起きろ!
何も見えない。
自分がどこにいるかすらわからない千花は盲目に襲われる中、首だけを動かす。
(これが、魔王の魔法? 冷たくて暗い)
指1本動かすことすら時間をかけ、全身を倦怠感が襲う。
魔法杖はないかと千花が空を探っていると、唯一機能している耳に不快な高音が響いた。
「こんな醜い姿、あのお方に振り向いてもらえない」
聞き覚えのある女の声に千花は嫌な予感を覚える。
声の正体に気づいた時には、何かに顔を掴まれていた。
「傷のない柔らかい肌。羨ましい、羨ましい、妬ましい……私のものだったのに」
(このままだとまずいっ。早く逃げないと、死ぬどころじゃない)
頬から伝わる気持ち悪い程の冷たさに千花は逃れようと軋む体を動かそうとする。
「美貌、賞賛、永遠の命。全部全部、私にちょうだい」
「──っ!」
身を捩る千花を強く引き止め、レヴァイアの魂は千花の体を飲み込んだ。
千花がレヴァイアの創り出した黒い球体に取り込まれてすぐ、カイトは襲いかかってくる半魚人には目もくれず突破口を探し出していた。
その顔は焦燥に満ちている。
(あの球体は、母を取り込んだ時と同じもの。巫女が取り込まれる!)
3年前、カイトの目の前で体を乗っ取られたメイデン。
救いたくとも黒い靄は膨れ上がるばかりで瘴気が侵入を阻む。
(あれだけの闇に取り込まれればいくら巫女でも浄化が間に合わない。巫女が悪魔になれば再び浄化は不可能だ)
球体の近くにいるだけでも強大な瘴気に体を持っていかれそうになる。
それは半魚人も同じようで、球体から伸びる触手のような手がまるで食事をするように捕らえては不快な音を立てて栄養源としている。
「これ以上死体を弄ぶな!」
あまりの脅威に物言えぬ恐怖を抱いていたカイトだが、いつまでも生命を愚弄する悪魔の姿に怒りと共に使命を思い出す。
──女王陛下と共に、無事に帰ってきてください。
故郷に残してきたナギサの言葉が反芻する。
カイトは己も球体へ入り内側からレヴァイアを射止めんと槍を構え突進しようとする。
「待て、人魚の王子」
鰭を靡かせ力を入れるカイトだが、その前に腕を掴まれる。
また悪魔の仕業かと睨み返そうとして、その正体が人間だと認識する。
「言っておくが俺は味方だ。オキトが腹を刺されたから応急処置してて遅くなったが、魔王を吹っ飛ばしたのは俺だ」
紫髪の青年──シモンはいかにも訝しんでいるカイトに早口で説明する。
「チカはどうした……って言わなくてもわかるな」
シモンの態度から敵でないことはカイトもすぐ理解した。
協力に値する人間かは定かではないが、今は話を合わせなければならない。
「巫女はあの球体に囚われた。魔王は巫女の体を乗っ取る気だ」
「あんだけ傷つけられりゃあ新しい体が欲しいよな」
シモンはバスラでの戦いを思い出す。
ゴルベルは自分が不利だとわかるや否や唯月の体を乗っ取っていた。
「お前の作戦は?」
「あの球体に入り、巫女が乗っ取られる前に魔王を貫く」
「名案だ。だが、リスクは半端ねえな」
たとえ命にかえても千花は救わねばならない。
カイトの決心を聞いて納得しながらも、首を横に振ってシモンは不敵に笑う。
「だがな、もっと安全な方法がある。王子さんよ、お前は魔法の準備をしてろ。あの靄が飛び散ったら纏めて潰せるくらいの」
「巫女はどうする」
シモンが何を意図しているかわからないカイトは端正な顔つきに眉根を寄せて、疑いを込めて聞き返す。
「こうすりゃいい」
シモンは未だ触手が蠢く球体に近づく。
獲物がまだ残っていることに気づいた触手はシモンに襲いかかるが、その触手を無造作に掴み、シモンは息を吸って大きく声を張り上げる。
「起きろチカ! 魔王の言葉に耳を貸すな! お前は誰か、もう一度考えてみろ!」
あまりの声量に流石のカイトも体を震わせて驚く。
海の中でも聞いたことのない声に反応が遅れるが、それよりもシモンの作戦が単純すぎて意味のなさを疑問に思う。
「そんなもので巫女が起きるわけがない」
「いいや、起きるさ」
どこからその自信が出てくるのか、早く千花を助けなければと焦るカイトだが、視線の先で信じられないものを見つける。
吸い込まれそうな黒い球体に、確実に小さく光が灯った。
「何せあいつは」
点滅を繰り返していた光は徐々に強くなり、肉眼でもわかるほど闇を包もうとしている。
そして、とうとう球体を打ち破るように光が弾け飛んだ。
「悪魔になんざ負けない人間だからな」
闇の球体は光の球体へと変化していく。
そして、球体からは魔法杖を掲げた光の巫女・千花がしっかりと意識を取り戻していた。