脅威が迫る前に
どうやらトロイメアはまだ何も被害を受けていないらしい。
隠れ家から呑気な街道を険しい顔で進み、邦彦は王城へ入っていく。
「あなたは。今女王陛下はご多忙にございます。謁見は後ほど……」
シルヴィーが座している謁見の間の前には護衛騎士が立っていた。
いつも言伝を残してから王城に来るため、シルヴィーも時間を作れなかったのだろう。
「制止を聞いている暇はありません。失礼します」
「あっ、お待ちください!」
しかし邦彦も大人しく帰るわけにはいかない。
護衛騎士2人が力づくで止めようとする隙間を縫い、扉を開く。
「奥か」
謁見の間には玉座が位置している部屋の奥にシルヴィーが政を行うための部屋がある。
本来その部屋は宰相でさえ容易に立ち入ることを許されないが、邦彦は躊躇うことなくノックをして入った。
「女王陛下、失礼致します」
邦彦の登場にシルヴィーは驚きを隠せなかったようだ。
書斎の形をしているその部屋は機密事項が記載されている書類と机のみで、集中するには良い環境だろう。
「貴様! 女王陛下に対し無礼にも程があるぞ!」
追いかけてきた護衛騎士が非礼として邦彦を罰そうとした。
だがそれをシルヴィーは止める。
驚いていたとは言え、邦彦のただならぬ様子を察知したのだろう。
「良い、通せ」
「し、しかし。いえ、承知致しました。何かあればお申し付けください」
シルヴィーの返答に逡巡した後、騎士は持ち場へ戻っていく。
だがその視線は邦彦への猜疑心で満ちていた。
「突然の無礼、真に申し訳ありません」
「前置きはいらない。お前の顔を見れば緊急を要することはわかっている」
シルヴィーは今の業務を中断し、話を聞く体勢に入る。
「では単刀直入に。ウォシュレイの魔王が近いうちにトロイメアに猛攻してきます」
邦彦の言葉にシルヴィーはわかりやすく眉を上げ、すぐにその理由を察する。
「巫女が敗れたか」
「まだ最悪にまでは至っていませんが、脳に損傷を与えられて戦闘不能ではあります」
「他の戦闘員はどうした?」
シルヴィーもまさか千花が1人でウォシュレイへ行ったとは思わないだろう。
その事実を告げると女王でも動揺を隠せなかった。
「勇敢と無謀は紙一重とはこのことだな」
「私の監督不行き届きです」
邦彦は謝罪の意味を込めて頭を下げる。
一方のシルヴィーは早急に手を打つ準備を始めた。
「王宮の魔導士を総力して国全体に防御の陣を発動させる。魔王の動きは見ていないんだな?」
「はい。田上さんを救うことに手一杯でしたので」
「機関から偵察は出していないのか?」
シルヴィーの当たり前の質問に邦彦は返答を迷う。
偵察を放任しているわけではないが。
「1人既にウォシュレイへ向かわせています。ただ、偵察から伝達までは時間を要するかと」
「誰が偵察に行っているんだ? 海の中ならヴァンパイアは不利だろう」
「……アイリーンに向かわせています」
邦彦から出た人物にシルヴィーは信じられないと言うような表情を浮かべる。
「あいつを向かわせたのか!? お前、正気なのであろうな?」
シルヴィーの驚きの言葉も予想していたように邦彦は表情を崩さない。
「彼女も了承しています。力は失っていますが、偵察としては申し分ない実力です」
それでもと言葉を続けようとするシルヴィーに被せるように邦彦は話を変える。
「田上さんが目を覚ますまで、我々は防衛以外手段がありません。トロイメア国が滅亡すれば……」
「断じてない。神に誓い、この国だけは決して悪魔に渡す訳にはいかない」
「承知の上です。最終手段として、機関の人間も動けるか手配しましょう」
「期待はしないでおく」
実力も申し分ない機関の者達、だが地上に降りることは決してない。
邦彦もシルヴィーも不可能だとわかっていながら望みは口にした。
「それでは失礼します。今頃、私の不敬をローランド様が耳にし、叱責しに来るでしょう」
「あの男にはきつく言っておこう。今度こそ、邪魔はさせないようにする」
「よろしくお願いします」
邦彦は足早に出ていく。
今は最小限の行動で抑えておきたい。
もちろんシルヴィーに伝達を済ませたらすぐに機関に戻る気だった。
(トロイメアは今のところ被害を受けていない。王宮魔導士がいれば、少なくとも国内だけは守れるだろう)
主要国が魔王に支配された時も命からがらトロイメアだけは守り切った。
今回も魔王1体だけなら。
(彼女の力が残っていれば周辺も……いや、無いものに縋ったところで無駄な労力だ)
邦彦は足早に王城を出る。
呑気に歩いていればこの事態を引き起こした忌々しい人間に会うことは確実だったからだ。
(不可能と言えば彼らもだが、一縷の望みを叶える他ない)
邦彦は隠れ家に入り、機関への扉を開ける。
興人と別れ機関を出てから1時間弱。
あれだけ傷を負っていればまだ目を覚ますには時間を要するだろう。
(打てる手には頼らなければ勝てない)
邦彦は機関に戻るとすぐにある部屋へ移った。
2階の一室、ライラックの部屋だ。
「ご多忙の中失礼します」
「また面倒事? 私、代用ではないんだけど」
ライラックはまるで邦彦が来た理由を知っているかのように先回りして返答する。
だが邦彦も譲れない。
「ノーズ様にお目通しいただきたいのです。ライラックさんは、許可なくともあの方に接触できるでしょう」
予想通りの言葉だったようで、ライラックはうんざりしたような溜息を吐いた。
「何を話すの? あの男、簡単には許可されないわよ」
「地上を踏み入れることを禁じられたあなた方をウォシュレイへ同行願いたい」