襲いかかる腕
手助けもあり、吸血コウモリがそれ以上襲ってくることはなかった。
2人はそのまま走り抜け、千花達が待っているビルの入口まで着く。
「日向君、一度ここで待っていてください」
警戒心を持たずにビルの扉を開けようとする興人を邦彦は引きとめる。
「建物の中から血の匂いがする。これは、少量とは言えないでしょう」
邦彦に言われ、興人も注意深く中の匂いを嗅いでみる。
確かに鉄の匂いが強くなっている気がする。
「侵入者、じゃないですよね」
「敵が中にいるかもしれません。日向君、武器を構えていてください」
邦彦の言う通り、興人は鞘に収めていた大剣を再び取り出す。
興人が臨戦態勢に入ると、邦彦は扉を静かに開け、敵の気配を探す。
「悪魔の魔力は微かにします。シモンさんの魔力も」
つまりここで悪魔とシモンが戦ったということだろうか。
シモンであれば気を緩めなければ悪魔くらい対応できるはずだ。
中には千花もいる。
「2人が休んでいた所まで行ってみましょう」
いつでも攻撃できるように武器は構えたまま中へ進む。
悪魔の魔力が強まる中、少しずつ血の匂いも充満してくる。
「確か、ここで休んでいましたよね」
エントランスを奥に進んだ広間のような所で座っていたはずだ。
そこには千花達どころか悪魔すらいなかった。
「この匂いはどこから来ているのでしょうか」
「この付近ではあると思いますが、土地勘がないと探すのも一苦労ですね」
無闇に大声を出すのも躊躇われる。
骨は折れるが、千花達が逃げていることも考慮してビルの中を捜索した方がいいだろう。
「手間ですが、一緒に周りましょう」
「はい」
確かに血の匂いと悪魔の魔力はある。
何もなく2人がここから離れるとは考えられない。
邦彦達は半分倒壊しているビルの奥へと慎重に進んでいく。
「ここまで崩れていて、よく3年ももっていますね」
中は瓦礫だらけだ。
埃の匂いもかなり強く、興人は堪らず1つ咳き込む。
「バスラは集合住宅でできた国なので、建物も頑丈に出来ています」
それをいとも容易く破壊したことも同時にわかる。
魔力の気配を辿りながら奥へ進んでいくと、1つの小部屋に着いた。
「この中がもっとも強い魔力を放っていますね。僕が開けますので、日向君は敵が襲いかかってもいいように構えていてください」
「はい」
ここまで大胆に魔力を流しているのは悪魔がこちらに気づいていないからか、それとも膨大な魔力を抑えきれないからか、どちらにせよ強敵であることに変わりはない。
「行きますよ」
興人が大剣を構えたタイミングで邦彦は合図をし、扉を勢いよく開けた。
「……誰もいない?」
光が全く射さない真っ暗な部屋を興人は見回す。
どこを見ても悪魔のような姿は見られない。
「油断しないように。気配を消すのは悪魔の得意技です」
興人は手に小さく炎を灯し、明かりの代わりにする。
慎重に中に入ると、やはり血の匂いが強くなる。
「どこかに血痕があるはずです」
暗い中を小さな炎だけで進んでいく。
部屋の間取りは狭いので、戦いになったら不利になりそうだ。
「壁の中から匂いがしていそうですね。日向君、少し奥へ行けますか」
邦彦の指示に興人は炎を持ったまま壁伝いに進んでいく。
邦彦が興人の後ろを歩きながら壁に手をついていると、ある所で湿り気を帯びる。
「止まってください」
邦彦の言葉に興人は踵を返す。
邦彦の指す方向に炎を向けると、湿り気の正体が顕になった。
「やはり血がついてますね。それも大量に」
壁にはまばらに血がついている。
興人の半身を覆うほどには血が流れているだろう。
「悪魔の血、ではないですね」
「じゃあシモンさんか田上の?」
「その線が高いです」
どこに傷を負ったかはわからないが、人がここまでの血を流して軽傷で済むはずがない。
「悪魔が2人を連れ去ったか、まだこの場に残っているか」
邦彦が血を見上げながら考えを巡らせる。
どちらにせよ早く2人を見つけ出し、救わなければ魔王へは近づけない。
「日向君、一度部屋を出て……」
邦彦が壁から興人に視線を移し、言葉をかけようとする。
しかし同時に何も告げず興人を突き飛ばす。
「先生!?」
「動かないで!」
理解ができない興人に叫ぶと、邦彦は間髪入れずに床に銃を突きつけ、撃つ。
「逃げられましたか」
「先生? なにかいましたか?」
正体は掴めなかったが、邦彦が敵を見つけて発砲したことは興人も理解した。
すぐに大剣を構えながら警戒態勢に入る。
「日向君、ここから離れましょう。敵は床を行き来できるようです」
邦彦いわく興人の立っている床から腕が伸びていたらしい。
紛うことなき悪魔側の仕業だろう。
「こんな狭い所で襲われたら不利です。急いで」
邦彦に急かされ、興人は出口へ走ろうとする。
「っ!」
だが興人の素早さも虚しく、土気色の腕が数本伸び、出口を塞いでくる。
「出口が」
「腕の本体を倒せということですね」
興人は襲いかかってくる腕をまとめて大剣で斬る。
斬られた腕は力なく床に落ち、砂のように崩れていった。
「ヴァンパイアの腕?」
血が一切出てこなかった腕を見下ろしてから興人は視線を上げる。
案の定斬られた腕の断面は再生していた。
「僕ができるだけ腕を撃ちます。日向君は元凶を見つけてください」
この狭い部屋で無闇に大剣を振っては、誤って邦彦まで傷つかねない。
興人は大人しく言うことを聞き、邦彦に背を向けて部屋の中を見渡す。
(ここで血が流れてるということは敵はシモンさん達をわざとおびき寄せたということ。何か呼び寄せる手立ては)
後ろから銃弾の音が響く。
邦彦が再生してくる腕を興人の代わりに始末してくれている。
(弾に限りがある。急がないと)
興人が壁に手をつく。
血はまだ乾いていないらしく、手のひらにべったりと血がついた。
『美味しそうだね』
興人が血を眺めていると、頭の中に少し高めの男の声が響く。
背後から殺気を感じ大剣を振るいあげるが、空を切るだけだ。
「どこに行った」
興人が戦闘態勢に入ると、脳内の男がせせら笑う。
『こんな狭い所で戦う気か?』
興人が視線を彷徨わせると、気配が左に移る。
そちらへ攻撃するが、またしても空を切る。
「日向君、敵を見つけましたか?」
興人の異変に気づいた邦彦が腕を攻撃しながら横目で見る。
「声と気配はしますが、姿は見えません」
『お前の実力では俺を見つけられるわけがない』
恐らく邦彦には敵の声が聞こえていない。
興人は挑発に乗らないように気をつけながら部屋の中を探る。
(先生に声を聞かれていないということは、俺だけを標的にしている)
敵の目的が1つだけなら注意しやすい。
興人は気を抜かないように気配を追いながら狭い室内を進んでいく。
『もっと広い所で戦いたいだろう。防御しかできないなんてもどかしいだろう』
(聞くな。ここで魔法を乱発すれば先生まで傷つく。慎重にやれ)
吸血コウモリの際に邦彦に言われたことを思い出す。
安い挑発に乗っていられない。
「どこだ。お前だって、このままじゃ俺を殺せないだろう」
姿が見えなくても殺気が漏れていれば興人も攻撃できる。
このまま不毛な戦いが続くのはあちらも望んではいないだろう。
『俺はお前を永遠にここに閉じ込めてもいいけど。じゃあ離れ離れにしてあげよう』
「!」
興人の目の前に腕が1本伸びてくる。
無数の土気色の腕とは違う、ヴァンパイアと思われる腕。
(あれが本体か!)
今度は逃げられる前に仕留める。
その思いで興人は大剣を振り上げる。
もう少しで腕を斬り落とせる所まで来た瞬間、腹を拳で殴られる。
「ぐっ」
『壁の中で戦おうじゃないか』
隙を突かれた興人の腕が引き寄せられる。
壁に叩きつけられると思いきや、まるで異空間に繋がっているように体が吸い込まれていく。
「日向君!」
邦彦が焦りを含んで叫ぶが、腕とともに興人の体は全て飲み込まれていく。
『倒す敵は1人でいい。拳銃を持ってるお前は連れていかない』
脳内に興人ではない声が響いたと思えば、襲いかかってきた無数の腕もなくなり、部屋が静まり返る。
「……下衆な悪魔が」
何もできないやるせなさも含みながら、邦彦は青筋を立てて悪態を吐いた。