腕から力を抜く。

 その瞬間、灯子の隣にいた知らない少女が千花の腕を強く叩いてきた。


『いい加減にして! 人違いなのに鬱陶しいのよ。私のお母さんにこれ以上乱暴しないで』


 そう言うと少女は灯子の腕を引っ張りその場から離れようとする。

 千花についてくるなと言うように強く睨みながら。


(どうして、どうして? 私のお母さんだよ。私の、お母さん、返してよ)


 千花は締めつけられる胸が苦しく、服を握りしめながらボロボロと涙を流す。

 その間にも灯子と少女は霞の向こう側へと消えていく。


(お母さん待って。置いてかないで)

「……こ」

(お母さん、1人にしないで。私のこと捨てないで)

「起きろ、巫女」

(お母さん、お母さん、お母さん)

「巫女!」


 頬を叩かれ、千花は痛みに体を大きく震わせながら目を覚ます。

 いつの間にか寝ていた千花の目は、涙で霞んでいた。


(私、寝てた?)


 千花が目を擦りながら起き上がると、視界には白髪の目立つ老婆が立っていた。


「やっと起きたかい。寝言ばかり吐いて集中できないから起こしたよ」


 マーサの素っ気ない言い方に、千花は今の現象が悪夢だったことを知る。

 同時に現実でも同じことをマーサに聞かれていたことに少し恥じらいを覚える。


「つ、疲れてて、お腹が空いてたんですけど寝ちゃってたみたいです」

「数時間拘束されてちゃあ寝落ちしてもおかしくないね。腹の虫が響く前に食っちまいな」


 そうマーサが指す先には食事が用意されていた。

 空腹を忘れかけていた千花の腹は再び悲鳴を上げようとした。


「いただきます」


 盛大に鳴き出す前に千花はマーサに礼を言い、食事にありつく。

 千花にとっては久しぶりにとった食事に自然と笑みが零れ、悪夢のことは忘れることにした。


(あれは全部夢。お母さんが私のこと、忘れるはずがないもの)


 千花はふわふわのパンにかぶりつきながら、不安を払拭するように自分に言い聞かせた。

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