交換条件
メイデンには更に静養させるべきだということでその後すぐに部屋を出た千花達だったが、気が抜けたところで壁に当たった。
「カイト王子、どうやってトロイメアで生活するんですか? 人魚って、ずっと陸で生活はできませんよね」
知識のない千花でも、いつも海で生活していた人魚が24時間地上で生きることができないくらいは想像がつく。
しばし考えた後、カイトは思いついたように千花に目をやる。
「人魚化できる薬があるのなら、人間化できる薬もあるだろう。用意しろ」
「何の策も考えないで言ってたんですか!?」
「元々助けろと無謀に言ったのはお前の方だろう。我はその提案に頷いただけだ」
人間化の薬、なくはないだろうが、それを頼むのがあの短気で肉片を飛ばしてくるライラックだということをカイトは知らないだろう。
頼む身にもなってほしいと言いたいが、どれだけ説明しても納得しないだろう。
「じゃ、じゃあわかりました。薬を頼んで持ってくるので、そしたらトロイメアに来てください」
「ああ。それと、巫女」
「はい?」
今度は人魚の民に巻き込まれないようにすぐにウォシュレイを出て、千花は海流に乗ろうとする。
その前にカイトが千花を引き止めた。
「感謝する。母を、ウォシュレイを救ってくれて、ありがとう」
今まで素っ気ない態度を取られていた千花は、素直に感謝を述べるカイトに目を見開き固まる。
その真剣さと美しい容貌に、我に返った千花はかぁっと顔を赤くする。
「今度はトロイメアで会おう。我は、逃げも隠れもしない。必ず、魔王を倒す手助けをしよう」
「は、はい。よろしくお願いします」
強引で、気分屋なカイトは千花を地上まで帰すとすぐに故郷へと帰っていった。
地上は既に日の出を迎えており、千花は人魚の鱗を舌から取りながら、火照る頬を海水で冷やした。
「美人すぎるのも、問題が起きるよ」
帰った後、千花はシモンに体を乾かしてもらいながらライラックに会いたいことを伝えた。
報告程度に話したつもりだったが、また肉片が飛び散っているところに遭遇しないように、シモンなりに配慮してくれているのだろう。
「そんなに喧嘩が多いんですかね」
「日によっちゃ三日三晩喧嘩してることもある」
900年生きていてまだ喧嘩することがあるのか、16年しか生きていない千花には理解ができない。
「それよりも」とシモンは静かな機関内部を歩きながらカイトの話を持ちかける。
「ウォシュレイの王子がトロイメアに来るとはな。ギルドは庶民のたまり場だが、慣れるかね」
「そこは、心配いらないんじゃないですかね」
王族と言えど、カイトは3年間国を追放された過去を持つ。
適応能力は養われているだろう。
割と短気な性格のためギルドで挑発されたら乱闘騒ぎになりそうではあるが。
「そ、そこは私達でカバーしていけば」
「仕事が増えるぞ」
ただでさえやらねばならないことが多い今、心労が増えることに千花は遠い目を向けつつ、ライラックの部屋までたどり着く。
「人間化の薬? なくはないけど、とっても希少な素材を使う代物なのよ。それに数だって瓶1個分しかないし、そう簡単には渡せないわよ」
幸いライラックは今機嫌も良好らしいが、千花が薬を頼んだ瞬間眉を寄せて難色を示してきた。
「そこを何とか。カイト王子が助けに入ってくれれば魔王退治がしやすくなるんです」
「大きめの水槽にでも入れて運べば?」
ライラックに提案され、千花はギルドにカイトが水槽で運ばれている所を想像する。
そのシュールな光景に噴き出しそうになり、直後カイトから散々殺気を向けられる所まで想像して首を横に振る。
「私殺されちゃいます! 絶対人間化させてあげてください!」
「えー……じゃあ交換条件。ここから3つ隣の部屋に書庫があるから、そこでこの2つの資料を持ってきて。今日中におつかいできたら全部あげる」
「本当ですか!? じゃあやります」
千花が喜んで交換条件を飲むのと同時に「そうだ」とライラックはシモンへ視線をやる。
「あんたの協力はなしね。これは巫女と私の取り引きだから」
「あ!?」
協力する気だったシモンは心の中を見透かされたようにライラックに否定され、驚いて声を上げる。
「お前、あの部屋で1人は気狂うだろ!?」
「簡単に見つけられちゃあ賭けにならないでしょ。いいわね巫女、絶対に、1人でやるのよ」
「は、はい?」
元々そのつもりでいた千花だが、シモンの焦りように何か嫌な予感を覚える。
だが1日というタイムリミットがあるため急いで千花は1人部屋を出ていった。
「まじでやらせる気かよ」
「それだけ渡したくないってこと。もし手持ち無沙汰ならテオドール探してきて」
「またサボってんのか」
「いや、内臓が欲しいから被検体に」
「お前ら双子はどっちも狂ってんな」
900年も生きれば倫理観などどうでも良くなるのだろう。
シモンは薬品の匂いしかしないライラックの部屋を出て、様子を見に千花の後をついていく。
すぐに見つけた千花は開いた扉の前で呆然と立ち尽くし、シモンを見ると泣きそうに中を指さした。
(だから言ったろうが)
「シモンさん、私、これ無理です」
書庫には、1万を超える蔵書が眠っていた。