不思議な女性の手助け
千花は腰を引かせて仰け反る。
戦闘態勢に入らなければならないことはわかっているが、突然現れた銀髪の女性の登場に驚きを隠せない。
「まあまあそこまで怯えないでくださいまし。取って食うわけではありませんのよ」
女性は朗らかに話しかけてくるが、千花には何故ここに彼女がいるのか全く理解できない。
何せ、ここは魔王の巣窟。いつ命を奪われるかわからない場所だ。
「あなた、一体誰?」
乾いた口からはたったそれだけしか発することができなかった。
しかし女性は気にした素振りもなく答える。
「名前ですか? そうですね、ゼーラとでも呼んでおいてくださいな」
自身をゼーラと名乗った女性は「さて」と話をすり替える。
「巫女様、まさか戦いを放棄されているのではありませんよね?」
突然図星を突いてくるゼーラに千花は言葉を呑む。
千花の表情を見てゼーラは遠慮なく呆れた溜息を吐く。
「まあ情けないこと。少し劣勢に立たされたからってそこまで落ち込むことですの?」
光の巫女としての自覚をと説教垂れてくるゼーラに千花は唇を噛みながら俯く。
「じゃあ、あなたなら戦えるの?」
絞り出した言葉にゼーラは大袈裟に首を振る。
「私が? ご冗談を。私が前に出たらお父様からお叱りを受けます」
なぜここでゼーラは父親の名を出すのか。
そもそもゼーラは何者なのか。
いくつも疑問が湧いてくるが、千花が口を開く前に衝撃音が後ろから響く。
「あらまあ。ゴルベルの器が倒されたようですわね」
「えっ」
器が、ということは魂が出てくるだろう。
そうなれば浄化できるのは千花しかいない。
「あら残念。杖が壊れてしまっているのですね」
様子を見に行こうとした千花だが、追い打ちをかけるようにゼーラが言葉をかける。
千花が失意することをわかっているのか、意地の悪い笑みを浮かべながら。
「っ……──っ!」
怒りか悔しさかわからない思いがあふれ出す。
言葉にならず、混乱した心が悲鳴を上げていく。
「あら、泣いているんですの? 泣き虫さん」
「……よ」
挑発してくるゼーラに千花はぼやける視界のまま口を開く。
「なんですか?」
「黙っててよ! どうせ何も手助けしてくれないなら、あなたには関係ないでしょ!」
自棄になった子どものように叫ぶ千花にゼーラは拍子抜けしたらしく目を丸くする。
「そこまで怒ることでしたか? ああいえ、人の感情を甘く見ておりましたね。申し訳ございません」
散々挑発してきた後はしおらしく謝ってくる。
本当に何者なのだこの女は、と千花が警戒していると、ゼーラが折れた杖を指してくる。
「お詫びに杖の時間を戻してさしあげます。また壊れてしまいますが、ゴルベルとの戦いまでなら保ちますわ」
ゼーラが指を1つ回すと歪に折られていた杖が修復された。
千花が魔法に信じられないというような表情を向けている間、ゼーラが「それと」と話を続ける。
「ゴルベルは怠惰の魔王です。魔力はありますが動きはとても鈍いので周囲を魔法で固めてくださいな」
急に手のひらを返して助言をしてくるゼーラに千花は空いた口が塞がらない。
「どうして、そこまで?」
「突然優しくしても戸惑うのですね? 人って不思議……いえ、何でもありません。私、あなたに今死なれるととても困りますの。だから死なないようサポートさせていただいています」
それは世界を救ううえで、という意味だろうか。
ゼーラの目を見ても何を考えているか全くわからない。
「魔王を倒せる巫女が現れたのです。せめて、お父様の所まで来てもらわなければ困りますわ」
「え?」
「こちらの話です。さあ、お急ぎくださいな。ゴルベルはまだ倒れておりませんよ。器が駄目になったら新しい器に変えるだけですから」
ゼーラの言葉の意味を考え、すぐに理解する。
「風間先輩!」
「行ってらっしゃいませ巫女様」
千花の目に焦りと共に闘志が戻ったことを確信したゼーラは優雅に手を振りながらその後ろ姿を見送る。
その直後、風が吹き、髪に隠れていたゼーラの赤い瞳が鈍く光る。
「巫女様が、この世界に無知でとても助かりますわ」
千花の姿が見えなくなると同時に、ゼーラもその場から立ち去った。
「おいおいどうした? まさかもう終わりじゃねえだろうなあ?」
唯月──今は体を乗っ取られゴルベルになった彼は目の前でゼエゼエ息を切らしているシモンを嘲りながら笑う。
「クソ、悪魔」
シモンは魔力切れを起こしかけている体に鞭打って立ち上がる。
シヅキ戦に続いてゴルベルと戦い、倒せたと思えばまた振り出しに戻った。
「こいつ、体はヒョロいが中々魔力もあるじゃねえか。傷はあるが、老体よりはマシだな」
かたや魔力も残っており、傷を負っているとは言え軽傷のゴルベル。
力の差は圧倒的だ。
「……メテオ!」
余裕をかましているゴルベルにシモンは攻撃を仕掛ける。
しかし油断していないゴルベルは軽々と避け、代わりに風の刃を仕向ける。
刃は一直線にシモンの腕を切り裂き、深い傷を残す。
「どうだあ? 優勢だと思ってたのに地に落とされる気分は」
ゴルベルは唯月が得意としていた血の結界を発動させ、防御も固める。
先程よりも更に不利になった状況にシモンは奥歯を噛む。
(完全に初めに戻った。いや、こっちの魔力だけが減っている今、むしろ振り出しより劣勢だ)
ただ殺すだけなら──いや、今やゴルベルに魔法を当てることすら難しい状況だ。
「考え事してる暇があるのか?」
シモンが次の手を考えている間にゴルベルが血の槍を作り出す。
唯月よりも遥かに鋭く凶暴な槍は瞬時に防御魔法を繰り出すシモンの魔法をも破壊し、構えていた右手に突き刺さる。
「ぐっ!」
「諦めろ。もう勝ち目はねえんだよ」
ゴルベルがまるで同情するかのように静かにシモンへ命令する。
その手にはもう一度槍が握られる。
「ま、運がなかったな」
それだけ吐くと、ゴルベルは槍を手放そうとする。
「──っ!」
魔法の集中ができない今、槍を防ぐ術がない。
素手で受け止めることもできないだろう。
しかし、シモンが死を予感する直前、ゴルベルの頭上に魔法陣が発動される。
「!」
「あ?」
ゴルベルが上を見上げると同時に大量の泥が降ってくる。
ゴルベルは急いで魔法を消し、横に避ける。
「泥の海!」
シモンが後ろを見ると、先程まで休んでいたはずの千花が杖を構え、立っていた。