弱さを認めなさい
半日以上灯子に付き合っていたため疲労はかなり溜まっていた。
一時の体調不良も相まって寮に帰る頃には動く気すらなくなった。
(せめてシャワーだけは浴びられたけど、もう食欲もないや。さっさと寝ちゃおう)
千花は電気も点けずにベッドになだれ込む。
灯子と別れてからじわじわと頭痛が続いて疲労が溜まっていく一方だ。
(安城先生はお母さんと会ったことあるのかな。そもそもなんで私東京に行くことになったんだろう。進路希望は、地元の高校にしたのに)
寝ようと思っているのに視覚を遮断すると余計な思考が脳を埋める。
考えないようにすればするほどあれもこれもと疑問が出てきて千花は堪らず目を開ける。
「水飲も」
頭痛、寝苦しさ、いらない思いで若干苛つきながら千花はベッドから出て水道水を口に含む。
コップ一杯を飲み干し、なんの気なしに勉強机に目をやると、千花は違和感に気づく。
「あれ? 私こんなの持ってたっけ」
机の端に丸い小さな石が置いてあった。
苔とは違う緑色の石。
子どもが宝物のように持つただの石にも見えるが、千花は覚えていた。
(10歳の誕生日に、夢の中でもらった石)
記憶を失った時間が1年だけだったため、それをガラクタだとは思わなかった。
だがなぜ持ってきたのかは依然としてわからない。
『──千花』
疑問に思う千花だが、まあいいかと机の棚にしまおうとする。
その瞬間、頭の中で優しい老人の声が響いた。
「わっ」
窓は閉め切っていたはずだ。
だが名前を呼ばれると同時に目を開けていられないほどの突風が千花を襲う。
「なんで、……っ」
風が吹き荒れたことに驚く千花だが、直後目に映った光景に言葉が出なくなった。
「どこ、ここ」
千花は地平線が見えないほど何もない草原に立っていた。
辺りを見回しても景色は変わらず、ふと視線を下に向けると着ていたジャージは白いワンピースに変わっていた。
「な、なんなの?」
裸足だからか土の感触はあるが、このまま歩いていいものか千花は不安になる。
『来てくれたんだね、千花』
勇気を出して一歩踏み出そうとしたところで、目の前から穏やかな声が聞こえてきた。
「おじ、いさん?」
今まで目の前は草原だけだったはずだ。
どこからともなく現れた老人に千花は目を見張る。
白いローブを羽織り、同じく白い長髪と髭が特徴の老人には、昔出会ったことがある。
(昔? 違う。私、何度も会ったことがある)
頭に靄がかかったように思い出したくても何かに止められている。
千花が何も反応できず固まっていると、老人も困ったように眉を寄せながら微笑んでいる。
『悪魔は、君をどれだけ苦しめれば気が済むのだろうね』
老人は皺が深く刻まれた両手を目の前に出す。
そこには温かい光に包まれた球体が2つあった。
「これ、なんですか?」
『君が救った魂だ。黒い欲望に取り憑かれていた魔王を、君が浄化したんだよ』
「魂? 魔王? 浄化?」
何一つピンと来ず、更に困惑する千花に老人は目を伏せ、魂を差し出す。
『彼らが教えてくれるはずだ。さあ手に取って。君が自分を知りたければ。自分を、光の巫女だと認めるなら』
躊躇っていた千花は、最後の言葉に金縛りにあったように固まった。
(光の、巫女……そう、私、救世主って)
記憶が戻ってきたわけではない。
だが千花は無意識に差し出された2つの魂を静かに手に取っていた。
「っ!!」
触れた指先から脳内に膨大な情報が殴打してくる。
獣人が魔王に食い散らかされている姿、ヴァンパイアが命の危機に晒され、惨殺される姿。
そして、美しい人魚に1人で立ち向かい、殺されかけた自分。
「うあああああっ!!」
千花は流れてくる残酷な描写に堪らず頭を抱えながら崩れ落ち、苦しみを叫ぶ。
(私が弱いからこうなったんだ。強くなろうと思って、それで)
結局記憶を失って戦えなくなった。
自身への嫌悪が募り、千花がどんどん黒い感情に呑まれていこうとする中、老人はゆっくりと口を開く。
『君は弱い』
千花のトラウマを抉るように老人は静かに真実を告げる。
千花は苦しさを抑えるように胸を掴むが、老人は更に続ける。
『君の魔法技術は素晴らしい。成長速度も、他とは比べ物にならないほどだ。だが、弱さを敵としている限り強くなることはない』
「……言ってることがわからない」
千花は泣きそうになる感情をぐっと押し込め、老人を見上げる。
老人は責めているわけではないように笑っている。
『弱さを認めなさい。弱さを受け入れなさい。仲間が傷つく姿を見たくないのなら、助けを求めなさい』
老人は空だった手のひらに再び光る球体を出す。
千花に向けられたそれは徐々に形を変えていき、先端に水晶が埋め込まれた木製の杖になる。
千花の、魔王を倒してきた杖だ。
「魔法は使えるけど、でも私、まだ理解できてない」
『必ずわかる時が来る。焦らなくて良い。今は、たくさん愛されておいで』
魔法杖を恐る恐る握った千花を、再び突風が襲う。
まるで呼応するかのように杖も輝きを増していく。
「愛、されて」
──いつまでも、どこに行っても、愛しているわ
(そうだ。あの時も、背中を押してもらった)
リースを救っておいでと送ってくれた灯子。
その言葉の意味が、少しだけわかった気がする。
(でも、もう少し。まだ思い出せてないことがあるはず)
残り1つ、パズルのピースが見つからないような感覚に陥り、千花は思い出そうと目を強く瞑る。
その瞬間、耳に響いた音は突風ではなく、轟音だった。
「……え?」
目を開けるとそこは、津波に脅かされたトロイメアだった。
来週15日月曜日の更新はお休みします。