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光の巫女  作者: 雪桃
第7章 ウォシュレイ
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お母さん、ごめんね

 どこかの屋根の上なのだろう。

 急斜面ではなかったため落ちることは避けられたが、レンガ造りの屋根は立っているだけで感覚を失いそうになる。


「これがトロイメア? まさか、この津波って」


 千花は朧げに戻ってくる記憶を頼りにトロイメアの惨状を目の当たりにする。


──人間の国を水没させましょう


 メイデンに取り憑いた魔王は千花を脅す材料としてトロイメアを破壊しようとしていた。

 それが現実となっているのなら、今の光景は魔王を倒しきれなかった千花が原因だ。


(早く魔王を倒しに行かないと。私のせいで死ぬ人が増える)


 手には魔法杖が握られており、白いワンピースは着ていたジャージに戻っている。

 千花は行き先もわからないまま足を進めようとする。

 そんな無謀な行動をしたからか体は思うように動かず、体勢を崩して黒い海へ真っ逆さまに落ちる。


(苦しい……っ!)


 呼吸をする前にごぼっと音がして鼻から汚れた水が入ってくる。

 空気を失った千花の体は浮かぶこともできずに濁流に飲まれていく。


(目の前が、暗い……)


 混濁する中、千花は無意識に魔法杖を持ち上げる。


(ウィンド)


 それでも、ここで死んでたまるかと視界に映る杖に力を込めて呪文を唱える。

 死に物狂いの風の刃は目の前の海を切り裂き、一瞬だけ空を見せてくれた。


(これで、誰か見つけて……)


 元々意識を失いかけていた体は波に沈んでいく。

 無理矢理入ってくる汚水の痛みすら感じなくなり瞼がゆっくり閉じられていく。

 その刹那だった。


「田上さん!」


 とうの昔に聞き慣れた少し低い男性の声。

 千花が声の主を見つける前に落ちかけていた杖を握る手を掴まれ、海上へと一気に引き上げられる。


「ひゅっ……げほっげほっ!」


 空気を求めていた肺がようやく機能したように強く痙攣する。

 千花は声の主にしがみつき、体内に入った水を必死に吐き出す。


「落ち着いて呼吸しなさい。ゆっくり吸って、吐いて。そうです」


 千花が呼吸すらままならないことに気づき、指示を出しながら背中をさすってくれる彼に千花も少しずつ平静を取り戻す。


「ぜえ……ぜえ……落ち着きました。安城先生」


 ようやくまともに話すことができ、千花は声の主である邦彦に報告する。

 邦彦は怒りも喜びもせず、淡々と懐から薬を1錠千花に渡す。


「飲んでください。水中で呼吸ができます」


 その薬の正体をよく知っていた千花は迷いなく飲み込む。

 その姿を見届けた邦彦は表情を変えず千花と共に海に潜り、彼女の手を引く。


「機関に戻れる隠れ家へ行きます。水没していますが魔法陣は解けていないでしょう」


 邦彦は千花が『戻ってきた』ことに気づいていないらしい。

 海の中でも動けるようになった千花は邦彦の力に引っ張られながらも抵抗する。


「安城先生、私戦えます。光の巫女のことも魔王のことも思い出しました!」


 邦彦が何を考えているかは定かではないが、早く言わなければそのまま引っ張られてしまいそうだった。

 千花が大きく告げた言葉に邦彦は動きを止め、訝しむように千花を見下ろす。


「ほ、本当ですよ?」


 まさか悪魔が憑依していると疑われているのかと思った千花は声を上ずらせながら肯定する。


「……全て、思い出したのですか」

「いや、全部っていうわけではなくて。一部抜けてるような」


 邦彦の視線が恐ろしく、千花は逃れるように目を逸らす。

 その気まずさを読んだか読まずか邦彦は目を閉じて深く息を吐き、再び足を進めようとする。


「そっちに魔王がいるんですか?」

「わかりません。僕は変わらず隠れ家へ行こうとしています」


 今の話を理解していないのか、邦彦は千花を帰らせようとしている。

 まさか邦彦が聞いていないわけではないだろうと嫌な予感を覚えながら千花は再び止まる。


「私、戦えますよ。魔法のことはちゃんと覚えてます」

「いいえ、あなたは帰ってください。この事態はこちらで()()()しますので」


『何とか』という曖昧な言葉を邦彦が使用することに千花は訳もなく恐れを抱く。


「だ、だって、光の巫女がいないと浄化できない」

「そうですね。でもあなたは必要ありません」

「私、浄化だけならできますから! やってみせますから!」


 嫌な予感が現実にならないよう、邦彦にだけは言われないよう、千花は縋りつくように邦彦を引き止める。

 そんな千花を黙って見降ろし、邦彦は冷たい表情で口を開く。


「いりません」

「え?」

「田上さんはもう必要ありません。光の巫女は、代わりを見つけますので」


 千花は呼吸を忘れる。

 どうやって息をしていたかすら思い出せないくらいに、千花の体が凍り付く。


「わ、私が勝手なことしたから?」


 言葉がつっかえ、上手く声が出せない。

 泣きたくないのに、目の前の邦彦が滲んでいく。


「勝手にウォシュレイに行って、記憶を失って、トロイメアをこんな風にしたから?」


 千花が傷つく姿を見たいわけではない。

 だが、もう千花をこれ以上リースに留めたくはなかった。


(これでいい。このまま、田上さんを連れ帰れば)


 冷酷な態度を取り、邦彦は消沈した千花をそのまま連れていこうとする。

 自身の顔を覆っている千花の手を掴もうと手を伸ばした刹那、頭上で何かが壊れる音がした。

 水圧で家屋が破壊されている。


(この場にはいられない)

「田上さん、早く隠れ家へ……」


 急いで千花を引き寄せようとする邦彦との間に瓦礫が降ってきた。

 幸い海に入った際に勢いは薄れたが、衝撃で大きく波打ち、2人は引き離されていく。


「田上さん!!」


 邦彦は強く千花を呼び、手を伸ばす。

 千花もその手に応えようとするが、その直前目に映った。

 邦彦の背後をあの凶悪な半魚人が狙っていることに。


(もう、目の前で人が傷つくのは嫌だ)


 千花は拒絶された絶望を抱えながらも信念だけは失わなかった。

 邦彦を掴もうとした手を引っ込め、代わりに魔法杖を半魚人に差し向ける。


「メテオっ!!」


 ありったけの声を張り上げ、邦彦の後ろで槍を振り上げていた半魚人に向かい鋭い岩を繰り出す。


「ごぼっ」


 岩は半魚人の心臓をしっかり射抜き、攻撃を防げた。

 しかし反動で千花はそのまま海流に飲まれていく。


「手を掴んでください。早く!」


 求めてももう届かないことは千花でもよくわかる。

 だからそれ以上抵抗せずに、千花は受け入れた。


(お母さん、ごめんね)


 千花は泣きながらもゆっくりと、微笑んで帰っていった母を思い出す。


(愛してるって、言えないまま、死んじゃうかも)


 悲しみながらも千花は笑う。

 邦彦を護れたことだけは確かだったから。

 自分のせいで人が死ななくて良かったと、千花は流されながら安心した。

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