帰ることはできない
室内から見たバスラと外に出た時の光景はやはり違っていた。
いざ霧を目の前にすると、本当に何も見えなくなる。
(よく皆歩けるな。風間先輩はヴァンパイアだから霧の効果もないんだろうけど)
千花ははぐれるのを防止するためにも興人の袖を掴みながら歩いている。
唯月から霧は毒だから吸わないようにと言われていたので、堂々とバスラを進んでいることに違和感を覚える。
(シモンさん無事かな。安城先生が大丈夫って言ってるなら事実なんだろうけど)
「田上、転ぶから前向いて歩け」
千花が物思いに耽りながら歩いていると、興人が軽く叱責してくる。
「ごめん興人、考え事してた」
「いくら先生と俺がいても、ここは魔王の住処だからな。自分でも気を引き締めてくれ」
若干過保護な気がするが、戦闘慣れしている興人には違った見え方があるのだろう。
千花は頭の中をクリアにし、警戒を高めた。
「ここです。建物はひび割れていますが、倒壊の可能性は少ないです」
唯月は吸血コウモリを恐れてか、小声で建物を指す。
霧に気をつけて千花が見上げると、確かに朽ち果てているビルが目の前にあった。
「入れますか」
「恐らく。悪魔がここを出入りした痕跡もないので」
邦彦が軋む扉を開けると、中は廃墟のようになっていた。
先程のエントランスを古びさせた印象だ。
「早急に中に入りましょう。足止めしてくれているとは言えいつ敵が襲いかかってくるかもわかりません」
廃墟に吸血コウモリがいないことがわかると、邦彦は先頭を切って中に入る。
(風間先輩、ここまで責められて大丈夫かな。半分私のせいだけど)
唯月は怪しまれないように邦彦の隣を歩くよう努めている。
その表情は見えないが、彼を冤罪で始末してはならないことだけは伝えなければ。
「さて、ここで話しましょうか」
エントランスを抜けると、破壊されたのか扉をぶち抜かれたように広い部屋に着いた。
「時間もないですし、こちらから口を挟むことはしないので、2人がなぜバスラにいるか経緯を話してもらっていいですか」
心の準備もないまま、邦彦は説明を促す。
興人は近くにいながらも敵が来ないように見張ってくれている。
警察の尋問とはこういうことではないかと千花は心の中で思う。
「風間君、説明できますか」
「はい」
千花の心配を他所に、唯月は覚悟を決めたように邦彦の目を見て説明し始めた。
流石生徒会に入っていただけあって、唯月は話が上手い。
千花が口を挟むことなく一部始終を説明してしまった。
「なるほど。田上さん、今の内容に間違いは?」
「ありません」
千花が迷うことなく肯定するため、邦彦も信用することにしたらしい。
次いでとても呆れた表情を浮かべた。
「田上さん、こちらも不注意がありましたが、お願いですので警戒心を高めてください」
「はい……」
泉に行けば誰も来ないだろうと油断していたのは否定できない。
邦彦は咎める言葉を1つ零すと、今度は真剣な表情に変わる。
「風間君が故意に田上さんを誘拐したわけではないことはよくわかりました。ですが、ここで田上さんを帰すことはできないですね」
「なぜですか? 日中はゴルベルも寝ているはずです。吸血コウモリも僕が血を持ってくることは知ってるので朝になれば帰せます」
もし帰ることができたとしても、千花は光の巫女としてゴルベルを倒さなければならない。
邦彦はそのこと言っているのかと思ったが、実際は違った。
「人間が吸血コウモリに牙を剥いたことは既に魔王に知られている。ヴァンパイアも、わざわざコウモリを怒らせた人間を良く思っていないでしょう?」
千花はシュウゲツの言葉を思い出す。
彼は自分達のことを「勝手に来た」と表現していた。
きっとそちらの方が多数派だろう。
「すみません」
「ヴァンパイアの性格で風間君を責めるつもりはありません。元々わかっていたことです」
申し訳なさそうに謝罪する唯月に邦彦は応答する。
千花は邦彦の次の言葉を待つ。
「ここから出るには魔王を倒す他ありません。後3時間もすれば夜明けになります。そこで魔王に奇襲を仕掛けましょう」
本来通りトロイメアからバスラに来ることがなかった千花は、改めて魔王討伐に来たことを思い出し、気を引き締める。
一方の唯月はまだ理解できていない様子だった。
「失礼を承知で言いますが、ゴルベルに囚われているヴァンパイアは1人じゃありません。少数で勝てる相手ではないです」
唯月の心配に首を傾げた邦彦だが、すぐに理解する。
今回は千花が口を滑らせて光の巫女だと零していないことに。
「そうですね。風間君が心配になる気持ちもよくわかります。ですが、これはシルヴィー・トロイメアの命でもあります。魔王を倒し、七大国を取り戻すと」
「女王陛下の? あの、先生達は何者で……」
「国家秘密なので回答は控えさせていただきます。それでは田上さん、少しではありますがここで休んでいてください」
「へ?」
邦彦に突然指名された千花は情けない声を出してしまう。
この状況で寝ろと言われても簡単には寝られない。
千花が戸惑っていると、邦彦が唯月に聞こえないように耳打ちする。
「魔王と戦うのは確実にあなたです。田上さんは体力もある方ですが、徹夜で魔王に対峙するのは得策とは言えない。監視は気にしなくていいので少しでも長く休んでください」
確かに邦彦の言葉も一理ある。
千花は緊張状態にある体をどうにか休息状態にしようと努力する。
「風間君は、見送ってあげたいところですが田上さんのこともあるので守ることはできません。君もここで休んでおきますか」
「……はい。僕は、コウモリに立ち向かえる力もないので」
「そうですか。では、僕と一緒に監視をお願いしてもいいですか。君は夜起きても差し支えないでしょう」
邦彦は興人を呼んで同じように休息を促す。
興人も同じように躊躇っていたが、唯月が味方になったこともあり、訝しがりながらも千花の近くへ歩いていった。
(なんで、皆落ち着いてるんだろう)
千花の正体を知らない唯月は、彼らの落ち着きぶりに数刻の間不安感を覚えた。