私、思い出したよ
いくらそこまで痛みがないとは言え、点滴を刺していると腕に鈍い感覚は残る。
こういう時は安静にしておかなければならないのではと千花も疑問に思うが、そんなことを言っても彼女が後2時間、じっとベッドで待っているなどできないだろうと踏んだマーサの気遣いあってだろう。
(外れないようにだけ気をつけよう)
利き手は使えるのだから、庇えばどうということはない。
千花は歩いてそこまでかからない重傷者病棟の方へ足を運ぶ。
(興人、起きてるかな?)
シモンが応急処置はしたと言っていたが、前科があるからかここに入る時には必ず心臓が早鐘を打つ。
興人はきっと大丈夫だと自分に何度も言い聞かせ、千花は静かに扉を開ける。
「興人……平気?」
ゆっくりと興人が横たわっているベッドに近づき、その寝顔を覗き込む。
静かな室内だからかしっかりと呼吸音が聞こえ、千花は一先ず生きていることに安堵する。
(シモンさんの時よりかは傷も浅そう。でも、やっぱりこっちに運び込まれたってことは重症だったのかな)
「早く来なくてごめんね、興人」
千花は申し訳なさに興人へ謝罪する。
その瞬間、興人の目がすっと開いた。
「興人!? 起きてたの!?」
あまりにもタイミング良く興人が目を覚ましたので千花は驚いて声を張り上げる。
一方で興人は何を言われているかわからないように眉を寄せながら千花を見上げる。
「田上……? お前、なんでいるんだ」
なぜその質問に至るのか、千花も少し考え、思い出す。
興人は恐らく千花の記憶が戻っていることを知らない。
「えっと、ただいま? 私、全部思い出したよ」
「全部? 魔王は、どうした」
興人がどこまで知っているのか千花は予測するしかない。
何せ興人とは一度も会わず、シモンの口頭の説明だけで会話をしていたようなものだから。
「ど、どこから説明したらいい? えっとね、カイト王子がトロイメアに来てね、トロイメアが水没しちゃってね……」
「そこにはいた。いや、説明は後でいい。とりあえず、マーサさんを呼んできてくれ。俺がここにいるってことは大方終わったんだろう」
千花より状況把握に長けている興人に度肝を抜かれつつ、言われた通りおつかいに出た。
マーサも興人の回復能力には呆れ半分と言ったようだが、すぐに駆けつけてくれた。
「腹を貫かれて瘴気を流し込まれてなんで1日で目を覚ませるんだ」
「本当ですよね」
「巫女、お前もだからな」
興人の治療されている光景を見ながら頷く千花にマーサは鋭く一喝する。
若者だから、では済まされないところまで2人の治癒力は優れているのだろう。
「オキト、意識はどうだい?」
「流石に手足の痺れが残っています。正常な判断も今は難しそうですね」
「そりゃね。喋れてるだけでも幸運だ」
マーサが治療薬の配合や記録をしている間に千花は自分の知っていることを話すことにした。
興人がレヴァイアに傷をつけてくれたおかげか、弱っているところにトドメを刺すことができたと、千花は感謝を伝える。
「そうか、結局、お前が倒したのか」
「私がやったのは浄化だよ。興人が追い詰めてくれたから、倒すことができたの。ありがとう」
千花は寝転んでいる興人の片手を握り、微笑みかける。
興人も痺れて動けないと言っている中でも、頑張って応えてくれた。
「田上、お前、なんか顔色がいいな」
「そう? うん、でも、そうかも。私、もう1人じゃないんだって思えたからかな」
「そうだな。お前、思い詰めすぎなんだよ。もっと、俺らを、頼れよ……」
「あれ、興人? 眠いの?」
また目を閉じて力が抜けていく興人に千花は首を傾げて聞く。
だがまた夢の中へ飛んでいったのか、興人が答えることはなかった。
「寝かせてやれ。オキトは回復したと思ったらすぐ訓練しだす。今はとにかく静養に努めさせるんだ」
仕事が一段落したマーサが薄い1枚の紙を千花に差し出してくる。
「私ゃ点滴を替えるから、もう1つおつかいを頼むよ。ライラックにこの薬を配合してこいって指示を頼む」
「は、はい」
ライラックと言えば2階にいる天才薬剤師だ。
そして、千花を最終的に追い詰めたテオドールの片割れでもある。
(テオドールさんに会わないといいけど)
いくら千花の心が保ったとは言え、また挑発されて自分がどう反応するかわからない。
そんな千花の心配をどこからか嗅ぎ取ったのか、はたまたただの偶然か、治療室に再び誰かが入ってきた。
「よお。チカもオキトも無事か?」
「シモンさん!」
どこにいるのだろうと探す前にシモンが無事だとすぐにわかり、千花は一際安心する。
シモンだけはこれ以上傷ついてほしくなかったからだ。
「だから、お前もなんでそんな健康体で……」
「マーサお前、それ口癖なのか?」
「誰かさん達のせいでな」
とんでもない皮肉を言われているが、シモンは気にせず千花達の様子を見て無事を確認できたように微笑を浮かべる。
ついで、千花の持っている処方箋を見下ろし、状況を理解する。
「お前が行くのか? じゃあ俺もついていくか」
「えっ、でもこれくらい1人で行けますよ」
「玩具を求めた若作りジジイがいつちょっかいかけてくるかもわからねえしな」
「若作りジジイって」
シモンの口の悪さに若干引きながらも、千花は「じゃあ」とありがたく一緒に行くことにした。