魔王の脅威が襲う
あけましておめでとうございます
頭の中で反芻していく悪夢。
罪のない人間が魚に変わり、悲鳴を上げながら海の藻屑へ消えていく。
(もう、やめて)
千花は檻の中に閉じ込められていて手を伸ばすことも許されない。
目の前には魚として惨殺された元人間達。
奥には、美貌を誇った人魚が座している。
『私の元においで光の巫女』
死体に目もくれず人魚は檻の中の千花に優しく言葉をかける。
だがその顔は嗜虐に溢れた醜い笑顔だった。
『悪魔に逆らったこと、死よりも恐ろしい苦しみで満たしてやろう』
人魚は持っていた槍で千花の心臓を貫いた。
「うぐっ!」
燃えるような痛みに千花は鈍く悲鳴を上げる。
目を大きく見開くと醜悪な人魚は跡形もなく消え、代わりに白い天井が目の前いっぱいに広がった。
「はあ……はあ……?」
苦しいくらいに早鐘を打つ心臓を鎮めようと千花は息を荒げながら服を掴む。
背中は汗が冷えて気持ちが悪い。
「私……寝てた?」
悪夢の衝撃が強く、自分が寝ていたことすら気づくのに時間がかかる。
そんな千花の上に影が落とされる。
「起きたかチカ」
「マーサさん」
千花を見下ろすマーサの顔は酷く険しかった。
千花が状況を理解する前にマーサが軽く額を手のひらで打ってくる。
「いたっ」
「自分から面倒事に突っ込むんじゃないよ。ただでさえお前は耐性がついてない」
マーサに強めに叱られ、千花はようやく目が覚める前の出来事を思い出す。
あまりに残酷な映像に再び取り乱しそうになるが、先程よりは心臓が鳴り響かない。
「ああ、少し強めの鎮静剤を打ってるよ。また暴走されても私1人じゃあんたを庇いきれないからね」
「ご、ごめんなさい」
「謝るくらいならすぐ取り乱すことがないように」
マーサは椅子に深く腰かけ、書類に目を通しながら口を開く。
「私も参考までに映像を見たさ。ありゃトロイメアの王国騎士だね。大方、お前さんを嫌ってる奴が嫌がらせに生贄として送ったんだろう」
「いくら私のことを認めないからって仲間を殺すことがありますか?」
「世の中にゃ悪魔より悪魔な人間なんてわんさかいるもんさ。そんなものがなけりゃ今頃容易く魔王退治ができるのに人間ってのは愚かな知性動物だねえ」
達観しているマーサにぐうの音も出ない千花だが、ふと一緒に映像を見た興人のことが気にかかる。
「マーサさん、興人はどこに行きましたか? 私、興人に八つ当たりしちゃって、謝りに行きたいんですが」
「クニヒコが帰ってきたから状況説明してる。あいつの考えてることはわからんが、八つ当たりされた程度で気を悪くする奴じゃない。気にするな」
そうは言われても自分勝手に悪態を吐いて医務室まで運ばせたのは千花だ。
鎮静剤も効いているからか映像への憎しみよりも申し訳なさが勝っている。
(興人もきっと、あの映像を見て色々悔しい気持ちがあったと思う。それでも私が暴走しないように平常心を保ってくれたんだから)
巻き込んだのは千花だが、後始末は全て興人に任せてしまった。
謝罪と礼を彼にはしなければならない。
そして、ウォシュレイの兵士を一刻も早く救い出さなければならない。
そのためには──。
(……やっぱり、私が何とかしないと)
マーサは背を向けて千花の方を見ていない。
千花は、メイデンに取り憑いていたあの魔王の顔を思い出し、奥歯を強く噛みしめた。
興人は水晶玉を布に包み、2階へ上がる。
目的地は邦彦の部屋だ。
「先生、お忙しい中失礼します。話があって来ました」
帰宅早々用立てるのは些か申し訳ない気もするが、水晶玉の中身を見てしまったことは早めに報告しなければならない。
雷を落とされる覚悟はできているため、冷静に説明するだけだ。
「おや日向君。どうかしましたか」
邦彦はすぐに扉を開けてくれる。
いつでも準備万端な師に、興人はしっかり休めているのだろうかと内心体調を案じながら部屋に入る。
「実は、田上とある映像を見まして」
挨拶もそこそこに興人は本題へ切り出す。
邦彦が黙って待ってくれている間に、興人は水晶玉を布から取り出した。
「これが何だか、先生も知っていますよね?」
興人が水晶玉を取り出した途端、邦彦が僅かに顔を強張らせたのを見逃さなかった。
見た目は何の変哲もないどこにでもある水晶玉だ。
「どこで手に入れたのですか」
邦彦のいつもより低い声に興人は一瞬怯む。
子どもの頃から叱られる時はいつもこの声だ。
若干のトラウマになっていてもおかしくない。
「田上が、リュックの中に偶然入っていたと。王城以外に長居した所はないからそこでしか入らないのではと言っていました」
俄には信じがたいが、邦彦も千花と一緒に王城に出入りしている。
きっと信じてくれるだろう。
「田上さんも見たのですか」
「はい」
「反応は?」
まだ興人の質問に返答をもらっていないが、言及してもむしろ叱責が飛んできそうなので黙って答えることにする。
「酷く取り乱していました。人の死を間近で見せられ、自分を寄越せと言われたので当然のことかと」
「今はどうしていますか?」
「気絶させてマーサさんの所へ。事情を話してあるので鎮静剤を打ってもらっています」
深くなる邦彦の眉根と長い沈黙に我慢できず、興人は頭を下げる。
「すみませんでした。俺が見るのを止めていれば、田上にも余計な心労を重ねなくて済んだのに」
「過ぎたことを謝っても仕方がないです。それに、水晶玉を入れられたのであれば遅かれ早かれあいつらは田上さんをウォシュレイに連れていく気がしたので」
邦彦の言葉から水晶玉を入れた黒幕が興人にも想像できた。
正体と映像の中身がわかっていればと何度悔やんでももう過ぎたことは戻せない。
「水晶玉どうしましょう」
「あいつに返すとどんな手を使っても光の巫女への反発者を増やそうとするでしょう。僕が保管し、女王陛下へ対応を報告します。日向君には申し訳ないですが、一度考える時間をいただいてもいいですか」
「はい。よろしくお願いします」
多忙な邦彦を悩ませてしまい、申し訳なさを感じながら興人は水晶玉を手渡し、そのまま部屋を出ていった。