ゴルベルとの対峙
最上階までは時間もかからずに辿り着くことができた。
階段を上がった先は今までの白い部屋とは違い、モノクロのシンプルな光景が目につく。
大きな円卓が1つに黒い背もたれがついた椅子が4脚。
それだけ簡素な部屋に、人影がある。
(あれが、魔王ゴルベル。風間先輩のお父さん)
千花は魔法杖を握る手を強める。
ゴルベルは怠惰の名が似合うように、円卓の真ん中に肩肘をついて寝そべっている。
千花の存在など意に介さぬように。
(今は興人もいない。私1人でゴルベルを倒さないと)
ゴルベルは今寝ているのだろう。
寝込みを襲うのは気が引けるが、相手は国1つ支配できる魔王だ。
(泥の海!)
千花は声を出さずに心の中で呪文を唱える。
まずはゴルベルの動きを封じる。
だがいつまで経っても泥は発動されない。
(あれ?)
今までも心の中で唱えた魔法はしっかり発動されていた。
集中が足りなかったかと千花は再び杖に力を込める。
(泥の海!)
今度は手応えもあった。にも関わらず全く攻撃はされていない。
まるでゴルベルに向けた攻撃が無効化されているかのように。
「はあぁ。ねみぃ」
千花が魔法を使えないことに戸惑っている間にゴルベルがあくびをしながら寝返りを打つ。
千花が反応する前にゴルベルと目が合ってしまう。
「あ? 誰だお前」
心臓がうるさいくらいに激しく鳴っている。
早く次の手を打たなければと思いながら気づかれたことへの恐怖が勝る。
「ヴァンパイアじゃねえな。つーことは、てめえが光の巫女か」
ゴルベルは起き上がることなく寝そべった体勢のまま、固まっている千花を舐めるように何度も見る。
「べモスを倒したから期待してみれば、とんだ小娘が来たもんだな」
ゴルベルは牙の見える口を歪ませ、千花を馬鹿にする。
その言葉に怒りと共に正気を取り戻した千花は魔法杖を再びゴルベルに向ける。
「泥団子!」
今度は魔法も発動した。
泥団子はゴルベル目がけて3弾発射される。
「弱」
しかし弾は全てゴルベルが指1本で消し去ってしまう。
(大丈夫。落ち着いて次の手を考えて)
ゴルベル相手に生半可な魔法で通用するとは初めから考えていない。
千花は動かないゴルベルに更に魔法を突きつける。
「土人形! リーフカット!」
等身大の土で出来た人形を目の前にいくつも出現させ視界を奪うと、そこから鋭い葉を発射させる。
「うわっ土くせえ」
ゴルベルは目の前に飛んできた葉を風の魔法で追い返すと、ついでと言わんばかりに土人形も消し去ってしまう。
「っ!」
こうもあっさりと魔法を消されてしまうものなのか。
わかってはいたものの千花はゴルベルの余裕そうな顔にたじろぐ。
「焦ってんなあ光の巫女さんよ。足止め用のヴァンパイア共を倒したと見たが、お前の力じゃねえのか」
ゴルベルの言葉に反論できない。
老人はほとんどシモンが倒した。
あの女ヴァンパイアも倒してはいない。
「おおかた、べモスだってお前1人の力じゃ倒せなかっただろうよ」
図星を突かれ、千花は奥歯を噛みしめる。
(惑わされるな。私が倒さなきゃいけないんだ。私が……)
杖を握る手が痛み始める。
しかし千花はそんなことも気づかないくらいに動揺している。
ゴルベルは千花の心情を読み取ったかのように意地の悪い笑みを浮かべると自分の指を噛み、血を数滴地面に垂らし、人間体を生成する。
「守られてばっかの巫女さんじゃ分身だけで十分だろ」
血で出来た赤い分身は千花と対峙する。
千花が臨戦態勢に入ると同時にゴルベルが「つっても」と付け加える。
「その毒に耐えながらだけどな」
「毒?」
ゴルベルが自身の首を指でトントンと叩く。
千花が首に手を置くと、指先に小さな血がついた。
「どうし……てっ」
血を見た瞬間千花の体が急激に熱を持ち始めた。
全身の倦怠感と首の激痛、吐き気、目眩に襲われる。
「遅効性の毒だったみてえだな。はっ、ご愁傷さま」
千花は混乱と嫌悪に塗れながら思い出す。
老人と戦っている時に首に痛みを感じたことを。
(あの、時……)
千花が回想している間にもゴルベルの分身は襲いかかってくる。
判断が遅れた千花はそのまま左腕を強く斬られた。
邦彦は銃を構えながら霧の中を走る。
興人と廃墟で別れてからすぐに邦彦は中央塔へ向かっていた。
(日向君は一介の悪魔に負けるような人じゃない。戦いが終わればこちらへ来てくれるでしょう。問題は、田上さんだ)
興人を襲った犯人が1人だと考え、ゴルベルに乗っ取られたヴァンパイアが唯月の父親だ。
とすると必然的に残りの敵は2人だ。
今出くわしていないということは中央塔にいるだろう。
(2人同時に襲ってきたら……いや、襲ってこなくても手強い相手だとすれば別離されてもおかしくない。魔王の元へ向かう前に田上さんに魔力を使わせたら、浄化の力が薄まる)
邦彦は襲ってくるコウモリを容赦なく撃ち抜きながら数が明らかに減っていることに気づく。
リンゲツが退治しているのかとも考えられるが、ゴルベルが力を蓄え始めているとも取れる。
(嫌な予感がする。せめて田上さんが重傷を負っていなければいいが)
邦彦の心配が杞憂で終わるかどうかは誰にもわからない。
せめてヴァンパイアが心を入れ替えて戦ってくれれば、と思い、すぐに首を横に振る。
(望みもないことを考えるのはよそう。元々、魔王は人間だけで戦うつもりだ)
ウェンザーズの時は運が良かっただけ。
邦彦は雑念を捨てて先へ進もうとする。
その直後、遠くから小さく足音が通りすぎていくのが聞こえた。
「日向君?」
邦彦が置いてきた興人の名を呼ぶが、霧の向こうから返答はない。
それに、足音は1つではない。
「……まさか」
邦彦は思い当たる節に気づき、その足音を追いかけることにした。