赤い目の光
あれほど襲いかかってきていた吸血コウモリにも遭遇せず、唯月を送り届けることができた。
恐らく、唯月が血を運ぶ役目を持っているからだろう。
「ここまで来れば他のヴァンパイアにも気づかれず帰れるでしょう」
あまり長居はできないことを悟った唯月は迷った顔で邦彦に口を開く。
「ありがとうございました安城先生。あの、本当にゴルベルの所に乗り込むんですか」
「ええ。他言してはいけませんよ。僕達を匿っていたとわかれば他のヴァンパイアから針の筵にされますからね」
「……本当は、僕も行くべきなのに。すみません」
唯月が謝罪するため、邦彦は呆れ半分と言ったように苦笑する。
「無闇に仇討ちしてもあなたが殺されるだけです。1人で立ち向かおうとせずに、助けを待っていなさい」
廃墟には千花達を待たせている。
邦彦は話を早急に切り上げると興人を連れて建物の外へと出た。
(また逃げた。ハヅキの仇は、自分で倒さなければならないのに)
唯月は自宅へと続く階段を重い足取りで上がっていく。
千花が来てから──いや、ハヅキが吸血コウモリに襲われてからずっと、戦わなければならない使命と魔王への恐怖に板挟みにされている。
(父さん、僕はどうすればいいの? 父さんやハヅキみたいに、勇気があればいいのに)
脳裏に千花の強い瞳が浮かび上がる。
自分より年下で、小柄で、一見弱そうな女の子が魔王と戦おうとしている。
(……女の子? そういえば、ウェンザーズを救った光の巫女も1人の少女だって)
なぜトロイメア女王の命令を受けているのか、なぜあそこまでゴルベルに立ち向かおうとしているのか。
(まさか田上さんが!)
唯月は来た道を振り返る。
もし予想が合っていれば、今度こそ父親を助けに行けるかもしれない。
唯月が足を進めようとすると、後ろから声をかけられる。
「おかえりイツキ。どこに行ってたの」
誰もいなかった廊下から話しかけられ、唯月は反射的に身構える。
目の前には厳しい顔つきのシュウゲツがいた。
「た、ただいま。どこって、コウモリに血を渡してたんだよ」
「見え透いた嘘はやめなよ。夜にお前が出歩くなんてないだろう」
まさかシュウゲツに留守にしていたことを気づかれるとは思わなかった。
誤魔化そうと嘘を吐くが、シュウゲツは冷たくあしらう。
「お前、人間と会ってただろう。それも、家に匿って」
「何を証拠に?」
「お前が、人間とここから出る所をずっと見ていた。まさか、あいつらも人間に化けてるなんてことはないだろう」
唯月はシュウゲツの言葉に絶句する。
確かに物音は大分立てていたが、まさかシュウゲツが追ってきているとは思わなかった。
もっと注意を払っておくべきだった。
「何度も言ってるだろうイツキ。人間達は勝手にバスラに来たんだ。お前が干渉する必要はない。ただでさえ血を運ぶなんて危険な行動をしてるのに、魔王に刃向かってみろ。殺されるだけじゃ済まされないだろう」
「でも……」
シュウゲツの脅しにも似た言葉に唯月は目を逸らす。
「お願いだよシュウゲツ。僕の話を聞いて」
「もう何度も聞いてる」
「人間は自分勝手じゃない。彼女達は……田上さんは、本当にこの国を救いたくて来てくれたんだ」
シュウゲツは黙って聞いている。
受け入れてくれるのかと唯月は口を開かれる前に続ける。
「田上さんはきっと光の巫女だ。ウェンザーズを救った少女の噂はシュウゲツも聞いてるだろう? トロイメアからわざわざ来るんだ。だから僕達も協力して……」
「わかった」
唯月の言葉を遮ってシュウゲツは手を上げる。
理解してくれたのかと唯月は期待するが、答えは違った。
「もうお前を自由にするのはやめる」
「え?」
唯月が聞き返す間もなく、背後から殺気を感じた。
瞬時に振り返ると、ヴァンパイアの男達5人が武器を持って唯月を取り囲んでいた。
それはシュウゲツと同じく、同じ階に住んでいる顔見知りのヴァンパイア達だ。
「皆どうしたの!?」
「おかしくなったのはお前だよイツキ」
唯月が厳しい表情で自分を睨んでくるヴァンパイア達から後ずさりすると、後ろにいたシュウゲツが首を掴んでくる。
「ヴァンパイアの決まりを忘れたの? 無駄に干渉しない。危ない橋は渡らない。悪魔だろうと変わった世界に反抗しない。お前は全部破った」
身動きが取れなくなった唯月を見ながら、シュウゲツは赤い目を鈍く光らせる。
「シュウゲツっ」
「絶対にあいつの所になんて行かせない」
赤い目の光が唯月を洗脳していく。
唯月は眠気に抗うことができず、膝から崩れ落ちる。
その体をシュウゲツは支えながら、目の光を戻す。
「魔王の犠牲は、これ以上増やさない」
薄れゆく意識の中、シュウゲツの辛そうな顔が、唯月の目に映った。
唯月と別れてからすぐ、興人と邦彦は再び吸血コウモリの襲撃に遭った。
「風間君がいたからコウモリが来なかったんですね」
邦彦は銃を、興人は大剣を使用しながらコウモリを殲滅していく。
「魔王が寝ているのであれば、コウモリも減ってくるでしょう。数が減ったタイミングで切り抜けます。魔力は最小限にしてください」
「はい」
炎で一掃できれば隙もできるが、かなりの魔力量を要する。
邦彦の言う通り、魔法は極力使わない。
(と言っても、シモンさんのように的確にコウモリを倒せるわけではないから慎重に狙わないと)
目の前に来たコウモリを剣で薙ぎ払う。
1つ1つの動作は難しくないが、如何せん数が多すぎる。
「キキャキャ!」
背後から近づいてくるコウモリ、一斉に飛びかかってくるコウモリ、それぞれが襲いかかってこないと対処できない。
「ちっ」
もどかしい戦い方に流石の興人も舌打ちをする。
邦彦に注意されたものの、興人は堪らず魔法を繰り出そうとする。
「イグニ……」
「リンゲツさん! 魔法を!」
興人が呪文を唱えようとした瞬間、邦彦が大きな声で指示を出す。
呆気に取られる興人の顔を掠めるように、突風がコウモリを閉じ込めた。
「今のうちです。行きますよ」
冷静な邦彦に興人はただ従うしかできない。
その間にもコウモリはみるみる遠ざかっていく。
「……すみません、先生」
「頭に血が上りやすい所はあの2人そっくりですね」
我に返り、非を詫びる興人に邦彦は困ったように笑いながら応える。
「魔法が使えない僕が言うことでもないですが、できるだけ魔法は使わないように。あなたも魔王と戦うかもしれませんから」
「はい、あの、大丈夫でしょうか」
何をと聞かれなくても興人が言いたいことはよくわかる。
機関の、自分の名前すら知られたくない彼女の名前を大声で叫んだことだろう。
「まあ少なからずお怒りにはなってるでしょうが、人前に出てこないんです。これぐらいのとばっちりは受けてもらいましょう」
「とばっちりって」
近くに彼女がいるとすれば、明らかな挑発に青筋を立てているところだろう。
興人は走りながら溜息をついた。