息を吹き返した巫女
突然目の前に槍を持ってこられた千花は驚きと衝撃に杖を弾かれてしまう。
「あっ!」
杖がなければ碌に魔法が撃てない。
千花は急いで杖を取ろうとするが、水流に杖が持っていかれる。
(待って、待って、お願いだから!)
せっかくの逃げるチャンスがなくなる。
千花が必死に取り返そうとするが、無慈悲にも飛ばされた半魚人の方が先に戻ってきた。
「どうして……」
自分が戦うと何もかもうまくいかない。
何度も考えて、戦って、失敗して、仲間が傷を負う。
目の前に映る槍が、処刑台のようだ。
『弱さを認めなさい。弱さを受け入れなさい』
夢の中で会った老人の声が響く。
(自分が弱いことくらい、私が1番よくわかってるよ)
あの優しい声が頭に残り、千花は絶望とどうしようもない怒りに涙が湧き出る。
『助けを求めなさい』
『今は、たくさん愛されておいで』
半魚人が突進してくる。
老人の声がゆっくりと脳内を埋め尽くす中、千花は苦しい心臓を握りしめるように、声を振り絞る。
「……けて」
声が詰まり、上手く言葉にならない。
半魚人の槍が、すぐそこまで来ている。
「助けて!」
喉がはち切れそうな程強く、悲痛に千花は叫ぶ。
その瞬間、千花を守るように魔法陣が展開された。
「え?」
呆然としている千花の周りで魔法陣は水流を巻き込み大きな渦となる。
渦は半魚人達をいとも容易く飲み込み、反撃する間もなく遠くへ流していく。
「よく言えたじゃねえか、チカ」
一瞬で1人になった千花の後ろから知らない男の声が聞こえる。
反射的に振り向いた千花は目の前にいた男を見上げる。
「ようやく助けを求められるようになったか」
「あなた、は……」
見知らぬ男──いや、千花は彼を知っている。
邪魔にならないように短くそろえた深い紫の髪と、同じ色の瞳。
若いその男は、千花が一番思いを伝えたかった者。
──お前のこと、認めてるからな。
「ん? ああ、お前記憶失くしたんだってな。じゃあ俺のことも覚えてないか」
──これが最後のチャンスだ。あいつを倒せ。
血まみれになってまで千花を庇ってくれた彼。
「あ、あぁ……」
──お前は強い奴だから、勝てる。
「ま、いいさ。生きてて何よりだ、チカ」
「シモンさんっ!!」
目頭が痛みを訴える程熱い。
目の前のシモンすら霞む程涙が止まらない。
言いたいことはたくさんあるのに、言葉が出てこない。
「ごめんなさいっ、ごめんなさいっ、ごめんなさいっ!!」
突然戻ってきた記憶を整理する暇もなく、正常な判断ができなくなった千花はシモン相手に謝るだけだ。
「何に謝ってんだか」
千花がパニックになっていることも理解したシモンは呆れたように笑いながらその場にしゃがみ、彼女の頭を乱暴に撫でる。
「お前、俺に謝るようなことしたか?」
「わ、わたし、私が弱いから、シモンさんっ死んじゃう」
「勝手に殺すな」
過呼吸になる千花の両頬を片手で掴み、シモンは仕方なさそうに目線を合わせる。
「チカ、1回泣きやめ。埒があかねえから」
「うぅ……」
「お前の目の前にいるのは誰だ。話してるのは誰だ」
「シモンざん……」
「今トロイメアが水没してるのはなんでだ」
「魔王が侵略してきたから」
「じゃあお前は何者だ」
未だしゃくり上げている千花だったが、シモンの問いにしばし考え首を傾げる。
「私? 私は、千花?」
「そうだな。れっきとした、1人のチカだ」
千花が真意を測りかねている間にシモンは転がり落ちた杖を拾いに行く。
「お前のことは、マーサから何となく聞いた。正義感の強いお前のことだ。大方散々どやされたんだろうよ」
シモンの言葉に千花が図星を突かれ、小さく項垂れる。
その態度には言及せず、シモンは杖を肩に乗せながら再度千花の前まで来る。
「お前、いつから人間を捨てた?」
「捨て、てません」
シモンの不可解な言葉に千花はゆっくり頭を振る。
シモンは納得がいっていないようだ。
「じゃあなんで神になろうとしてる。なぜ、光の巫女になろうとしてる」
「私が光の巫女だから……」
「お前は巫女じゃねえ。巫女の、候補者だ」
言葉少なに語れば千花が理解できないままだということはシモンもよくわかっている。
だが伝えずにはいられなかった。
「よく聞け。お前は浄化が使える光の巫女みたいな存在だ。だから絶対魔王討伐には行かなきゃならねえし、傷つくなとも言えねえ。わかるな?」
「はい」
それは千花が何度も自分に言い聞かせた、自身の存在意義だ。
「でもお前は人間捨ててないっつったな。光の巫女はリースの神だ。お前が1人で魔王を倒すには今の人生投げ捨てて神にならなきゃならねえ。友人も、故郷も、家族も何もかもな」
千花は絶句する。
シモンの言う通り、光の巫女と千花の違いは大きかった。
人間が神になろうなど、甚だ図々しい。
「でも、私が戦わないと倒せないじゃないですか。人間のままでも、勝たないと」
「人間のままでも勝てたじゃねえか。二度も」
「シモンさんをあんなにボロボロにした私がっ」
「それが気に食わねえんだよな」
自暴自棄になる千花の言葉にシモンは不機嫌そうな声を出す。
「私が弱いから? 私が魔王を倒せないから? もう1回聞くが、お前いつから神になった? いつから俺より強くなった?」
大きく溜息を吐いて、シモンは仕方なさそうに唖然とする千花を見据える。
「俺はな、正直この世界が嫌いだ。光の巫女もリースも七大国も、滅びたきゃ勝手に滅べと思ってる」
「えっ」
突然投げやりな感情をぶつけられ千花は驚きと共に素っ頓狂な声を出す。
「候補者の育成しろって言われた時もめんどくせえとしか思わなかったんだよ。事実、実践に出すと腰抜けばっかりで飽き飽きしてた」
平和な日本にいない大きな魔物と対峙したら誰だってそうなるだろうと千花は思い出しながら価値観の違いを抱く。
「だがな、お前は違った。魔法も使えない子どもの状態で、俺を庇いながら戦ったな。あん時俺ら最悪な仲だったのに、見捨てる選択肢がなかったもんな」
「ありましたね」
重箱の隅を突かれたように険悪な中、よくここまで関係が良好になったものだと千花も思い出す。
「なあチカ、人ってのは助け合わなきゃ生きていけないみたいだ。俺も、1人で生きていけりゃあ後は何でもいいと思ってたが、それじゃ死にかけるらしい」
全くその通りだ。
千花も人のことは言えない。
「だからなチカ、怒れ。頼れ。1人じゃ無理なんだから魔王討伐に力貸せって、お前が叫べ」
「……光の巫女なのにって、叱られませんか」
「その時は言いつけに来い。魔王に無傷は無理だが、人間相手なら俺1人で余裕だ」
「いや、面と向かって喧嘩されると困るんですけど」
千花は言及しながら肩の重みが減っていることに気づく。
頼っていいことが、枷を壊していく。
(そっか、おじいさん、そういうことだったんだ)
弱さを認める。救いを求める。
できていたと思っていたが、それは思い込みだった。
千花はようやく理解できた。
(助けてって、言っていいんだ)
千花の憑き物が取れた顔に気づいたか、シモンは魔法杖を渡して立ち上がる。
「さて、魔王の居場所は大体わかってる。オキトが戦ってるだろう、早く行くか」
シモンに続いて千花も足を踏み出そうとする。
だがその前に言い忘れていることがある。
(ちゃんと言うんだ。自分のけじめのためにも)
「シモンさん!」
呼び止められ、シモンは進む前に千花に顔を向ける。
千花は魔法杖を両手で握りしめ意を決したようにシモンの目を見る。
「私は弱いので、攻撃も防御もボロボロです。だからまたシモンさんを傷つけるし、死にかけさせることだってあるかもしれない」
目頭が熱くなり、止まっていた涙が出そうになるが、ぐっと進める。
「でも私、リースを救いたい。私、この世界も好きです。だから、魔王を倒す私を助けてください!」
助けを求めなければ気づいてもらえない。
今まで気づかなかったことを恥じながらも千花は願う。
千花の懇願を最後まで聞いたシモンは、目を閉じてふっと笑う。
「もちろんだ」
絶望に陥っていた巫女が、息を吹き返した瞬間だった。