揺らぐ決断
千花は戻って早々春子と雪奈に詰問されることになった。
「どこ行ってたのよ千花。気づいたらいなくなってるし」
「えっと、親戚の所に」
「一言声かけてって言ったじゃない。千花ちゃんがいなくなって焦ったんだからね」
「ごめんなさい」
落ち着いてから確認すると2人からの着信が画面を覆い尽くすほどの量になっていた。
正直千花も被害者なので責められる道理はないが、ここで本題を出すわけにもいかないためぐっと堪える。
「無事に戻ってきただけ許すけどさ」
「え?」
更に小言を言われると思っていた千花は仕方なさそうにする2人に呆けた表情を見せる。
「事故がなくて良かったってこと。千花のことだし運で乗り切るだろうとは考えてたけどさ」
「知らない土地ではぐれると二度と帰ってこないんじゃないかって不安だったんだよね春子ちゃん」
2人の言葉に千花は強く胸を掴まれたように息ができなくなる。
「ふ、2人は」
千花は胸の辺りを押さえながら震える声で春子と雪奈に問いかける。
「私が突然消えたら、悲しいの?」
千花の問いに2人は目を丸くして顔を見合わせてから再び千花の顔を見る。
「当たり前じゃん。友達なんだから」
「千花ちゃんが消えることなんてありえないけどね」
「そっか。そう、ね」
千花は歯切れの悪い言葉を返すと2人を置いてクラスのバスに乗り込んだ。
春子と雪奈もよくわからないまま千花の後ろを黙ってついて行った。
それから丸1日、千花達は東京に残ることになっていた。
中学最後であり、受験前最後の息抜きということもあり、皆それぞれ楽しんでいたが、千花だけはスマホを握ったまま暗い面持ちだった。
「千花。ちーか。移動するよ」
「え!? う、うん今行く」
春子に促され千花は急いでクラスの中に入っていく。
その隣に春子は立ち、心配そうに千花を覗き込む。
「どうしたの千花。ずっと調子悪そうじゃん」
「ご飯だっておかわりしないし」
「私って食事基準で体調管理されてるの?」
いつの間にか隣に来ていた雪奈に菓子を勧められるが千花は首を振って断る。
「具合が悪いわけじゃないの。ただ考え事をしてて」
「本当に?」
春子の訝しむような声に千花は肯定の意で頷く。
考え事をしているのは本当だ。
春子達が思っているより余程深刻だが。
(春子達と離れるなんて考えたこともない。地元から出ていくことすら考えてなかったのに、異世界に行くなんて)
今日の夕方には千花達は長野に帰る。
必然的に千花が決断する時間も迫っているわけだが、けじめをつける心構えはできていない。
今のところ断ろうとしている気持ちが強く出ている。
「千花、行こう」
「うん」
(私も、家族や友達の方が大事。でも、異世界の人達はどうしてるんだろう)
断ろうと思えばいくらでも断れるが、連絡先を打とうとすると手が止まる。
顔も素性も知らない者達を思っては連絡するのを留まっている。
(灯子さん達は私がいなくなったら悲しいかな)
千花はバスに乗り込むと、窓の外から見える往来の人達を眺めながら静かに目を閉じた。
どこかから喧騒が聞こえる。
男性の野太い怒鳴り声。
女性の命を乞うような悲痛な声。
幼い子の今にも絶えそうな呼吸。
『お願いします! どうかこの子だけは逃がしてください』
『黙れ! 我ら悪魔に刃向かう忌々しき下等生物が!』
男はその鋭利な爪を女と幼子に向かって振り上げる。
2人の体は同じくして男の爪で切り裂かれ、大量の血が床に流れていった。
「千花!」
ハッと千花が目を開けるとすぐ目の前に春子が自分を覗いていた。
「春子? どうしたの?」
「どうしたのはこっちのセリフよ。そんなに汗かいて、やっぱり体調悪いんじゃないの」
「汗って、うわ気持ち悪っ!」
春子に言われた通り体勢を変えようとした千花は制服の下がじっとりと汗で濡れていることに気づいた。
「額もすごいよ。もうすぐ学校に着くけど送っていこうか」
千花は持っていたハンドタオルで顔から流れている汗を拭う。
本当は全身を拭きたいが、ここは外だ。
「大丈夫。悪夢を見ただけだから」
「そんなに汗が出るほど?」
「け、結構本格的で」
千花の理由になっていない言い訳に目を細めながらも春子は顔を離した。
「そういうことにしておきますか。でも本当に具合が悪いなら言った方がいいよ」
「うん。ありがとう春子」
春子が再び座席に戻ったところで千花は再び視線を外に向ける。
高かった陽が傾きつつある。
(今の、悪魔が人間を殺している夢だった)
人間のような顔立ちをしているが、牙と爪は悪魔そのものだった。
そして幼子とその子を庇っていた女は深緑色の髪と目をしていた。
(もしかしてあれが異世界の現実? 悪魔が異種族を虐げている実態)
あれが日常だと言うならば、本当に地獄そのものではないか。
誰かが魔王を倒さない限り、罪のない者が理不尽に殺されていく。
「──っ」
自分が我慢して異世界に行くべきか。
それとも足手まといになる前に退くべきか。
更に千花の心が揺らいだまま、バスは学校へと入っていった。
「それではクラス毎に解散してください。疲れていると思うので今日はゆっくり休んでください」
千花達がバスから降りた後、主任の話を校庭内で聞き、残すは帰宅するだけだ。
千花を含め半数以上の生徒は長い時間をかけて家まで往復する。
校門には子どもを迎えに来た保護者が占めている。
「やっぱり送っていこうか千花。そんな大荷物で自転車も使わず徒歩って」
「毎年のことだから」
遠足だろうと修学旅行だろうと千花が送迎を頼んだことはない。
灯子達に促されても自分は大丈夫と突っぱねてきたのだ。
「でもさ」
未だに食い下がろうと春子に強引に別れを告げ、千花は大荷物を抱えながら徒歩で1時間以上かかる自宅へ帰ろうとする。
「千花!」
足を踏み出そうとした千花を誰かが呼ぶ。
春子でも雪奈でもない声に千花が振り返るとそこには意外な人物が立っていた。
「灯子さんと恭さん?」
千花の目の先には車の窓から手を振っている灯子と運転席に座っている恭の姿があった。
千花は慌ててそちらへ駆け寄る。
「おかえり千花。東京は楽しめた?」
「た、ただいま。それなりに楽しめたよ、っていうかなんでいるの!?」
「春子ちゃんのお母さんが迎えに行くって言うから慌てて出てきたのよ。千花ったら本当に何も言わないんだから」
千花が呆然としていると、恭が車のエンジンをかける音が聞こえてきた。
「話は車に乗ってからにしなさい。他の人も待たせてるんだ」
「いや、私は徒歩で」
「歩いて帰ったら日が暮れるでしょ。さあ乗った乗った」
灯子に急かされるまま千花は後部座席に荷物を置き、自身も乗り込む。
扉を千花が閉めたことがわかると、恭はすぐに車を家に向かって発進させた。