僕が本当に守りたいもの
「悪いことは言わない。イツキ、今日は大人しくここにいろ。お前が魔王に脅されているのは知ってるから、明日になったら解放してやる」
「おじさん、1個だけ聞いていい?」
まだ優しさを残しているアキヅキに怯えながらも唯月は聞きたかったことを口に出す。
「魔王より怖いものってなんだと思う?」
唯月の唐突な質問にアキヅキの眉間の皺が更に深くなる。
唯月は目を合わせないまでも、アキヅキの周りの空気が悪くなったことを察する。
「そんなものあるわけないだろう。魔王はリースでもっとも恐れられている存在だ」
「そう、だよね。そのはずなんだ」
煮え切らない唯月にアキヅキは首を傾げる。
唯月は顔を下に向けたまま1人物思いに耽る。
(今のバスラにゴルベルより怖い存在はない。でも田上さんがそれ以上に怖いものってなんだ)
回想の中で邦彦に聞いたこと。
千花には魔王を倒すよりも怖いことがあるらしい。
それはなんだ。それがわかれば戦えるのだろうか。
「おじさん、僕は戦えるようになりたい。ハヅキや父さんのように」
唯月が弱々しく願うため、アキヅキはその場からは動かず、だが何か諦めたように溜息を吐いた。
「そういうところ、本当に父親そっくりだな」
「どこが? 父さんはバスラのために戦ってるのに」
「あいつだって昔はお前みたいにうじうじしてた時期があったさ。それが親になって変わったみたいだな」
いつでもかっこいい憧れの存在だった父親にも自分のような時期があったのかと唯月は驚きを隠せない。
「ああそうだ。質問の答えになってるかわからないが、あいつはこんなことを言ってたな」
「え?」
「子どもが傷つくくらいなら、悪魔でも何でも倒してやるって」
あの気難しい男がな、とアキヅキは昔の友人を思い出したように懐かしむ。
だがアキヅキとは裏腹に、唯月は深緑の目を見開いて体を固まらせる。
「子どもが、傷つくくらいなら」
『先輩は、この国を取り戻したいんですか』
バスラの平和を取り戻したかった。
ハヅキの仇を取りたかった。
父親を、まだ生きているはずの父親を救いたい。
「そっか。魔王より怖いものって、そういうことか」
「イツキ?」
ベッドから立ち上がり、イツキは玄関へ歩いていく。
アキヅキが止めようとするが、唯月は構わず扉のドアノブに手をかける。
「おじさん、僕わかったよ。魔王より怖いもの」
「お前まで何言って」
戸惑いながらも強く引き止めてこないアキヅキに心の中で感謝しながら扉を勢いよく開ける。
廊下に出ると見張りのように若いヴァンパイアが2人立っていた。
「イツキ!?」
「ごめんね、そこを通して。父さんの所に行くから」
今までと違い、唯月が迷いのない顔でこちらを見てくるので、青年2人も困惑している。
「おいイツキ、どこに行くんだ」
突然の唯月の行動にアキヅキも焦りを隠せないようだ。
だが混乱している中、唯月は堂々と廊下に出る。
「父さんの所に行ってくる」
「父さんって、魔王の所だろ!? 死ぬ気か」
とうとう人間に洗脳されてしまったのかとアキヅキが焦る中、イツキは足を進めようとする。
しかしその前に騒ぎを聞きつけたシュウゲツが立ちはだかった。
「何してるのイツキ」
シュウゲツの顔は今まで見たことないくらい怒りに塗れている。
唯月は一瞬怯みながらも今度はしっかり顔を合わせる。
「話は聞いてただろうシュウゲツ。ごめん、反対されても僕はあいつの所に行く」
シュウゲツの周りが段々冷えていく。
このままならまた洗脳されるだろう。
「理解してもらおうとは思わないよ。帰ってきたら、罵声でも恨み言でも何でも聞くから」
「魔王の所に行って生きて帰ってこれるとでも? お前、冗談もいい加減にしろよ」
シュウゲツの瞳が鈍く光る。
唯月は唇を噛んで正気を取り戻そうとしたが、その前にアキヅキが視界を遮る。
「おじさん?」
「何のつもりだよ父さん。大体イツキを見張ってろって言ったはず」
シュウゲツと同じようにイツキを止めてくるのかと思えば、彼はむしろイツキを庇っている。
「シュウゲツ、お前の言いたいことは痛いほどよくわかる。だが、その前にイツキの真意を聞いてやれ」
「真意!? イツキはただ人間に惑わされてるだけだ!」
「本当にそう思うか?」
アキヅキに食い気味に聞かれ、シュウゲツはぐっと言葉を詰まらせる。
その隙を見てアキヅキは唯月に向き直る。
「イツキ、お前さっき俺に聞いてきただろ。魔王より怖いものは何かって。その答えが見つかったから今行こうとしてるんだろう?」
アキヅキは気づいてくれていたらしい。
イツキはシュウゲツに阻まれる前に口を開く。
「おじさん達の言うことはよくわかる。ヴァンパイアの掟を破っていることも理解してる」
「じゃあ」
「でもね、僕、バスラが好きなんだよ」
突然話を変える唯月にシュウゲツは理解できないという顔を向ける。
だがアキヅキは黙って聞いている。
「ゴルベルに支配される前の皆が自由になれるバスラが好きだ。皆が怯えることなく外に出られていたバスラが好きなんだよ。こんな、犠牲を強いて我慢するバスラじゃない」
唯月は泣きたくなる気持ちをぐっと抑える。
彼らに自分の思いだけは伝えてから行きたい。
「僕が怖いのはゴルベルじゃない。シュウゲツ達がハヅキのように傷つくのが怖い。父さんが、永遠にあの塔に閉じ込められていると想像するだけで悪魔が憎くなる」
だから、と唯月は今まで以上に強い瞳でシュウゲツを見据える。
「僕は絶対に塔に行く。そして必ずゴルベルを倒す。父さん達が守ってきたバスラを取り戻す。今度は僕が、バスラを守る」
唯月の視線に呆然と立ち尽くすシュウゲツを背に、唯月は階段の方へ歩く。
すれ違う瞬間、唯月はシュウゲツに声をかける。
「今まで守ってくれてありがとう、シュウゲツ」
唯月が通り過ぎていく。
シュウゲツは血が滲むほど拳を握りしめ、瞬時に後ろを向くと唯月に攻撃しようとする。
しかしその前にアキヅキがその手を抑える。
「放せ! あいつを閉じ込めないと!」
「シュウゲツ、もう諦めろ。イツキはもう止まらない」
「じゃああいつを見殺しにしろっていうのかよ!」
「……イツキの言ったことは、お前が一番よくわかっているだろう。優しいお前が傷ついていることは、イツキもしっかりわかってる」
父の憐みにも似た顔に、シュウゲツは毒気を抜かれたように力がなくなる。
その赤い目には涙の膜が張る。
「イツキ……だけは死なせたくない」
「わかってる。よくわかってるさ、シュウゲツ」
苦しそうに息をしながら訴えるシュウゲツは、それでももうイツキを追いかけなかった。
唯月はビルのエントランスまで辿り着く。
大きく息を吸い込むと、吸血コウモリが漂う外へ出ようとする。
(田上さんがゴルベルの所にいるのだとすれば誘導した僕も敵認定されていてもおかしくない。魔法は使えるよう準備して)
唯月がエントランスの扉に手をかける。
扉を開けようとした直前、後ろから足音が聞こえてきた。
「待って!」
一瞬シュウゲツが追いかけてきたのかと警戒する唯月だが、その声は少女のものだった。
少女はヴァンパイアには珍しく、ブロンドの長い髪を垂らしている。
「お願い! 私も連れていって」
どこかで会ったような気もするが、ヴァンパイアは1つのビルに大勢が入居している。
顔が覚えられなくても文句は言えないほどに。
「危ないよ。君は家に」
「あなたの話、聞いたの。私も家にいたってずっと一人ぼっち。ずっと塔の中に家族がいる」
少女は大きな赤い瞳に涙を溜めながら懇願する。
「私もバスラを救いたい。塔の中にいる、シヅキお姉ちゃんを助けたい!だから連れていって」
少女も家族をゴルベルに奪われたらしい。
ハヅキと変わらない少女に躊躇うが、唯月は意を決して首を縦に振る。
「吸血コウモリがたくさんいるから、ちゃんと魔法を使ってね」
「ええ。ありがとう」
唯月は少女と共に、霧の中へ飛び出していった。