再生する魂
人間にとって瘴気は触れるだけでも大きなダメージとなる。
シモンは自分に当たらないように、かつ千花へと攻撃されないように二重に攻撃を防いでいた。
「次から次へは、どっちのセリフだよ」
霧散させても黒い靄はすぐに塊となり、中央の繭へと吸収されていく。
そして繭から回復した魂が襲いかかってくる算段らしい。
「王子! 体力はまだあるか」
シモンは周囲を泳ぎながら敵を拡散しているカイトに呼びかける。
カイトはシモンには目もくれないまま口を開く。
「無駄口を叩いている暇があれば早くあの繭を壊せ」
「……お前、絶対口の利き方叩き込んでやるからな」
王子と言えど年下に一蹴され、シモンは青筋を立てながら戦闘に戻る。
あの言動ならカイトもまだ余裕があるだろう。
(とは言え、このまま出てきた魂を押し戻していくだけだと、先に崩れるのはこっちだな)
繭の中にいるのは半魚人や人魚だ。
地上に吹き飛ばしてしまえば身動きはある程度封じられるが、今は陸地より海の方が広い。
(さて、いつ飛ばすか……)
「シモンさん!」
シモンが気を見計らっていると、背後から少女に呼びかけられた。
休んでいたはずの千花だ。
「お前、いくら何でも早すぎるだろ! こっちは心配すんなっつっただろうが」
シモンが気遣いながら叱ってくれていることは千花もよくわかっている。
だが今は甘えている場合ではない。
「あの黒い靄と私、後カイト王子を一緒に空に飛ばすことってできますか!?」
鬼気迫る勢いで尋ねてくる千花に気圧されながらシモンは考える。
「できなかねえけど、お前と王子もか? またどうして」
「上手く説明できないんですけど、巫女様の言う通りにすればメイデン女王様を助けられるんです」
戸惑っていたシモンは、千花の口から光の巫女が出てきたことに些か驚く。
きっと千花にしか聞こえない何かが応えたのだろう。
「任せて大丈夫なんだな?」
「はい。王子には今から言います」
「準備ができたら叫べ。それまで足止めしてやる」
シモンがすぐに了承してくれたことに感謝しつつ、千花は泳ぎ回っているカイトを捕まえることにした。
「王子! カイト王子!」
人魚のスピードに勝てるわけはなく、千花は声を張り上げて呼ぶことにする。
そして先に気づいたのは光の巫女を喰らおうとする黒い靄だった。
(まずいっ)
咄嗟に防御を張る千花だが、その前にカイトが彼女を抱えて華麗に靄を避ける。
「このような所で声を上げるな。死にたいのか」
「す、すみません。あの、王子にお願いがあって」
こんな時にか、というカイトの感情が手に取るようにわかる。
千花は庇ってもらいながら早口で要件を伝える。
「私と一緒にあの繭の中へ入ってください。絶対に、離れないように私を掴みながら」
「……気でも狂ったか」
予想できた返答だが千花にふざけているつもりはない。
「お願いします。このまま浄化をすれば女王様諸共消滅してしまう。王子と私が中に入れば、助かるんです。きっと」
未だ千花を睨むカイトだが、千花も負けじと切れ長の瞳を見つめる。
先に根負けしたのはカイトの方だった。
「お前を信じる。もし失敗したら、地獄の果てまで呪ってやるからな」
「ありがとうございます」
カイトが怖いことを言っているが、千花は確証があった。
これなら勝てると。
「繭の中央を目がけてください」
差し出された手を取り、千花は命じる。
カイトは傷ついた鰭を物ともせず勢いをつけて繭へ突進していく。
(今っ!)
「シモンさん! お願いします!」
千花は繭に体が入る直前でシモンに叫ぶ。
突然の指示だが、シモンは戸惑うことなく魔法陣を発動してくれた。
「やってこいよ、チカ」
繭に取り込まれた瞬間、下から風に吹き飛ばされた感覚を千花は覚える。
そして、カイトの手が離れそうになるのを必死に抑える。
「王子! 意識を保って!」
「……早く、しろ」
シルヴィーの加護があるのだろう千花はまだ耐えられているが、カイトは意識を失わないだけでも難しいらしい。
「私が浄化を放ったら、女王様の体を探してください!」
「どういう意味……」
「イミルエルド!!」
これ以上瘴気に塗れるわけにはいかないと千花は浄化を放つ。
話を聞け、と薄れゆく意識の中カイトは顔を顰めながらも、信じると決めた千花の言葉に従う。
(母の、体)
ウォシュレイの民と同様に、いや、それ以上に慈しみ愛を授けてくれた母。
たとえメイデンが救いを求めていなかったとしても、彼女をこのまま亡骸にしたくはない。
それは、カイトの本心だった。
(魔王の道連れになど、させないっ)
千花の浄化が間に合わずカイトの体を瘴気が蝕む。
激痛に耐えながら目を凝らす。
その先に、一際黒い靄を纏った人魚の体があった。
「う、うぅ……」
浄化と瘴気に板挟みにされているのだろう体から苦しそうな声が小さく発される。
その声は、きっとメイデンの感情だろう。
「母上っ!!」
カイトは蹴り上げるように鰭を動かし、メイデンの体を抱きとめる。
光の中にいてもその顔に生気はなく、心臓の部分には真っ黒な球体が未だメイデンを捕らえんと根を張っている。
「──っいい加減にしろ! 母を、還せ!!」
ここまで声を張り上げたのはいつぶりだろうか。
カイトは怒号を差し向け、美しい手のひらが火傷する程痛むのも構わず黒い球体を鷲掴み、無理矢理引き剥がす。
「これでいいんだろう、巫女!」
意図を何となく理解したカイトは近くで浄化に集中していた千花に球体を投げ渡す。
「任せてください」
千花はボールを受け取るように球体を手のひらに収める。
千花自身もその瘴気の熱さに悲鳴を上げそうになるが、我慢する。
(これはレヴァイアの器じゃない。ちゃんと、メイデン女王様に返してあげて)
『私ノ! 私ノモノ!!』
悲痛な声が球体から千花の脳内に叩きつけてくる。
気を失いそうになる体を引き止め、千花は叫ぶ。
(もう終わりにするの!)
「再生する魂!!」
千花はありったけの魔力を球体に注ぎ込む。
『キェアアアア!!』
球体が金切り声で喚く。
千花は耳を塞がずその声に向き合いながら戦う。
もって数秒だろうか。
喚き声は段々と弱々しく鳴り響き、強く放たれた光と共に水色に光る球体へと変わる。
「……戻ってください」
千花が命じた瞬間、球体はゆっくりと宙に浮き、眠っているメイデンの体へと、静かに戻っていった。
その直後、光の世界は、元のトロイメアへ戻っていた。