優しすぎる周囲
足早に王城を出る。
ここにいても分が悪い。
邦彦は何にも視線を寄せず、ただ城下街へ出るために足を進める。
(鎮まれ。ここで感情を出しても目的は遂行されない)
心の中では何とでも言えるが、顔は険しく怒りが湧いてくる。
通りかかった王城の侍女が小さく悲鳴を上げた。
(ローランド、勝手なことを。なぜ兵力を犠牲にするような真似を)
光の巫女候補者を嫌っているとは言え、別に悪魔側の人間ではない。
(……違う。田上さんを、追い詰めるためか)
邦彦は物に当たる代わりに整えた髪を乱雑に掴む。
千花が心優しい人間であることはあちらもよく知っている。
だから機関やシルヴィーを詰めるよりも、罪のない人間を傷つけて千花の精神を壊そうとしているのだ。
「……させるか。我々の希望を、田上さんを殺させはしない」
邦彦は王城を出ると、人混みをかき分け急いでギルドに着く。
バスラに行く前は必ずカウンターに誰かいたというのに、今はアイリーンしかいない。
「アイリーンさん」
業務に集中していたアイリーンは邦彦に声をかけられ急いで駆け寄る。
「クニヒコ! チカちゃんは? シモンくんは? 皆どうなったの?」
「アイリーンさん」
アイリーンの焦りを含んだ声と表情を冷めた顔で一瞥し、邦彦は名前を呼ぶ。
「薬の材料? それなら倉庫に……」
「偵察です」
邦彦の言葉にアイリーンは体を強張らせ、目を見張る。
アイリーンが口を開く前に邦彦は強い口調で再び告げる。
「命令です。アイリーン、ウォシュレイに行きなさい」
アイリーンに宣言する邦彦の瞳は、酷く濁っていた。
「はあ、はあ……疲れたあ」
千花は粉々に割れた的を目の前に弱々しい声を出しながら座り込んだ。
(的に当たるまでに半分、的を壊すまでに半分魔力を使った。もう魔法使えないなんて)
魔法杖にどれだけ頼っていたか千花は痛いほどよくわかった。
体力作りにはちょうどいいが。
「暑……」
動きすぎて汗がとめどなく吹き出る。
目に入る前に額の汗を腕で拭っていると、頭上から何かが落ちてくる。
「!?」
突然の衝撃に千花は体を震わせながら頭から物体を取り出す。
それは汗を拭くにはちょうどいい白いタオルだった。
(た、タオル? なんで上から……)
「あっ」
千花はゴルベルと戦った後のことを思い出す。
もし予想が正しければ。
「リンゲツさん!」
千花は顔を上げて誰もいない訓練場に声を響かせる。
返事はないが、千花は困惑しない。
「答えなくていいです。リンゲツさんのことは聞いてるので。でもせめてお礼を言わせてくださいリンゲツさん、助けてくれてありがとうございます。シモンさんを、救ってくれてありがとうございます」
千花は顔も知らないリンゲツに感謝を述べる。
ずっと、思いを告げたかった。ようやく話せたのだ。
(一方的にだけど)
返事が来ないことは百も承知だ。
千花は握ったタオルを胸に、リンゲツがいるであろう上空を見上げ、微笑む。
それに呼びかけるように、優しい風が吹いてきた。
「……ありがとう、巫女様」
少し高めの女性の声が耳に入る。
千花はもっと話したい気持ちもあるが、きっとリンゲツは頑張って声を出してくれたのだ。
無理をさせてはいけない。
(いつか、リンゲツさんが私を信じて姿を見せてくれるといいな)
千花は優しい風が見守る中、休憩を終えようとする。
しかし直前で扉が勢いよく開く。
「テオ! どこ行ったの!」
興人でもリンゲツでもない突然の大声に千花は体を震わせる。
振り返ると、長い黒髪を垂らしている怒り顔の女性が立っていた。
(こ、ここの人、だよね?)
「あ? あんた誰?」
それはこっちのセリフだとツッコみたいが、鬼気迫る女性に気圧されて尻込みするしかない。
「ち、千花です。あの、安城先生に連れてきてもらった……」
「ああ、あんたが巫女なのね」
しっかり説明をせずとも名前を聞いただけで正体がわかるということは千花はもう機関内では有名人だ。
喜べはしないが。
「あの、お名前を聞いても?」
「え?」
「ご、ごめんなさい!」
眉を寄せて睨んでくる女性に千花は悪いことをしたわけでもないのに謝罪してしまう。
「謝らなくていい。大方、私の顔が怖くて謝ったんでしょ。ああ否定しなくても顔が怖いのは自覚あるから」
自身を卑下している態度には見えないが、千花は言いようのない申し訳なさを覚える。
「私はライラック。ここでは薬の開発を任されてる」
ライラック──どこかで聞いたことがある名前だと千花は思い出す。
「昨日お名前だけは聞きました。テオドールさんと話している時に、何度か……」
千花がテオドールの名前を出した瞬間、彼女の顔が鬼のように怒りに変わった。
「テオに会ったの!? どこにいる!」
「き、昨日2階で会いましたが、今日は姿を見てないのでわかりません。ごめんなさい」
「あいつ、八つ裂きじゃ済まなくしてやろうかしら」
「あの、テオドールさんとは仲が悪いんですか」
物騒な言葉が聞こえてきたため千花は顔色を悪くしながら話を続けることにする。
目の前で八つ裂きだけは勘弁してほしい。
「仲? さあ? 900年も一緒にいたらお互い空気みたいなもんよ。でもあいつを放っとくと仕事の邪魔しかしないから双子の私がこうやって連れ戻さなきゃならないの」
「ライラックさんも900年生きてるんですか!?」
テオドールと双子ということは彼女も不老不死だ。
おとぎ話でしかなかった言葉が現実になって千花は混乱する。
「クニヒコから聞いてない? 機関内で何百年も生きてる奴なんて、そう珍しくないわよ」
「聞いてはいるんですが、実感が湧かないというか」
説明されたとて実際目の当たりにしなければ理解はできない。
千花の反応にライラックは苛ついたように髪を掻きむしる。
「ごめ……」
「あんたには何も怒ってない。でも、あんたが今関わってる奴は皆悪い意味で優しすぎる。あんたが知らなきゃいけないことは山ほどあるよ」
それはライラックに言われずとも千花もどこかで感じていた。
邦彦が言わないと言ったことは恐らく本来聞かなければならないことだろう。
「あんたはまだ心が弱い。悪口じゃないよ。短い時間でドロドロした状況を畳みかけられたら耐えられたもんじゃない。だから時間が必要だっていう認識でいてくれたらいい」
「でも、私がどれだけ強くなったって安城先生は全部説明してくれないかと」
「私は答えてやれる。覚悟ができたのなら、いつでも話してやるよ」
千花は不安げにライラックを見上げる。
恐らく今はまだ話を聞く時ではないのだろう。
「2階に上がって左に3つ目の扉が私の部屋。覚えておいて。後、テオに会ったら私の所に来いって。あいつ1週間八つ裂きにしてやる」
ライラックは踵を返して訓練場を出ていく。
最後に再び物騒な話をしていたが、千花は考え事ばかりでろくに返事もできなかった。